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答えてくれてありがとう


私がまだ20代だったころの話。

高校時代の友人と行った京都会館(ロームシアター京都)のコンサート帰りにそのできごとは起きた。午後9時半過ぎの京阪電車に乗車した。
車内の様子は、会社帰りのサラリーマン、コンサート帰りらしき若者たちが座席を埋め、ドア付近にはまばらに人が立っていた。

コンサートの興奮醒めやらぬなか、席に座った私達は盛り上がっていた。
すると隣の車両から怒鳴り声が聞こえてきて、辺りは騒然となった。
声がする方へ目をやると、60から70代くらいの身なりの汚れた男が立っており、異臭を放っていた。


男は喚きながら私達の方へ近づいてくる。そして私の席の隣にいたカップルに「おい、おまえ」と、声をかけた。
男は何度も何度も声をかけたが二人は下を向いたまま男の呼びかけに応じることはなかった。

男は諦めて歩き出そうとした数秒の間に、私は男と目を合してしまった。

やばい。

とっさに視線を逸らしたがもう遅い。

次の瞬間、「おい、おまえ」

声をかけてきた。

私は恐る恐る男の方に目を向けた。男は私に質問をしてきた。だか、呂律が回っておらず「バス」という言葉以外聞き取れなかった。
聞き返す勇気もなく返答に困った。
私は男を見たまま、数秒間黙って言葉を考えた。

沈黙を破ったのは男だった。

「おまえも俺を無視するのか」

なぜかこの言葉だけはハッキリ聞き取れた。だかすごい剣幕だ。

違うの。無視はしていないから。

何か伝えようと焦って口から出てきた言葉はこうだった。

「ごめんなさい。何を聞かれているのかわかりません」

車内に響き渡るくらいの大声がでた。


自分の声にびっくりし、肩で呼吸をしていた。数十秒くらいしてから男を見ると目から涙が溢れていた。

「答えてくれてありがとう」

繰り返しお礼を言われた。
男と私の間に奇妙な友情が、ほんの一瞬だけど確かに芽生えた。人とはきちんと話をしないといけないな。そう思った瞬間、男は違う車両へと立ち去っていった。

友人と顔を見合わせてようやくほっとした。



最後まで読んでいただきありがとうございました。

文章の中に不適切な言葉かと思われる箇所がございますが、緊迫した状況を伝えるために使っています。
ご了承下さい。

自分の価値観がガラッと変わるできごとでした。

しかしこのご時世、さまざまな出来事がありますので、たまたま生きて帰ることができたのかとも思っています。

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