見出し画像

私ができること

タイの瀧澤です。
先日、11歳の娘と寝る前に話をしていた時のこと。
「昨日算数の宿題するのを忘れちゃって」「あら」「今朝、授業の前に急いでやった」「そうだったんだ」「だから、今日は忘れないように帰りのバスの中でやってきたの」「自分で忘れない方法を考えたのね」「うん」
という会話がかわされました。
自分の行動の結果を自分の責任として捉えて、改善策を考え対処できるように成長しているのだな、と娘の成長を嬉しく感じました。また、そんな彼女の話を受け止め、穏やかに会話できるようになっている自分の変化にも気づき、嬉しく思いました。

というのも、以前の私は、娘が話しかけてくれるとつい小言を言ってしまい、会話を中断させてしまうことが多々ありました。例えば、娘が「宿題を忘れた」と言えば、「何で忘れたの?」「帰ったらすぐにやりなさいと言ったでしょ」と、忘れたことに口うるさく反応していたため、娘は不機嫌になりそこで会話が終了するという具合です。

私は、娘が幼い頃から、快適にすごせるようにと色々なものを持ち歩き、危険な目に合わないようにと世話を焼き、少し大きくなってからは幼稚園や学校の準備も手伝い、こうしたら、ああしたらと色々なことに口出しを続けてきました。
当然学校の宿題も、忘れて困るといけないから、「早くやってしまいなさい」と声をかけていました。小学校に通い始めた頃は、私が言うとおりに帰宅後すぐに宿題をしていました。

しかし慣れてくると、「すぐにやりなさい」という私の言葉に対して、「あとでやる」とすぐにはやらなくなっていきました。取り組んだとしても、心ここにあらずという感じでとりあえず終わらせているという様子。私の中にはやるべきことは先に終わらせるべきという考えがありましたし、後回しにして終わらなかったらどうするの? という心配もありましたので、何かが違うと感じつつも、先にやる習慣をつけるのは親である私の役目、娘が困らないように声をかけるのは私の仕事、と思って口出しをし続けていました。

どうしてやろうとしないのか、早く終わらせた方が気分もすっきりするのに、と宿題をすぐにはやらない娘に対してイライラする日々が続きました。そんな時、目の前で「親に言われて嫌々やって終わらせている」状態の娘をみながら、これは果たして娘のためになっているのだろうかと思うようになりました。

そもそも、私が娘に口出しをするのはなぜなのか。それは、娘に幸せになって欲しいからです。彼女が自ら学び、考えて、判断し、行動できるようになることを願っています。でも、その願いから私がとっている行動が、この口出しだとしたら、果たしてそれは娘の幸せな自立につながっているのだろうか、と疑問を持ったのです。
「子どもが自ら考え行動する機会を、親が干渉することで奪ってしまってはいないか」、ハートフルコミュニケーションで責任について学んだ時のことが思い出されました。今、まさに私のしていることはそれだと気付きました。宿題をやらずに困ることも含めて、娘の経験。どう対応するのか、いつやるのか、自ら判断する機会を私の口出しが奪っているのではと。

そう感じ始めてから少し経ったある日、娘に、「私は先に宿題を済ませたいタイプだから、先にやりなさいと言ってきたけど、あなたはどのタイミングでやるのがいいと思う?」と尋ねると、「学校で勉強して疲れているから、家に帰ったら好きなことがしたい。宿題はその後がいい」という答えが返ってきました。
私が小学生の頃、勉強して疲れたと思った記憶がなかったので、そんなふうに思っていたのかと意外に感じたのと同時に、「学校に行って帰ってくること」が日常になっていて、そこで娘が勉強や友達や先生との関係など様々なことで、楽しんだり集中したり気を使ったりしている、という当たり前のことに意識を向けられていなかったな…と気付かされました。「先にやる」という私の考えではなく、彼女の思いを受け入れて、口出しをせず様子を見ることにしました。

口出しをやめ見守り体制に入った当初は、娘がいつ宿題をやるのかと気になっていましたが、寝る前にする時もあれば夕食前にする時もあり、忘れないようにチェックリストを作成していた時もあり、自分なりに取り組んでいる姿をみているうちに、彼女に任せて大丈夫と思えるようになってきました。
前述したとおり、たまに宿題を忘れることもあるけれど、自分で考え対処しています。私が心配しなくても、彼女は自分で考えて行動できるということに気付かせてくれました。私の口出しや小言でお互いに不機嫌になることも減りました。

何回かこの泣き笑い日記を書きながら、私は「自分が正しいと思うことを娘に教えようとし、うまくいかず、なぜこの子はやろうとしないのかと憤る」という自分の行動パターンがみえてきたように思います。
以前はここで思考が止まっていましたが、最近は、まず自分が心配や不安に感じていることに気付き、憤った自分や状況を俯瞰することを意識しています。そのうえで、相手の意見を聞き入れ、どうしたらいいか考えられるようになってきたと感じます。

娘の幸せな自立のために私ができること、それは彼女が自分で考える機会を奪わず、見守ること。つまり口出しをすることではなく、やめることでした。
とはいえ、私もまだまだ成長の途中です。朝の支度、学校の準備、宿題、課題、部屋の片づけ、などなど、ちょっと状況が変わると、つい口出ししたくなりますし、してしまうこともあります。そんな時は深呼吸して立ち止まって「この口出しは彼女の幸せな自立に必要?」と自問しながら過ごしています。

2024年9月23日
タイ/瀧澤かおる
NPO法人ハートフルコミュニケーション認定ハートフルコーチ





この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?