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母の日に飾る赤いカーネーション

今年も母の日に赤いカーネーションを買って飾っている。いつも天国で見守ってくれているお母さんへ。
お母さんが亡くなったのは8年前。亡くなったことを話しているのは親しい人達だ。もちろん、聞かれたら話すけど、自分からあえて話すことはない。
話しをすると色々思い出して泣きそうになるし、優しさで言ってくれる言葉も、時にすごくしんどく感じてしまったりする時があるから。そして、それが優しさからくる言葉とわかっていても、受け入れられない時もあるから。それで当たり前だと思っている。その時の心の状態は人それぞれだし、どう感じているか、どう感じとるかもまた人それぞれ。だから、時には心が受け入れられない時もあると思う。私も今までそうやって、言葉をかけたことで、誰かを傷つけてしまっていることもあったと思う。
だから、色々言ってくれた人達にはそれはとても感謝している。もちろん救われたこたもたくさんある。
でも、そういった複雑な気持ちがあるから、そんな気持ちまでも話せる友達に話をしている。ただ、今日は母の日ということもあり、noteだと、実際に顔を知っているという人がいない(1人濃い仲の友がいるけどw)。
だから、ちょっと素直な気持ちを書いてみようと思った。

人間いつかは、、という言葉があるが、身近にいる親は何故かずっと生きていると思っていた。勝手に。だけど、そうじゃないってことを身をもって感じた。「人間いつかは死ぬ」ということを。だから、まわりの人たちを大切に、そして自分自身も大切にしていきたい。

お母さんはお花が好きで、家の前に沢山花や、植木を飾っていた。季節の花を買うのも好きだし、本も好きでコーヒーを飲みながらよく読んでいた。もちろんダンスも好きで、家の中で一緒に足をあげたりしていたw。たぶん、こーゆーところ、お母さんに似たかな。もちろん、薄顔のところや、笑いながら吹き出すところ、自分の意思が強いとこはお父さんに似てるかな。両親への感謝はここでは書ききれないので、またいつか書いていこう。

今日は、そんなお母さんが生前に買って育てていた胡蝶蘭の話し。「胡蝶蘭は、なかなか咲かせるのな難しいのよね。寒さにも弱いし、蕾がついても咲くというのがなかなかないのよ」と言っていた。本当にお母さんが毎日手入れしていたが、最初の一年は確か蕾くらいで咲かなかった。そして、そこから1年2年、、と毎日手入れをして1つ2つ咲くことはあったが、なかなか自慢して、綺麗に咲いてたよ!!って時は無かったように思う。その時、私はすでに実家を出ていたので、家に帰る時に胡蝶蘭をみたり、帰れなかった時は写真をみたり話を聞いたりしていた。「やっぱり花も生きてるね〜。満開にはなかなかならないね〜」なんていいながら。そして、満開を迎えないままお母さんは天国へと旅立った。その後にお父さんが毎日毎日手入れをしてくれていた。

そして、お母さんが亡くなってから向かえる春に胡蝶蘭は嘘みたいに華やかに咲いた。私たちは、絶対お母さんやね!!此処にいるねと喜んだ。それは単純に思い込みかもしれない。でも思い込みでも良い。だってずっと満開では咲かなかった胡蝶蘭が咲いている。お父さんが毎日想いながら水をやってくれていた。お母さんは此処にいる。そう思えることで、少し心が安らいで、少しほっとする。そしてお兄ちゃんが「で、何の花やっけ?」といって吹き出す。心がほんのりほころんだ。そうやね、いつも近くで見てくれているから、元気に生きないとね。たくさん、反抗して喧嘩して、迷惑も心配もかけてきた。それでもいつも子供達や周りのことを想ってくれて、こんな大人になるまで、育ててくれて感謝しかない。生きている間に少しでも感謝を伝えられていたのかな。もっとたくさん伝えたかったな。本当にありがとう。

今年は緊急事態宣言で、3月も4月も5月も実家には帰れていない。だから、実際に胡蝶蘭を見に行けてはいないけれど、周りの人達や色々な支えがあって、今年もこれでもかというくらいに元気に咲いていた。心にまで飛び込んでくる満開の写真。

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いつも、いつも、いつも、ありがとう。お母さん。お父さん。周りの大切な人たち。

小さい頃に、なんでカーネーションは白と赤があるの?と聞いたら、白はね、亡くなった時に飾るものなのよとお母さんが教えてくれた。だから、いつもそばで見てくれている、心に生きているお母さんに、私は今年も赤いカーネーションを飾っている。見えてるかな。赤いカーネーション。 母の日って良いね。


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