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手紙のマナーと最後の世代

先日、よく泊まりに行っていたワイン仲間でもあるペンションのオーナーから、仲間のひとりが亡くなっていたことを知らされました。
亡くなっていたのはブルゴーニュとカリフォルニアのワインをこよなく愛する人。
今年の春に肝臓がんで亡くなられたということを、オーナーも人づてにたまたま知ったのだといいます。
まだ59歳。
若くして亡くなられ、まだお子さんも成人前で、さぞ心残りだったろうと思います。
一緒にワインを飲んだことのある、ごくごく身内の仲間にグループのメッセージが来て、オーナーが奥様に連絡をとってくださり、奥様からお手紙が届きました。
そこには生前、彼が身の回りの方に力を尽くしていらした様子が垣間見え、亡くなる寸前まで頑張っていらしたのが伝わってきました。
取り急ぎ、近くのお香の専門店で線香を買い求め、手紙を添えて送ろうと、自宅から近いターミナル駅の文具店に、便箋や封筒、万年筆などを買いに行きました。

ゆとりある大人になれなかった自分

基本的な手紙のマナーは、親から教えてもらっていました。
親は水商売で、クラブホステスをしていたこともあり、お客様に請求書を送るときや、お店に来て欲しいことをお伝えするのに、頻繁に手紙を書く人だったので、そういうことは厳しく躾けられていた面があります。
30代くらいまでは手紙を書くこともそこそこあったので、親がいいつけていたような便箋と封筒は常にストックし、万年筆も安いものですが書きやすいものを持っていました。
しかし、手紙を書くことが本当に少なくなって、万年筆も調子が悪くなって処分したり、便箋などのストックも切らしたままになっており、こうして手紙を書く機会が出た時に慌てることになってしまいました。
ターミナル駅の文具店の規模は比較的大きく、レターセットのコーナーも広く取ってあるのですが、シンプルな罫線のない便箋がまず売っていない。
出来れば罫線のないものが欲しかった。
白い斤量のちゃんとあるしっかりした紙の、罫線の入っていないものがベストなのですが、そういうもの、なかなか売っていないのですね。
縦罫線のものは書き慣れていないこともあり、文字のバランスを取るのが難しいよなあ、と考え、ちょっとカジュアルになってしまうなと思いながら一番シンプルなアイボリーの便箋に濃紺の横罫線のものを選びました。
さらに、筆記具のコーナーに行ってみるも、万年筆そのものがあまり売られていなくて、選択肢が少ない!
手紙を書く時、ボールペンは「事務用品」なのでダメなのだそうで、これも親からきつく言われて育ちました。
どうにか1000円くらいで買えるインク付きの万年筆を発見し、ブルーブラックのインクを購入。
普段からこういうものをすべて揃えてあって、いつでも涼しい顔でサラサラと万年筆で手紙の書ける「ゆとりのある大人」になりたかったし、今の私の年齢の頃には、すでにそうなっている予定だったなあと思ってしまいました。
ゆとりのある大人になるのは、なかなか難しいなあと思いました。

絵葉書はストックせずに友達へのギフトとして

手紙のマナーで思い出したことが他にもあります。
私のテーブルコーディネートの師匠が、私に教えてくれたことのひとつに、この絵葉書についてのマナーのようなものがあります。
師匠と出会った20代前半の頃、私は美術館に行くのが好きで、さまざまな画家の、気に入った絵の絵葉書をよく美術館で買い求めていました。
部屋に飾るわけでもなく、時々出して眺めては、素敵だなと思い返す感じで、引き出しの奥にしまってありました。
その話を師匠にすると、ひとこと彼女は言って笑いました。

「いやねえ、絵葉書なんてどんどんお友達に出してしまわなくちゃ!素敵だったことをシェアすればいいのよ」

そんな事を考えたことがなかったので、これは目からウロコが落ちるというのはこういうことかと思いました。
それからはなるべく、思い出した時に使えるように絵葉書を買っておいて、友達にプレゼントをあげる時に添えたり、近況を簡単に知らせる時に使っています。
自分の感動を共有することにもなるという考え方がとても好きです。

手紙のマナーを受け継ぐ、最後の世代?

でも、最近は手紙を書く、ということをしなくなってしまって、手紙のマナーについて子どもに教えたりする人も少ないのではないかなと思いました。
そもそも、今の若い人は便箋や封筒を使ってお手紙を書いたりするのかしらと思いました。
だいたい、履歴書作成の時に言われる、手書きの文字のほうがいい、みたいなセンチメンタルな物事は、およそ馬鹿らしいことではあるのは首肯するばかりです。
手書きの手紙が素晴らしい、と両手放しで思っているわけではないし、自分もメールやらチャットやらで親とすらコミュニケーションを図っているところがあるので、それが悪いとも思いません。
今回のことを周りの友達に話したら、こうしたマナーを知っていたのは3人に1人くらい。
意外と私くらいの世代でも知らない人がいることにちょっと驚かされます。
そうなると、私の下の世代はもうこういうことは知らないかも知れないんだと思いました。
言ってみれば、今の50代くらいまでしか手紙にまつわるマナーを知らない可能性が高く、それを知っている最後の世代かもしれないということです。
きちんとした便箋や封筒を揃えて、万年筆を使って手紙を書くというのは、とても情緒的な作業だと言えるので、その情緒的な面が必要とされなくなったら、こうしたマナーはなくなるのだろうなと思います。
ただ、そんなウェットな考え方を必要とする人はそれなりにいて、手紙から伝わってくる「相手の湿度」のようなものを感じ取り、それを愛おしいと思える人がいるからこそ、アナログなコミュニケーションはなくならないのかなと思います。

ゆとりは日頃の準備から生まれる

便箋や封筒を揃えておくことや、万年筆を日頃から使って調子を整えておくこと。
絵葉書を気がついた時に買っておくとか、記念切手も郵便局で気がついたら買っておく、といったことすべてが、日頃の「ついで」で出来ることだったりもするので、今後は気をつけるようにしたいなと思います。
備えよ常に、というやつですね。
年齢的にそろそろ、ちょっぴりいい万年筆を購入したりしても良い頃です。
少しはそういうことを考えないとダメだなあと時々思います。
いろんな意味で、ゆとりのある大人になりたいなと思う今日この頃です。

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