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遺骨がない父との別れ方

この記事は、
7月19日、にFacebookの個人アカウントに友達限定で投稿したものです。

反響が大きく、これを読んでくださったお友達それぞれに、いろんな思いがこみ上げてきたようで、温かいコメントをたくさんいただきました。

ぼくの経験をシェアさせてください。

ただ聞いてほしくて。

先週、福岡が梅雨明けした日。自宅療養中だった父が永眠しました。
74歳でした。

父の見送りは、ぼくの中でどう父と別れていくのか、とても大変な時間だった。

というのも、通夜も葬儀も火葬後の骨上げもなかったからだ。

母の宗教上の理由で。

父と対面したのは、葬儀場だった。

花が飾られているわけでもなく、焼香もなにもない。

ただ棺に父が眠っていた。

母に聞くと、「そういうやり方だから」だそう。

にわかに信じがたく、葬儀場の担当者にも聞く。

「はい、お母様の宗教の方々はみなさんこのようにされています」

ぼくはお寺さんに来ていただいて、通夜を済ませて葬儀をするつもりでいた。

勝手にそう思っていた。

何もない部屋に、ただ棺だけがあるその景色は、あまりにも寂しく、あまりにも実感がわかなかった。

母にはぼくの思いや考えを伝えた。

話し合った結果、親夫婦の別れ方を尊重することにした。

しかし、息子として父に何か弔いをしたかった。

母に断りを入れた上、棺の周りに花束と、父の顔の周りにお花を敷き詰めてもらった。

そうでもしなければ、ぼくの中で気持ちの整理がつかなかった。

花に囲まれた父を見てやっと、
「おつかれさん」という思いと言葉が出てきた。

その後の時間は、できるだけ父のそばにいた。

これまでいくつかの葬儀を経験してきたけれど、セレモニーをすることで、気持ちを整理し、別れ、なんとか見送ることができていたのだと感じた。

やっと感情が溢れてきたのは、父がなくなって四日経ってのこと。

何度も思い出すのは同じシーン。

ぼくが社会人になって父と一緒によく居酒屋に行くようになったのだけれど、そのときのオヤジのうれしそうな顔は今でも忘れない。

7年前肺静脈血栓で手術をしたのだけれど、

アルコールはダメだと言われても飲み続け、

タバコもダメだと言われても飲み続け、

再度手術が必要だと言われても断固拒否するオヤジに、

ク◯ッタレのわがままなダメオヤジ、とジャッジしてきた。

今思えば、オヤジの人生をコントロールしたかったんだろうと。

介抱してオヤジを元気にしてやった息子、でいたかったのだ。

老いていくオヤジがゆるせなかったし受け入れられなかった。

でもそれに気づいて2年前にコントロールをやめた。

それからというもの、たまに酒を持っていって一緒に過ごしたこともある。

居酒屋に行っていたときの表情と同じだった。

優しくて愛の塊のような最高なオヤジだった。

父が亡くなった日のこと。

連絡を受けたのは、外出中のことだった。

外を歩きながらいろいろと電話対応していた。

そのとき、50m先で男性が突然バタンと倒れた。慌てて電話を一旦切ってその男性のところへ走っていった。

大丈夫ですかーーっ!!

顔が真っ青で目もうつろ。すぐに救急車を呼んで対応。無事に処置をしてもらえたようだ。

人生でこんなことは初めて。

実は父も、自宅で具合が悪くなり救急車に病院まで搬送され、母と兄が見守るなか息をひきとったらしい。

死に目に会えなかったぼくの悔しさがこの現実をつくったのか。

オヤジがぼくに会いたくてこの現実をつくったのか。

ぼくはその両方が起きていたのかなぁと思う。

救急対応した男性も74歳だった。

初七日も、四十九日も、納骨もないのだけれど、こうやってみんなに気持ちをシェアするだけでも、父との別れが一つ一つできている気がする。
読んでくれて、本当にありがとう。

※2021年7月19日Facebook投稿より

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