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うつと向き合う時間:トンネルの向こう側

週末はさんざんだった。
体調不良(蕁麻疹と咳)がひどく、本当に調子が上がらない。隙があらば寝たい。眠くて眠くてしょうがない。
なのに夫は予定があり珍しく週末ワンオペ。

実家に帰ったら、とも言われたけれど、実家の両親には鬱や休職のこと話しておらず、また話す気もなかったためにあまり乗り気にはなれなかった。

結局、動画をたくさん見せたりして何とかやり過ごす。しんどいけど、子どもにもあまり構わなかったけれど。「なんとかやりすごす」という言葉が本当にぴったりとはまったそんな週末だった。
とにかく昼寝。ファンタジーキッズリゾートでも人目をはばからず寝っ転がって寝てた。だってしんどいんだもの。日曜日の午後予定より早く帰ってきた夫の姿を見てほっとした。ああ、助かった。子供たちを不必要に傷つけなくて済んだ。

何かをやろうとするとひどい蕁麻疹が出てしまうので、結局月、火とあまり家を出ずじっとスマホを片手にソファでうとうとしながら過ごす生活だった。

無、だ。

何もしていない。朝起きて、子どもを何とか送り出すと、夕方まで何もすることがない、やるべきことがない無、の時間。

少なくとも絶望的には感じていない。不安は感じるけど。薬の効果もあるのだろうか。

でも圧倒的に無。まずは体と心を休ませて、という主治医の言葉を盾に、おもうぞんぶん無になる。

そんな中、職場の上司から連絡があった。今後のことと仕事の引継ぎもあり、電話で話せないかという打診であった。WEB会議をつなぐと、引継ぎのことがあるのでプロジェクトメンバの一人を追加してもいいかと確認される。彼は、私より若いけどとても有能でそしてフラットで信頼できる人。もちろん良いと快諾する。

「声色がずいぶんよくなってる気がする」と上司の声。それはそうだ、休職の連絡をするときは、もう話したくもないと思っていたし、そもそも上司との会話そのものがしんどくってできれば避けたいものだった。会話中に涙があふれ言葉が詰まることもあった。
今回はとにかく無、だったので、感情がマイナスにふれることなく事務的にちゃんと話を勧めることができた。

諸連絡と引継ぎを小一時間で終え、最後に若手メンバが「久々に声が聞けて良かったです。ゆっくりしてください。」といったあと、「正直なところ、バリバリ面接(転職活動の)受けまくってるんだと思ってました!」とぶっちゃけた。

良くも悪くも、腫物を扱うような上司の態度と異なる、本当にいつも通りのこの若手メンバの発言に思わず笑ってしまう。
そう、私もそう思ってた。
もっと厚かましく、休職できてラッキーくらいに思って、さっさと次の一手を打つと思ってた。
私だったらそうするよねー、そうすると思われるよね!

ひとしきり笑った後「そのくらい厚かましくありたかったよ~」と、返答し、おいおいやめてくれよという上司の取って付けたセリフとともに会議は終了した。

なんだか、ちょっと、久しぶりに晴れ晴れとしたきもちになった。
そう、私は元来そういう行動をとるはずなのだ。
それがここまでできないって、本当に鬱になってたんだ。

じぶんはなまけているわけではない。
今は必要な、SelfCareの時間で、自分を大切にしていい。
それは、我儘ではない。

納得感をもって、そう思えた。
無、が無、でいいと思えた。



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