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法律上も血の繋がりもない赤の他人。でも私にとっては本当のおばあちゃん

「私の家族はちょっと変わっているらしい。」とずっと感じていたのですが、今回、日経COMEMOさんの募集企画「理想の家族」を読んで、「時代が変わってそうでもなくなったんだ」と気付かされました。

私のちょっと変わった家族の中で、一番遠くて一番近かったおばあちゃんについて、書いてみたいと思います。

私の家族は稀だった

私にとって当たり前だけど話すと大体驚かれていたこと。それは、おばあちゃんも、お母さんも血が繋がっていないことです。私は1975年生まれなので、時代的には、離婚や再婚が受け入れられる時代ではありませんでした。

とは言っても、それは世の中の基準で、私にとっては、おばあちゃんも、お母さんも血が繋がっていないのが普通。だから、自分が家族のことでいじめられることも、家族のことを話すと驚かれることも、理解できませんでした。

成長するにつれて、理想の家族という、一般的な家族の定義から外れているからだったのかと気づきました。

私にとっての家族の定義

今でこそ、そんなに稀な家族ではありませんが、私が子供の頃はあまりいないタイプ。そのため、家族のことを会社の先輩や同僚にほんの少しだけ話すと

「よく素直に育ったね」

と驚かれ、そのリアクションに私は驚いていました。そんな周りの反応に


なぜ、「家族=血縁」という考えなの?
血が繋がっているから本当の家族って言えるの?


と、感じていました。

そして、「私にとって家族とは心が繋がっていること。血が繋がっていても、繋がっていなくても、心が繋がっていないのであれば、家族とは言えない」と思うようになっていました。

心の繋がりを大事にするようになったのは、私のおばあちゃんの影響が大きいです。

実は、おばあちゃんは血の繋がりだけでなく、法律上も繋がっていない赤の他人でした。

心で育ててくれたおばあちゃん

私にとって誰がなんと言おうと、本当のおばあちゃん。でも、他の人から見れば赤の他人だったことを最初に知ったのは、私が小学3年生くらいでした。

もう、ずいぶん前のことなので、うっすらとした記憶しかありませんが、とても衝撃を受けたことだけは覚えています。


ある日、学校から帰ってくると、おばあちゃんが、突然、


「私は、あんたたちのおばあちゃんじゃない。」


と言うのです。訳がわからず、妹と泣いた記憶があります。でも、翌日にはいつも通り過ごしていました。


私と血の繋がったおばあちゃんは、父が結婚する前に亡くなったそうです。その後、おじいちゃんと再婚したのが、今のおばあちゃんでした。

子供の時、おばあちゃんが血が繋がっていないことに驚いたと言うよりも、突然、「本当のおばあちゃんじゃない」と言われたことに驚きました。


と言うのも、おばあちゃんの告白の2~3年前に、父が離婚し母がいなかったことも影響していると思います。

そのため、おばあちゃんは、単純におばあちゃんじゃなく、お母さんのような存在でもあったんです。

ふりかえると、「もう少し優しい言葉で言ってくれてもいいのに」と思いますけどね。昭和の初期の人だったし、精一杯の優しい言葉だったんだろうなと思います。

母のような存在だった理由

私にとって母のような存在だったおばあちゃん。仕事が大好きな人で

「これからは女性も手に職をつけとかんといけんよ」

と子供の私に口酸っぱく教えてくれました。


仕事が大好きだったおばあちゃんですが、私が母がいないことでいじめられていることを心配に思い、仕事を辞めて私と妹のお世話をしてくれました。

ずっと後になって、おばあちゃんの社員旅行の写真を見ました。笑顔で楽しそうなおばあちゃんの様子に、「本当はもっと仕事したかったんだろうな」と、子供ながらに感じていました。


私が小学生の頃ですから、女性が子育てと仕事を両立するのはまだまだ厳しい時代。しかも、血も繋がっていない子供ではなく孫のために生きると決めたことは、いろんな葛藤があったのではないかと思います。

だからこそ、おばあちゃんの愛情の深さを感じ、おばあちゃんを思い出すたびに感謝の気持ちでいっぱいになります。

愛情を言葉や行動で教えてくれたおばあちゃんがいたから、私にとって家族は心の繋がりが一番大事だと思うようになったのだと思います。

法律上の繋がりってなんなんだ

私を心で育ててくれたおばあちゃんが亡くなって、もうずいぶん時間が経ったのですが、おばあちゃんが亡くなったとき、新たな事実が発覚しました。


それは、私とおばあちゃんは、血の繋がりだけでなく法律上も繋がっていないかったんです。


おばあちゃんがおじいちゃんと結婚したのは、父が成人してから。そのため、父とおばあちゃんは養子縁組をしておらず、法律上は、父とおばあちゃんは親子の関係ではありませんでした。

結果的に、私も法律上は孫ではなかったのです。


当時、私は公務員だったということもあり、法律上の家族ではない場合、いろんな手続でできないことがあることを知っていました。それが、家族内で起きたことに驚き、「法律ってなんなんだ」と思いました。

このことは、おじいちゃんの方が先に亡くなっていたことで、法律上のことが明らかになりました。もし、当時、おじいちゃんが生きていたら知らないままだったかもしれません。


現実は、おばあちゃんとして過ごしていたし、父も成人した後のことですから、支障もなく気にもしなかったのでしょう。

ただ、おばあちゃんが亡くなって、急に「他人」ということを知り、複雑な気持ちになったことを今でも覚えています。

誰がなんと言おうと

私にとって、おばあちゃんは本当のおばあちゃんです。


なぜ、みんなの当たり前や法律で、勝手に「家族とは」という感じで判断されるのか?


ということが、嫌でした。


今回の企画を知って、それぞれの「理想の家族」があっていいと言える世の中になってきたことを感じています。


100人いれば100通りの理想の家族があっていいこと。


それを誰にも否定されずに「そうなんだ」と受け止めてもらえることで、少しずつ価値観は変わっていくのかもしれません。

いろんな人の理想の家族、私も知りたいなと思います。

#日経COMEMO #理想の家族

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