メートルジャンパーへの軌跡 #番外編 それが夢となった日
メートルジャンパーという響きがなぜか気に入った。
たぶん、きっかけってこんなもんだと思う。
さて。
メートルジャンパーは中学2年から目指していた夢だった。それが現実的に叶いそうなところまできたのでここまでの道のりでも書いてみたいと思う。
始まりは中学2年。バレー部の身体測定というものがあった。そこが始まりだったと思う。そこで垂直跳びというものを人生で初めて測定した。記憶が定かだと47㎝だったはず。
中学2年の時の身長は160ないくらい。身長がない分、飛べばスパイカーができると信じ込んでいた、、、。
結局中学ではセッターで現役を終えることになった。チームのバランス的に仕方のないことだった。
他のチームメイトがスパイク練習をしている中その後ろでずーっとトス練習。顧問の先生と2人きりでバスのリングに向かってオーバーパスを繰り返す毎日。練習すれば上手くはなる。中学生に忍耐が必要なトス練習は簡単でなかった。不器用な僕によくこなせたものだ。
でも、僕の内心は一度もセッターを受けいたてはいなかったみたいだ。少しでもスパイクの練習ができるとなればすぐさま飛んでいた。セッターのポジションからエースとマッチアップすることが多かったから高さで負けたくないがためにエースを止めようと必死になっていた記憶がある。
たぶんこれを負けず嫌いとでも言うのだろう。
中学生という成長期の渦の中にいる僕はどうやら成長が遅いようだった。身長で負け、自慢だと思っていた運動神経でも追いつけず、ただひたすらに他の人を活かすプレーに徹底していた。空中戦に参加できない歯痒さは中学3年間ずっとあった。
空中戦というバレーボールの真骨頂とも言える戦いに立つこともできない僕は唯一何かの目標に向かってジャンプすることだけはずっとしていた。バスケのリングだったり、木についてる葉っぱだったり、家の天井だったり、、、本当に近くにいた人からすれば蚊のような人だったんじゃないかな。
メートルジャンパーという夢ができたきっかけの垂直跳びから事あるごとに目標を見つけて上に飛ぶ日々は身長もなく運動神経も飛び抜けてない僕の土台を作っていたと言えるだろう。
中学卒業時の最高到達点:285(バスケのボード下)
中学のチームメイトで半分より下で争う最高到達点。
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