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想像と想像と想像 #39

「食事」

最近、あまりお腹が減らない。
減ったとしても、大して量を食べられるわけでもない。
一人暮らしの弊害でもあるのだが、本当に作ることや買うことがめんどくさすぎる日は、1日1食で済ませてしまうことも多々ある。
そんな、1日1食しか食べなかった今日を悔いるつもりでnoteを開いた。

基本的に、人と食べる食事は大好きな人間である。
食べること自体にそこまで興味はないが、誰かと話す時間を作ることに意義があると思う。
この定義に基づいて食事というものを考えてみると、1人で食べることにはなんの意味もないということになる。
非常に薄っぺらい考察ではあるが、絶賛一人暮らし中の人にとっては、結構共感できるものだと考えている。

ただ、1人身であっても、食べることから逃れることは誰もできない。
では、本当の食事の意味とは何だろうか?

食事を作ることが好きな人は、それに付随するという意味で、食べることが好きな人は多いだろう。
残念ながら、僕はこのカテゴリーに当てはまらない。
後片付けが面倒とかそんな次元じゃなく、自分のために時間を使ってまで作ることが全く理解できない。
小学校に教育実習に行っていた頃は、毎日弁当を作っていたのであるが、それは子どものリアクションが楽しみだっただけであって、美味しいものを作ろうなんて気は微塵もない。

僕の考える食べることの意義は、余計なことを考えないようにするためである。

何かをむしゃむしゃ食べながら、明日死んだらどうしようなんてことを考えたとしても、その考えはきっと長くは続かない。
「このハンバーガー後ろから溢れそう」
「味噌汁のわかめを食べよう」
などと、無意識にやっている食事のルーティーンが、無駄な思考を邪魔するからである。

ただ、この定義が成り立つためには、一定の条件があると思う。
それは、無駄な思考を邪魔できるほど、構成要素の多い食べ物であることである。
例えば、サラダや豆腐だけを食べていると、食べていること自体に対する実感があまり湧かず、無駄な思考が入り込みやすい。
その一方で、ハンバーガーやオムライスなどの構成要素の多い食べ物を食べていると、無駄な思考が入り込みにくい。(気がする)

その食べ物自体のカロリーなんかも関係しているのかもしれないが、僕の理解が全く及ばない領域であるため、一旦、というか永久に無視することにしよう。

そうなってくると、僕の好きな食べ物たちは、非常に理にかなっているように思えてくる。
カレー
オムライス
この二本柱は、好きな食べ物リストからは絶対に外せない。
僕自身舌バカであるため、味の濃いものが好きという特徴もあるが、オムライスとカレーは、配分を考えて食べないと、終盤試練が待ち受けている食べ物たちである。
ルーがうまいからといって、そればっかり食べ進めては、終盤白米だけを頬張るわんぱく少年になってしまうのだ。

次に、簡単に作れるものたちでいうと、枝豆とだし巻き卵というラインナップが君臨している。
枝豆は言わずもがな、考えながら食べる食べ物である。
だし巻き卵はというと、味を楽しむのはもちろんのこと、見た目の美しさが他のどの食べ物よりも群を抜いている。
文字通り、その見た目の美しさに舌を巻きながら見入ってしまうほどのだし巻き卵に出会うことが、僕の人生の一つの目標である。

最後に、激辛料理である。
激辛好きというほど辛いものに耐性があるわけではないが、挑戦する前と最中のワクワク感は、付き合う前のお互いに好きだと分かっている状態でのLINEに匹敵する。
挑戦する前も、最中も、どのようにしてこの料理を攻略しようか考えるため、無駄な思考の入り込む余地はない。

これらのことから、食事の一つの目的は、無駄なことを考えないようにするためなのではないかと考えてみたりした。

ここまで読んでくださった方の中には気づいていない方も多くいらっしゃるだろうが、みなさんはこの1700字にも及ぶ文章の中で、僕の好きな食べ物について勝手に紹介されている。

そう、この文章の目的は、僕の好きな食べ物について話すためである。
食事の目的なんて、人それぞれ好きなようにすればいいし、そこまで興味もない。
ただ、興味がない人や、初めて会った人同士でやりがちな、場を持たせるためだけの好きな食べ物トークの新たなフェーズの一つとして、こんな話題はいかがだろうか?

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