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心の目

奈良の南村です。
このnoteでのリレー走者としてバトンをつなぎ早や2年、今回がラストランとなりました。

親という立場になって14年余、自分とは異なる人格、異なる気質の人間を自分自身と同じように、いや自分以上に愛し、慈しむという心の経験。
この尊い経験を通じて私は自分自身を少しだけ客観的にみられる「心の目」をもつようになったと感じています。と同時に、あらためて自分自身の個性や特徴というものを強く意識するようになりました。

‘感じ方’って、自分の感覚が基準になっていることが多いと思います。
例えば、あの人は“気が短い”とか“気が長い”、“きっちりしている”とか“いい加減だ”と考える時の基準は、「自分と比べて…」ではないでしょうか。
私は小学生の頃からお弁当や給食を食べるのが遅く、友人たちからは「もっちゃりしてるなぁ」と言われていました。駆けっこではクラスで負け知らずだった私は、単に食べるのが他人より少し遅いだけだと思っていました。
社会人になり、どうやら自分が遅いのは食べることだけではなく全体的にゆっくりなんだということに気づき始めました。ただ、仕事の会議などでは、“頭の回転が鈍いヤツ”と思われるのが嫌で、本当は一発で理解できていないことでも分かったような反応をしている自分がいました。

チームで何かを進める時などは、私とは違う速さの時計で事を進めるひともいます。自分の時計しか見ていなかった以前の自分なら、“なんでそんなに急ぐ必要があるの?”ぐらいにしか思うことはできなかったと思います。でも、私のとは違うペースで進む時計があることを知ってからは、時として自分とは違う基準のひとはどう感じるのかな?とか、周りが心配しそうだから早めにやってしまおう…と考えるようにもなりました。

一時は、全てにゆっくりな自分の個性が自分の短所としか映らず、なんとか変えることはできないのかと思ったりもしましたが、無理をしてみてもオーバーペースでなんだか疲れるばかり・・・。
そんな時、自分とはちがうタイプの方から「なむらさんは、ゆっくりだけど物事を深く理解できるのでは?」とか「いつも落ち着いているように見えるから安心するわ」などと声をかけていただけたことが支えになり、私は私でいいのかも知れないと少しずつ思えるようになりました。

自分とは異なる感じ方がたくさんあるということを知り、そして、それらひとつひとつを自分のそれと同じように並べて、眺められる「心の目」をもてるようになったこと。  
この「心の目」こそが、私が今までの子育て人生のなかで得られた最も大切なことのひとつである気がしています。
ひと月先のテストの心配を口にする娘に、“まだテスト範囲も分からないのに何を心配しているの?”という気持ちだったのが、「今から気にかけて準備をしてたら、きっと大丈夫だよ!」という声かけに変わりました。娘はその言葉を聞くだけで少し安心するみたいです。
現在娘は思春期真っ只中、いつか大人になって幸せに自立していくその背中を見送ることを目指して、わが人生の子育て期をまだまだ楽しんで行きたいと思います。

2年間お世話になりました。そして、このブログをお読みいただいている皆さま、ありがとうございます! 今後は一読者として毎週月曜日を楽しみにさせていただきますね。

2018年11月5日
奈良県/南村友子
NPO法人ハートフルコミュニケーション認定ハートフルコーチ


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