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赤の他人のお墓参り

私はスピリチュアルに対して比較的明るい方だと自負している。

21歳のころには占い師をバイトでやっていたぐらいだから、前世とかなんとかは信じている方だ。

とはいえ、霊感があるとかオーラが見えるとかでは全くない。ただただ、自分の事について他人に解説されるのが面白かったり、自分の好きなものの共通点を見出すとき前世という言葉が都合よかったりするだけだ。

だからきっと、私がヨーロッパのお墓がすごく好きなのも前世と何か関係があるんだろうと勝手に思って旅の中での赤の他人のお墓詣りを正当化している。

正直に言うと、自分でもこの趣味はなかなか気持ち悪いと思うからあまり人には言わないが私のヨーロッパの旅の中で時には大きなウエイトを占めるのでここで一度話しておこうと思う。

はじめて旅の中でお墓参りをしたのは、確かフランスのニースに行ったときだ。

フランスのニースにはエズ村に行くために滞在したといっても過言ではない。

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ニースからの旅といえば、モナコが有名だか私はモナコではなくエズを選んだ。

エズは鷲の巣村と呼ばれ、地中海を臨む南フランスのコートダジュールに位置している太陽にとても近く温かい場所だ。

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私が訪れたのは2月で、ニースに来る前まではイタリアにいてかじかむ思いをしていたのでニースに入ってからは春を思われる温かさでうららかな気持ちになっていた。

そんなニースよりもさらにポカポカと太陽の温かさを感じられたのがエズだった。

エズはくねくねとラビリンスの様な道が広がり、気分はさながらおとぎ話の中の少女になったように、わくわくしながら冒険を楽しめた。

天辺にはサボテンの植物園があり、そこから眺めるニースや地中海は最高だった。

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ポカポカで眺めも最高なエズをたっぷり堪能して、天辺でサボテンを眺めて下る途中、見つけたのが小さな墓地だった。

お墓の数は確か50もないぐらいで、ヨーロッパならではの豪華絢爛なゴシック調のお墓ではなく、繊細な彫刻が気持ち程度に掘られた墓石が多かった。

貴重な旅の時間だ。赤の他人のお墓詣りをする予定なんてもともとなかった。

なのに吸い込まれるように墓地に入ってしまった。

もちろん観光客の多いエズで、墓地にいるのは私ひとりっきり。とても天気のいい日だったけど、墓地は日陰になっていてすこしひんやりした。

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墓石には生きていた西暦と名前と何か一言のようなものが書かれていて、どれも年季の入ったような風貌が印象的だった。

お墓なもんだから、別に綺麗とか感動とかそういった感情はまったくない。なのになぜか夢中になって墓石に書かれた西暦と名前を隅から隅まで見て回った。

特に1600年代以前のものがあるとなぜかうれしい気持ちになる。

こんなに昔に生きていた人と同じ空間の中にいるのかぁ。

そんなことを思いながら、一番古い西暦の人を探した。

海外のお墓は日本の墓地のように閉鎖された空間ではなく華やかな場所が多いが、この墓地に関してはそこまで頻繁に人の出入りがある訳でもなさそうで、そのおかげもあって私はじっくりお墓参りをした。

こんなことは霊感が1ミリもない私だからこそできることなんだろう。と旅先でお墓参りをするたびにしんみり感じる。

何にせよ、これが引き金となりヨーロッパ旅ではお墓参りが準レギュラーになった。

クロアチアの旅に関しては、行きたい場所第2位に墓地を入れたぐらいだ。

クロアチアのザグレブにあるのがヨーロッパ1美しいと呼ばれるミロゴイ墓地。ザグレブの観光スポットを探しているときに見つけて、絶対に行きたいと思った場所だった。

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約2,8000㎡の広大な敷はまるでお城のような建物で囲まれていて、美しい彫刻や絵画が静かな眠りを見守っているようだった。

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この墓地は本当に華やかで、観光客も私以外に1組いたし、本当にお参りしているおばあちゃんも数人見かけた。

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太陽の光がさえぎられることなく当たる、とても気持ちのいい場所だった。

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何よりお墓がものすごく多くて、見ごたえがあった。

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墓地の中心にあるのは最近造られたような近代的なものが多かったが、墓地を囲む建物に作られている墓碑は古いものも多かった。

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ミロゴイ墓地にはキリスト教だけではなく、正教、ユダヤ教の人々も眠っているから、さまざまな文化がみられるのも面白かったし、亡くなった後で文化の壁を越えて穏やかに時を刻んでいるこの場所が私はとても気に入った。

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ローカルに混ざってクロアチア語しかないバスに乗ってわざわざやってきた甲斐があった。

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改めていうが、私は霊感とかそういった能力は一切ない。だけど、前世とかスピリチュアルに関しては明るい方だ。

お墓に書かれたそこに眠る人が生きていた年をなぜか熱心に見て、何かを探しているのには、何かきっと私の遠い記憶が関係しているんだろうとちょっと乙女なことを考えながら赤の他人のお墓詣りをしている。

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