結び目でありたいということと、結び目が伝える力について。

まだ食事中で、お酒も飲んでいます。今夜の11時なので、なかなか時間がかかっています。

そんなわけで、走り書きなのですが、書き留めておかねばと思うので、とりあえず書こうと思います。あとで直すかも。

ライターという肩書を名乗ってから、かれこれ20年くらいになります。

キャリアは長いですが、特筆すべき経歴といえば、休刊になってしまったフード雑誌やウェブ媒体で、料理に関する取材記事を書いたり、テーブルコーディネートやフードコーディネートの記事を連載したりしたこと、共著の本におまけのように名前を連ねてもらったこととでも言いましょうか。

連載を持ったりいろいろありましたけれど、それはとても小さいもので、誰かが見ていてくれたらいいなと思う程度のものでして。それくらいに、反響というのは伝わってこないものでもあり、自信に繋げるのはなかなか難しいのが実情です。

まあ、そんなことは置いておくとして、私がライターや、編集の仕事をする上で、常に念頭においていることがあります。

それは、誰かと誰かの「結び目」であるということです。

これは、ライターの前職でもある、飲食店での仕事をしていた頃から変わらないモットーでもあります。モノやコトを作る人と、それを受け取る人を繋ぐ間で、しっかりとその想いを伝える立場でありたいと考えています。飲食店であれば、シェフとお客さんの間に入るサービスの立場。ここに立つ人がどんなふうにシェフの想いを伝え、そこにまつわる食材の話や、合わせるワインのことなど、様々な引き出しを持って、お客さんにシェフが体現したい世界観を、呼吸を見ながら伝えていけるかで、その時提供される料理の評価が決まるというような立場ではないかなと思っています。

極端な話、せっかくのシェフの料理が素晴らしいものになるか、台無しになるかという鍵も握っているのです。私はいい形で、シェフとお客さんを繋いで、これ以上ない夜を演出したいし、最終的には、シェフとお客さんが笑顔で握手する姿を、柱の影からニンマリ見ていたい、というような、そんな気持ちでいつでも原稿を書いています。長い上にわかりにくいですね、すみません。

人が作るものには、そのプロセスと結果の中に、さまざまな思いが込められています。それは、どんなものでもそうだと思うのです。何かを作るには理由があり、それには思いがある。その思いのタネを蒔き、それが育って実をつけるまでには、さらに様々な人が関わって、その人ごとにそれぞれの思いがあり、最終的に実となって、昇華する。それを世間は、ストーリーなんて言いますね。感傷的で感動的なので、みんな大好きだと思います。

でもそこには、きれいごとばかりではない様々な出来事もたくさんあります。そんなこともひっくるめて、関わってきた人やものが感じられるような、そんなストーリーを伝えていきたい。それは、きちんと人やものと向き合わなければ出来ないことだと思っています。

人の心のひだや、物事の細やかな面も、逃さず見つめることの大切さを、これまで様々なものづくりの場面で見てきた経験から、アンテナを常に張り、その息遣いに耳をすませることの大切さを感じるからこその記事づくりを出来たらと思っています。

シェフとお客さん、造り手と飲み手や食べ手、使い手などなど。直接繋がれないそうした人たちの間を、自分の言葉で橋をかけていきたい。そうすることで、造り手の芯にあることが、アンプリファイアされて伝わるような、そんな結び目であり、伝達者になりたい。そんなふうに思っています。

もしそんなふうに、自分の作るものやことを、誰かに伝えて欲しいと思う方がいたら、ぜひ声をかけてください。誠心誠意向き合って、言葉を紡ぎたいと思います。他の手段が必要なら、それも考えましょう。

あなたの伝えたい思い、伝えるお手伝いをさせてください。ささやかですが、力になります。

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