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変化していく書く理由


2008年1月に開講したばかりのエッセイ教室を受講してから早16年目。



ステキな人を紹介するブログ


当時、友人と一緒にブログを開設する話が持ち上がっていた。内容は私達が出会ったステキな人をインタビューして紹介するというもの。

ただ学校の作文程度しか文章を書いてこなかった。私の文章力で魅力を伝えることができるのか?

ならばエッセイ教室に3ヵ月だけ通って文章を学べたら…。ただそれだけの理由で受講を決意した。


はじめに出される課題は「わたし」

自分のことを書くのだか、ただ自分が今後やりたいことを羅列しただけの文章しか書けなかった。

しかも手書きで。

そもそもエッセイをどうやって書いていいのかがわからないまま提出した。


当時は1ヵ月に2回の講座だった。
毎回出される課題を計6回提出した。


課題を教室で読み上げ、受講生から講評してもらう。
講師からは赤ペンで添削と感想を書いて書いたものが返却される。


自分で決めた期限の3ヵ月目。

更新時期がきて、辞めるか否か迷った。まだ何も手応えなく辞めるのか。
もう少しエッセイが書けるようになってから辞めてもいいのでは?
結局、更新することにした。

そして現在に至る。


エッセイ教室と同時進行で始めたブログは、2人で10名ほど紹介した。


インタビューして文章にする。
書いたものを推敲を繰り返し、インタビューした人、友人に見せてOKが出たら投稿する。

この作業にすごく時間がかった。

しかし責任をもって自分の書いた人を紹介するにはこの時間は削れない。


この間に友人はフリーランスで仕事をはじめた。
私もエッセイの課題とブログの両立ができなくなっていき、2人で相談してブログの閉鎖を決めた。



両親のエンディングノートを書く


教室に通い始めた数年後、実母が
アルツハイマー型の認知症と診断された。
京都と東京を行き来する生活が
始まった。

元気でしっかり者の母が、認知症の症状である行動を取りはじめた。


同じ商品を何個も購入する。
お金がない、財布がないと家族を巻き込んで探し回る。
作り話をする。
会話が成立しないなど。


母が認知症のセオリー通りの行動をとっているにもかかわらず、我が家では母は元に戻ると本気で思っていた。

もう少し早く病院に行っておけば…

結局、見兼ねた兄が病院に連れて行き病名がわかった。


京都に帰省した私を見て、母が
母の妹の名前で呼んできた。

普段から一緒に住んでいない私のことを忘れてしまった母。
恐れていた日は案外早くに来た。


そのときにある覚悟ができた。


少しでも母の記憶がある間に、
母のエンディングノートを埋めてしまおう。
実家に帰省した際に、ノートに記載されている質問内容を、私が母にインタビューする。
母が答えた内容を私がノートに書き込んでいく。


自分の母親なのに知らないことがたくさんあった。もっと時間を作って母の話を聞いておくべきだった。


母の人生は楽しかったの?
1番嬉しかったことは何?


私は子育てのアドバイスをもっとして欲しかったよ。
親の子供として甘えていられる時間が尊く感じた。
ねぇ、昔のように叱ってよ。


現在は病院にいる母。
話すことはできず、寝たきり状態である。


父は頭はしっかりしていたが、心筋梗塞で2度も倒れていた。母と同じタイミングで病気になり、入退院を繰り返していた。


おそらくエンディングノートを
自ら書く気力はない。

ならば父のエンディングノートも
話が聞けるうちに書こう。

父にもインタビューをして
私が書き込む方法をとった。



父は邪魔くさがり屋だったので、
時間を作るのが難しい。タイミングを見計らって、ちょっと聞いて書くを
繰り返した。



父は2018年に亡くなったのだか、お通夜に来てくれて親戚に、若かりし父のイケメン写真と、エンディングノートに書いたエピソード披露した。


私の印象に対して父は、
「しっかりしているように見えて
抜けている」と答えた。

「ひどくないですか」

親戚に言うと、
みんな遠慮なく大笑い。

どこからか声が。
「確かに…」


両親のエンディングノートを書いたのがきっかけとなり、義父にもエンディングノートの話をした。

義父は長年日記をつけていると話をしてくれた。

「そこに書き残しているから大丈夫」

義父は文章を書くことが本当は好きだったのでは。はじめて知った。

義父は2017年に亡くなったのだか、
自分の亡くなったあとのことを事前に家族に伝えていた。
最後の最後まで立派な人だった。



意外と世の中の人で、両親の人生話をしっかりと聞いたことがある人は少ないのかもしれない。


【1人娘にむけて、長い長い手紙を書くようにエッセイを書く】


母の認知症発症後、エッセイに対する考え方が変わっていった。


日常の小さな嬉しい出来事を見つけて、切り取ってエッセイとして
書いていく。


あなたの生きている世界は、こんなにも愛に溢れた世界なのだと書き残したくなったのだ。


かと言って、エッセイにはいいこと
ばかりを書くのではなく、子育てで
悩んだことも、私の失敗談、恥ずかしい経験も書いている。



娘は、私が生きている間にエッセイを
読まないかもしれない。

それで良い。

押し付けたくもないから。

もし私が先立って、娘がお母さんに
「あれが聞きたかった」
「これを教えて欲しかった」と
思ったときに、存在を思い出して
くれるだけでいいのだ。

「あそこに書いてあったはず」と。


現在は自分のために書いている


娘は現在、大学4年生。
応援団のチアリーディング部に所属している。
頑張る人を全力で応援する娘と、学生達を見ているうちに自分の書く理由がまた変化した。

今は自分のために書いている。

もともとの性格が、
あーでもない、こーでもないと
悩みやすくて決断に時間がかかる
ところがある。

文章にすると頭が整理されて
スッキリする。
一度、文章にした話を人に話すと整理しているから伝わりやすい。


エッセイに通って10年ほど経ったとき叔母に「なんで続けているのかわからない」と話したことがある。


叔母はこう言った。

「10年続けられるということは、自分に合っているということだよ」

なるほど。


自分の表現方法は、
「言葉で伝える」より「書く」ことなのかもしれないと思っている。



エッセイ教室では50代の私で最年少。まだ若い人扱いをされている。


人生の大先輩から言われた
言葉がある。


実の両親の介護が辛くて、エッセイを読みながら泣いたことがあった。



「歳を取ると、あまり色々な出来事は起こらないのよ。静かな日常よ。
またまだ現役だから色々な出来事が起こるのよ。命を燃やして懸命に生きている証拠よ」


そうか。私は生きているのだ。
色々あって当たり前。そう思えた。


コロナ禍を経て、自分のことを書きたいと思う人が明らかに増えた。
自分の内側に目を向けるようになったのかもしれない。


教室は前半、後半の二部制になり、
定員枠いっぱいとなる人気講座になっている。


今年の5月末からnoteの世界で
発信をしはじめた。


家で眠っているエッセイを少し手直し
しながら投稿している。


フォローしてくださった方々、
スキを押してくださった方々
本当にありがとうございます。

これからも宜しくお願いします。



今回は藤原華さんの自主noteコンテスト「なぜ、私は書くのか」に参加させていただきました。

題目を見て「書いてみたい」すぐにそう思いました。

どうもありがとうございました。

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