見出し画像

【短編小説】#9 ナイトハイキング

もうすぐ梅雨入りする初夏のある夜。私はスマホ持ってナイトウォーキングに出かけた。田舎なので街灯が少なく近所の通りを歩く際は工場や倉庫の明かりを頼りにするのが安全なんだけど、遮るものが少ない田舎だからこそ晴れた夜は月光があたり一面を隈なく照らしてくれるのでテンションがめちゃめちゃあがる。

私の歩くルートは歴史の道からはほど遠いんだけど、世界中の土地のどこもかしこも長い時代を見つめてきたのでなにかしらそれなりの遺跡や伝承などがあるはずだ。例えば小川のような小さい流れにかかる橋の欄干には江戸時代に作られたことがわかる定礎が残っていたりするのだが、多くの現代人は気づいたり気に留めることもない。私はその礎にそっと手を触れて、当時の橋がかかったときに喚起した地域の群衆の体温を感じ取れるのか試してみる。石だから冷たいのはあたりまえなんだけどね。それでも長い年月を経た時は一瞬で埋まる。そんな小さな発見を楽しむのがナイトウォーキングを一歩すすめた「ナイトハイキング」だ。

単調になりがちなウォーキング運動にたまに歩を止めて景色や景観を楽しむ散歩や散策を組み合わせることで、運動によるストレス解消効果と地元の歴史を探訪する知的欲求が満たされるため歩くのがより楽しくなるのだ。私はもともとロングウォーカーだったので多いときは一日に20kmから30kmくらい歩くこともあったのだけど、ナイトハイキングを実践するようになってからは30分程度のウォーキングでも十分気持ちが満たさせるようになった。ちなみに健康効果としてはあまり長く歩かないほうが体にいいらしい。

月光浴をしながら歩いていると今まで見えなかったものが浮かび上がってくることに気づく。日中の街は視界いっぱいにこれでもかと景色が飛び込んでくるので眩暈のようにくらくらすることもあり、本能的に取捨選択しながら情報量をコントロールしていたんだと妙に納得してしまう。例えば車道と歩道を分離するガードが月明りで影を落としてところに目をやると、アスファルトの小さな隙間からたんぽぽの花が飛び出す様に手を広げている。ガードされている場所だからこそ生きられているんだ。

夜ならではの話として対向車のライトが眩しい問題がある。ロービームならまだしもハイビームで真正面から照射されてしまうと歩くことも困難な状態になり歩を止めてしまうことも。くっきりと私の体の線が現れると共に運転手はロービームに切り替えてくれるけど、道交法でも安全面でも実はハイビームで走行してくれたほうがお互いに良いはずなのだ。これについては衣服に反射シールなどを組み合わせることである程度解決できること学んだ。

歩くルートも結構重要だ。日中ならどんな歩き方をしてもいいんだけど、夜ともなるとゴールの演出には気を付けたい。ハイキングの途中に寄り道が長くなってしまうと帰宅時間もそれなりになってしまうので車通りがほとんどなくなってしまうこともある。近所の国道や県道をハイキングの終盤に設定することで多少なりとも安全は確保できるし、まるで現実世界に帰ってきたような感覚が味わえるのでおすすめだ。逆のルートだと闇から脱出してきたような感じになっちゃうからね。

* * *

さて、今夜も夕食を済ませて準備体操をしてからナイトハイキングを楽しむことにした。もう使わなくなった古いスマホのカメラのストロボを懐中電灯代わりにして首から提げる。いつも通り近所の古びた寂しい路地に飛び出すと早足で駆け抜けていく。途中、横断歩道の押しボタンをひと差し指で押すと車が次々と止まる。たった一人の人間が道路を横切るのにこんなにも車を止めてしまうのは気が引けたけど、仮に信号がなかったとして横断歩道の前に立つ人を見つけても車が止まってくれるとは到底思えない。そう自分に言い聞かせながらちょっとした優越感を覚えつつ、横断歩道を大股で歩くと広場のような広いエリアに差し掛かる。そこはひと昔前の悲しい日本の歴史の一部としてほんの少しの時期に存在した場所だった。

ドッドッドッド ブルブルブルブル ドッドッドッド

突然聞こえてきた大きな音のする方向を見上げると月の下に大きな航空機の機影が見えた。航空自衛隊の夜間訓練かな? 月明りの逆光で眩しいのをこらえて目をこらすと、双発のプロペラ翼を携えた濃緑色の機体があらわれた。後方には大きな日の丸が描かれている。私は航空機については疎く、当然ながら軍用機などについては知らないことばかりなのだが、祖父が零戦の製造工場で働いていたこともありその存在だけは知っていた。しかしこの機体はそれよりも一回りはゆうに大きい。後から調べてみると、その特徴からこの軍用機は旧海軍の双発夜間戦闘機『月光』であることがわかった。

月光は、日本海軍の夜間戦闘機。
月光に装備された斜銃とは、機軸に対して上方または下方に30度前後の仰角を付けて装備された航空機銃である。利点は敵重爆撃機の弱点(後ろ下方からの攻撃に弱い)に対し攻撃占位運動が容易であること、攻撃態勢保持時間が長いことが挙げられる。月光はこの斜銃により、主にB-29などの重爆撃機の邀撃任務で活躍した。

wikipedia:月光 (航空機)より

なぜ旧軍の、しかも海軍の軍用機がこの内陸の上空を?

私が夢を見ているのはあきらかだった。しかし目の前の軍用機は実にリアルだ。飛行帽を被った旧軍の搭乗員の姿まで見える。前方にはゴーグルをしっかりと装備したパイロットの姿、後方には少しリラックスしたおそらく偵察行動や射撃を行う要員の姿が。そうしてその『月光』は私の頭上を何度も旋回するとやがて風防を開けて私に向かってハンドサインを送ってきた。私はその意味がわかるわけもなく無我夢中で両手を大きく広げて手を振った。すると二人の搭乗員は敬礼のポーズをとって風防を閉めて、一度だけ頭の上を旋回をしてから月の中に静かに消えていった。

『月光』は複座の夜間戦闘機で、月明かりに照らされて浮かび上がった旧アメリカ軍の爆撃機B-29の姿を見つけて邀撃作戦を実行していたそうだ。やっぱり月の光の下では今まで見えなかったものが浮かび上がってくるのだ。そしてその『月光』は敵機邀撃に向かう様子はなく、基地に帰投するでもなく、それはまるでまだ見たことのない日本各地を旅してまわっているような姿に見えた。戦争が終わり平和な世の中になった今、もしかしたら彼らは月光の下で愛機とともにナイトハイキング・・・・・・・・を楽しんでいるのかもしれない。

あの機影を見かけたのはその夜だけで、いまは夜空に夜間飛行スケジュールで訓練を行う航空自衛隊のジェットの音が聞こえるだけだ。しかし私が気づかないだけで、もしかすると月のない夜は闇に紛れてすぐ近くまで遊びにきているのかもしれない。二人の機影を再び見ることが出来るとすれば私には『月光』に会うためには月光が必要なのだ。そして私は彼らに伝えられなかった言葉がある。

「いまの日本は平和だよ! 平和な日本を楽しんで行って!」

その言葉をいつか彼らに伝えられることを信じて、今でもときおり月光の下をナイトハイキングする習慣が続いている。あの頃の彼らにとっては非日常な月の明かりをどう感じていたんだろう。おそらく彼らが敬った月のまわりに彼らは金の星となって、今でも月に話しかけているんじゃないかな。

「日本の平和を一緒に守ってくれてありがとう! もうしばらくだけ、明日の日本を一緒に見守ってください」

いつの世でも思いはひとつ。

——世界のどの場所にいてもどの時代にいても、人類はみな等しく同じひとつの月を見上げてきたのだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?