障がい、と個性
こんにちは、Heartect Wingsの疾風 遥です☆彡
先ほどこんな記事を見かけました。
私は、障がいを発症してから、「障がいは、個性だ」と感じてきた当事者です。
しかし、それももしかしたら、誰かにとってみれば、押し付けなのかもしれません。
同じ「障がい」と括られても、「発達障害」、「精神障害」、「知的障害」、「身体障害」など様々で、そこから医学的には細かく分類されるだけでなく、当事者一人ひとりの感じ方は様々です。
ゆえに、「ネコ科」くらい「障がい」という括りは大きすぎる気がします。
百獣の王の「ライオン」も、近所をまどろむ「ネコ」も、同じ「ネコ科」ですが、イメージは全く違うのではないでしょうか。
私は、成人を越えてから、障がい者となった身です。
なので、生まれつきや先天的に障がいを持っている方の気持ちは、全く違うものなのでしょう。
私が思う「健常者」は、「障がいを障害」としか思っていません。
中には本当に社会にとって「害」だと信じている方もいるかもしれません。
だからこそ私は、健常者を含め誰しもが持っているはずの「個性」という言葉を使って、「障がいは個性」だと感じているのです。
それぞれ思うことは自由です。
しかし、それを元に差別したり、迫害したり、してしまうのは問題です。
それは、多数決の問題ではなく、仮に理解できない考えだったとしても、「そういう考えもあるのね」と受け入れるべきなのでしょう。(べき、という言葉はあまり好きではないですが)
そもそも、人間のみならず、動物は、自分に価値観が近い、と思う人と一緒にいることで幸せを感じるような気がします。
理屈ではなく、なんだかこの人といると落ち着くなぁ、でも良いと思います。
元記事の中で、「たった数時間の交流会なんかで友達ができるわけない」という気持ちも痛いほど分かります。
同じ「健常児」とて、数時間で仲良くなれない場合がほとんどです。
しかし、それこそ「健常児」と「障害児」を学校でそもそも区別され、交流会という設定までされてしまっては、前提が「交わることのない子供たち」になるわけです。
そんな交流会で、「健常児」も相手を「障害児」として見るし、
「障害児」もまた同様に、どうせ「健常児」と思ったりしてしまうのは、仕方のないような引き合わせ方なのではないかな、と思います。
会う前から、そこには透明な壁が作られてしまっているような感じです。
また、「障がいは、個性だ」という健常者がいるとしましょう。
その人は、障がい者になろうと思ってもなれないわけです。
それでも、「障がい者」と言われる人たちと、「障害」という垣根を越えて、接しようと思ってくれている人なんじゃないかな、と私は感じます。
今まで、「障がい者」として一括りにして隅っこに追いやってきた人たちを、そうは言っても「同じ人間なんだから」と少しでも知ろうとして、現代社会に「障がい者」がいるのは当たり前で、その人なりに楽しく一生懸命生きていることに変わりはないんだよ。ということを発信するために、「障がいは障害ではなく、個性だ」ということで、少しでも障がい者に対する先入観を和らげようと考えているような気がします。
というより、私は少しでもそうしようと考えています。
たしかに、「障がいは個性だ」と言われることに違和感があるのは否めません。
それでも、私は「障害」という言葉が、本当に障害を生んでいる気がしてなりません。
私の経験では、自分の個性を押し殺してまで「健常者」を演じなければいけなかった今まで、を考えれば、障がいとして自分の個性を認めてもらえることはとても嬉しく思います。
「害」って文字が嫌いなんですよ、私は。
自分にとって「害」な人なんて、ある意味たくさんいるわけじゃないですか。
それをあえて害でもなんでもない人たちを「障害者」と呼ぶなんて、と元健常者は思ってしまうわけです。
それを前々から考えていて、
「障がいは個性だ」ではなく、
「障がいは特性だ」というほうがしっくりする気がする今日このごろです。
(特性者、っていう言葉ができても、結局は差別的に聞こえてしまうのかもしれないですけど)
記事の中で、魅力的と個性的を比較している部分がありますが、私の意見をあえて書かせてもらうなら、「個性的」というのは”そういう特性がある”ことを認めてもらう感覚です。(少し距離間のある感じ?)
ゆえに、「魅力的」という言葉は、”好き”とかそういった意味合いがさらに含まれた言葉なんじゃないかと感じるのです。(より距離感が詰まった感じ)
それでも、この記事を読んだことで、私が今まで言ってきた「障がいは個性だ」という言葉で、逆に違和感を覚え、悲しい気持ちになる人もいるのだと気づかされたことは、とても大きかったです。
こうやって、「健常者」から見れば、同じ「障がい者」であっても、「健常者」の中にも様々な人が存在するのと同じように、「障がい者」の中にも様々な価値観や気持ちを持っている人が存在することを、臆することなく表明できるようになったことが、とても大事なことだと私は思います。
元の記事を否定的に書いてしまった部分、またはそう聞こえるように書かれている部分もあるとは思いますが、元記事の意見は尊重され、私の記事も尊重され、お互いに「なるほど」と思える世の中になっていって欲しいなと、感じます。
(きれいごとに聞こえたらごめんなさい。)
疾風 遥でした。
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