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母方の祖父母

母方の祖母に会ったことありません
祖母は40歳、病気で亡くなりました

長女だった母が14歳、妹8歳と4歳の時です

祖母が亡くなった時、祖父は親戚からいろいろ言われたみたいです

こんな小さい子を残して…
なんでもっと早く病院に連れて行かなかったんだ…

真面目、厳しくて冷たくて厳格…人とも笑ったり喋ったりを好まない…

そんな祖父が当たる相手は娘…特に長女だった

食べる物も満足に食べれない時代、躾だと体罰が当たり前

虫の居所が悪いと、茶碗を投げたり殴ったり叩いたり…

よく隣りの叔母さんの家に泣きながら逃げた母

叔母さんは祖父に

「女の子にそんな事をしてはいけないよ」
と言ってくれたそう

いつか母が言った

坊主にしたら頭、傷だらけだよ…

遠方に住んでいた祖父、初孫の私には良く可愛がってくれた

夏休みに行くと、冷凍庫にソフトクリームを買っておいてくれた…
買い物に行く時は軽トラックの助手席に乗せてくれて、3つほどある陸橋を一緒に数えた…
帰る時は必ず1万円をくれて「また来てよ」って車が見えなくなるまで手を振っていた祖父

人付き合いが少なく話す相手がいない1人の毎日
夏休みに娘や孫がみんな集まって…それは嬉しそうで笑顔でよく喋っていた


子供の頃、母から祖母の話しを良く聞いた

会ったことがない祖母…
もっとお婆ちゃんの話しが聞きたいとせがんだ事もある

砂糖が高価でなかなか手に入らない時代…
塩多めで甘味を増したお菓子を良く作ってくれたこと…
中学校の昼食で出されるコッペパンを食べたがった祖母…母がこっそりと残して帰り祖母にあげると畑仕事で土のついた汚い手で嬉しそうに食べたこと…
祖母が入院中、学校に行きながら家のことをしなければいけなかった母
食器洗いでコップが割れて手がぐっさり切れたことを心配してくれたこと…
祖母の付き添い入院した時、夜寝るのに祖母と母の手に紐を付けて寝て、夜中紐を引っ張られ起こされたこと…
病院の帰り草履の鼻緒が切れて「お母ちゃん、死んだ…」と思ったこと…

遺影が母そっくりな祖母…
話しを聞けば聞くほど祖母に会って見たかったな…と思った

母が、自分の生い立ちや祖父母のことをラジオに応募したら採用された

その時の録音したカセットテープを聴かせてくれたことがある

選曲で「ひまわり娘」伊藤咲子さんという方の曲が流れてとても印象に残っている

広大な土地で米を作り売って生計を立てていた祖父母
その年に実った米を収穫する10月、母の誕生日の6日後に亡くなった祖母…

亡くなる時「死にたくない!」と目を見開いて亡くなった祖母…

40歳…
小さな子供を残して…無念だっただろうな


祖父は92歳で亡くなった

母が祖父に
「再婚したらお母ちゃんが可哀想だからしないで」
とお願いしてた

その約束を守った祖父

祖母が亡くなり、娘達も家を出て半世紀近く…ひとり先祖代々繋いできた家と土地を守り、最後まで生きることにこだわった祖父

きっとお母ちゃんの分まで生きないと…と思っていたのかもしれない


昨年の夏、車で15時間かけて19年ぶりに祖父母の家へ行った

子供の頃、毎年夏休みに来ていた場所…

家と田んぼはそのまま残っていた
祖父母の家から見る景色も変わっていなかった

ただ…

19年前に来た時、祖父は生きていてここに姿があった…
その祖父は先祖代々の遺影の隅にいた

不思議な感覚だった

もういないんだな…本当に死んじゃったんだな…
実感した

昨夏の半年前、無性に祖父母の家に行きたくなった
今年の夏休みは絶対祖父母の家に行く!と決めていた

きっと呼ばれて来たんだ…

そう思ったら「来させてくれてありがとう」
という気持ちでいっぱいになった

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