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難経(なんぎょう)第三難

最初に一難と二難の復習から。
一難は五臓六腑の状態を、なぜ手首の3か所の脈で見るのかということと、いわゆる正常な脈の様子が書かれてましたね。
続いて二難。これは一難で触れた、3か所を詳しく解説してました。

では本題の第三難。

ここでは、脈が正常よりも頻回の場合と、その逆に正常に満たない打ち方をしている場合を説明しています。

特に、寸と尺の脈が、頻回なのか、少ないのか、力がありすぎるのか、力が弱くて触れることができないのか、さらには寸や尺で深さはどうか、など。

書き下しです。

三難に曰く、脈に太過あり、不及あり、陰陽の相乗あり、覆ありあり、関あり格あり、とは何の謂いぞや。
然り。関の前は、陽の動なり、脈はまさに九分にして浮を見わすべし、過ぐる者は、法に太過という。減るものは、法に不及という。遂んで魚に上るをとなし、外に閉ざされ内に格まる、これ陰の乗ぜし脈なり。関以後は、陰の動なり、脈はまさに一寸にして沈を見わすべし、過ぐる者は、法に太過という。減るものは、法に不及という。遂んで尺に入るを覆となし、内に閉ざされ外に格まる、これ陽に乗ぜし脈なり。故に曰く、覆・は、これその真蔵の脈なり、人病まずして死すと。

真蔵の脈というのは、五臓の脈だけという意味で、要するに、ベースとなる胃気(平たく言えばエネルギー源)がないもの言います。

では、実際に脈をとるとどうなのか

脈を診るときは、診てもらう人と診る人、それぞれの脈をはっきり区別する必要があるんです。
診る人自身の指先の拍動を、相手の脈と勘違いすることも結構あります。
そして脈を診て、こうした難経に書かれた状態を区別判別するのは、なかなか至難の業といえると思います。

いわゆる個人差、素体の状態、脈を診る3か所×両手×3つの深さ、この実質9か所の脈の違い、正直言って、わからないですね。

深さによって、今日は一番奥が触れにくいなとか目で見るだけで脈打っているのがわかるな、というのはわかりますが、寸と関と尺で、どこまで客観的な差異としてとらえられるか、、、、。

日々悩ましく思うところです。

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