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30代前半の振り返り

本日付で私は35歳
いよいよ”アラフォー”の領域に入りました。

そんな節目の歳を迎えて、30代前半を振り返ってみました。

30~35歳までの5年間は、
色々なイベントがあり、
「これまでの人生の中で、最も刺激的で最も走ってきた、
 そして最も変化と成長を感じた」

歳月だったと感じています。

■ポイント

・人生観をはじめとする、自分の軸を持つことの大切さ

→自分のWhy、Will、Giveを明確にすることで、
 強い意志を持った行動をすることが可能になり、
 意思決定が容易になります。

・逆境に立ち向かうほど、本当に成長ができる

→「こんなことに負けるか」という不退転の精神は、
 行動力と精神力を飛躍させます。
 逆境こそが効率的な成長機会と気付き、
 むしろ高い壁やプレッシャーを求めるようになります。
 (少なくとも私はそうなりました)

・良い意味での競争心が、パワーを生み成長を促す

→周囲とポジティブに刺激をしながら、
 競争をすることで、自分の襟を正すことが出来、
 良い成長機会を取得できます。

・井の中の蛙では、成長は抑止される

→視野が狭いことに気付かない状態が一番怖い。
 見えてる世界は、実際の世界と比べてどれほどかを、
 客観的に見つめることが大切です。

・行動することが何より大切

→悩むことは最も意味のないこと。
 考えて実行することで、初めて価値があります。
 実行しなければ、考えなかったことに等しい。

・自責と他責のバランス

→自責はとても重要な思考態度。
 他責にすると成長は止まります。
 ただ他責にしすぎると、
 単に自分の選択肢を抑止するだけになり兼ねないので、
 バランスが重要です。

・情報収集の甘さは失敗を招く

→知らないことで失敗することは、やはり多いです。
 単純に判断材料が少なければ、
 より確からしい判断をすることは出来ません。
 材料が多いほど、判断の確からしさを得ることが出来ます。

などなど、
非常に多くの学びを得ました。

以下、個人的な情報ばかりで長いので、
ご興味があればお付き合い頂けますと幸いです。


1.30歳になった頃

ワンワードで表すと
「長い離婚戦争との決着」
でした。

いきなり重たい話で恐縮ですが、
29歳になって間も無く離婚協議がスタート。

あまりに話が平行線だったため10月頃から離婚調停スタートさせました。

当初、一度弁護士の先生の相談に行ったのですが、
「それだけ資料準備とプレゼンが出来るなら、一度自分で挑戦してみたら」
と背中を押してもらい、
自分自身の力で戦うことを決意。

30歳になる時、
“大人の階段を登る”ような感慨深い思いに包まれながら、
(何の根拠もありませんが)
それと同時に、
「離婚調停に決着を付けることが出来なかった〜」
という複雑な感情だったことを今でも鮮明に覚えています。

以前の人生観の作り方という投稿でも記載しましたが、
上記の状態だったこともあり、内省を繰り返し、
この30年間で”何も自分を語れることがない”ことに気付いた私は、
このままではダメだと気付き、
自分を変革させることを決意。

人生観を改めて深く考えて作成し、
自分の軸を持って突き進むことを決心しました。


そこからは、
過去のダメな自分を捨て去り、
長きに渡り続いた離婚調停においては、
“絶対に負けるか”の精神で相手方の弁護士と戦い続け、
仕事においては好成績を掴み取るための努力をし、
全国営業キャンペーンでNo1を獲得するなどの成績を残しました。

結果、仕事においては躍進をすることが出来、
首都圏一極集中の全社大戦略において、
全国から猛者を集める人事号令のもと、
相模原営業所責任者に着任する大抜擢となりました。

この1年間は、今の自分を形成する原体験となったと言っても、
過言ではないほど、精神的に高い壁を乗り越える力を培いました。


2.31歳からは仕事中心

31歳になってすぐに、約1年半の長期にわたる離婚調停にも決着がつき、
(1年半も離婚調停が長引くケースは、かなり稀らしいです)
首都圏へ異動。
大きく環境が変化しました。

異動をするのが決まった瞬間は、
離婚調停が終わっていないことを心配していましたが、
「神様が手を差し伸べてくださったのかな」
と素直に感じたことを覚えています。

さて、異動してからは、
先に記載した通り、社運を懸けて戦うほど気合いの入った全社の大号令。
新しい仲間に刺激を受けながら、激務を乗り越えました。

責任者(管理職)だったということもありますが、
この1年間は、あまりいつ寝てたのか記憶がないくらい仕事してました。
(実際には寝てますが)

この時期から戦略/戦術の策定/実行経験やマネジメントを通じて、
仕事面のスキル成長をはかることが出来始め、
どんどん仕事が楽しくなり、
今の私の人生観の一つである、

「仕事を通じて成長を楽しむ人を1人でも増やしたい」

という想いがより強くなっていった時期です。


3.32歳で転職を決意

仕事がもっと出来るようになりたいという、
強い欲求がどんどん膨れ上がり、
読書やビジネスに関する勉強量がどんどん増えていくと同時に、
一つの不安に行き着きました。

「このままでは井の中の蛙で終わる」

新卒入社からずっと勤めていた会社。
特に31歳からは本当に貴重な経験をさせて頂く環境を頂戴出来ましたし、
多くの学びを得たことは本当に感謝しています。

ただ、
これからの時代の変化を知れば知るほど、
1つの企業しか知らない視野の狭さへの不安と、
その時の延長線上では自分のなりたい姿になれないことを悟った私は
転職を決意。

33歳手前の2月から転職をしました。


4.33歳

IT知識を付けたい。ITを活用したコンサルティングをしたい。
と思っていた私は、IT関係を中心に転職活動を実施し、
結果、中堅Sierに転職しました。

これが大失敗。

結局ITとは何か、IT業界ってどんな世界か、
そもそも他業種のことを全然理解していない世間知らずでした。

私の担った仕事は、SESの営業。

ただ文句を言うこと、ただネガティブに解釈することは、
絶対にしたくないですし、
それで辞めるとなれば、ただ単に自分が負けたも同然。

何度も何度も、
どう捉え、どういったバリューを定義すれば、
もっと良い価値提供が出来て、やりがいのある仕事になるのか、
徹底的に考え抜きました。

結果、
無理でした。

考えれば考えるほど、

「この仕事ない方が、世の中のためだよね」

と言う結論にしか至らない。

キャリアアドバイザーに相談したところ、
「早いなら早い方が良い」と背中を押していただけたので、
すぐに転職活動を再開し、
そして、今の会社との奇跡の出会いを果たしました。

かなり強い使命感を持って、今の企業に入社しているので、
私は「奇跡だけど必然の出会い」だと思っています。


5.34歳も走り回る

今の会社に入った当時は苦戦の連続。
とにかく、もがいて考えて行動しました。

あるキャリアアドバイザーの方から、
「大手からベンチャーに行くのは、通用しないかもしれないよ」
と言われましたが、それを痛感しました。

環境も違えばスピード感が全然違う。
必要なアウトプット量も全然違う。

それでも、もがき抜いた結果、少し時間はかかりましたが、
一気に実績を積み上げ、
今では、あれやこれやとやりたいと思ったことを
自由にやらせて頂いてます。

本当に感謝。

今では
「大手にはもう戻れないかもな」
と思うほど、ベンチャー感が染み付いたつもりです。


6.そして35歳

これからどうなりたいのか。
未だ答えの出ないことも沢山ありますが、

・事業推進 × ITのプロフェッショナルになりたい

10→100のフェーズが一番バリューが出せる気がしてます。
 - 仕組み化とか生産性向上に興味が強い
 - ITはもはや経営なので絶対にハズせない

・あらゆる社会課題性の高いビジネスモデルを成長させたい

→事業推進のプロとして様々な価値あるビジネスをスケールさせたい

・事業の成長を通じて人材の流動性を高め、
 「キャリアクリエイション」を実現したい

→・人材の流動性には、まず事業ありきが大切
  だからこそ事業を育てる→人材の流動性を高める

 ・様々な環境変化も要因として、
  今あるキャリアの方向性を示すことではなく、
  新たなキャリアを創出することが、
  最も価値があると考えている

の3点を考えています。


35歳
今一度気持ちを引き締めて、
これまでの2倍以上のスピードで、
変革と成長を!

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