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【号外2】日本の新型コロナ対策について英文で寄稿しています@The Guardian

The Guardian紙Opinion欄に寄稿させていただきました。

以下、本人による日本語訳を提供します。

接触者追跡と同調圧力:日本はいかにコロナウイルスを制御したか

 COVID1-9パンデミック時に日本がとった対策は、これまでのところ比較的成功していると言ってよいだろう。本稿執筆時点では、903人の死亡が確認されており、10万人あたりの死亡率は0.72となっている。これは英国(60.14)の8分の1であり、他のG7諸国よりも低い。新規感染者数も低く安定しているおかげで、日本は5月25日に緊急事態宣言を解除した。これまで様々な試行錯誤があった(例えば、日本が多くの批判を浴びたダイヤモンド・プリンセス事件など)。しかし、私たちがいわゆる第一波に、ロックダウンや外出禁止令を出さずに対処できたことから、私たちは成功の秘訣をしばしば聞かれる。

時間のかかる公衆衛生(保健所)の仕事
新興疾患を制御するための第一の原則は、発生を検知し、早期に対応することである。フィールド調査による感染動態の把握が鍵となる。日本は幸いにも469の地方の保健所があり、25,000人以上のスタッフがいて、ウイルスが国内で流行する前から接触者追跡に熱心に取り組んできた。接触者調査アプリがまだないため(患者が完全な情報を開示することを嫌がることを考えると)、接触の追跡は、患者に電話をかけて、過去2週間に会った人の名前を丁寧に尋ねるという、ややアナログで時間のかかるものだった。しかし、このシステムはうまく機能しており、効果的な「クラスター重視アプローチ」を生み出した。

「クラスター」をピンポイントで特定する
初期の段階でわかったことは、患者と接触した人を検査して症例を見つけようとしても、特に効果的ではないということだった。さらに調査を進めていくと、多くの患者は誰にも感染させないが、一部の患者は多くの患者に感染させ、単一の感染源から感染者の「クラスター」を形成していることが明らかになった。そこで、接触の追跡に加えて、患者間のつながりを遡及的に追跡することに着目し、感染源周辺の未認識の症例を発見し、クラスターを特定した。さらに、リンクがない(感染源がわからない)症例数をモニタリングすることで、患者数が指数関数的に増加していることを早期に発見し、政府は国民に早期に効果的に警告を行うことができた。

明確で効果的なコミュニケーション
日本政府には、封鎖や外出禁止令のような強力な措置を実施する法的権限はない。同様に、今回の外出制限も、すべて要請による自主的なものであった。したがって、政府に残されたのは、この病気についての知識を国民にわかりやすく伝えることだけだった。クラスター調査を通じて、「3つのC(3密)」(密閉され、人が密集している、接触が密な空間)がクラスターを引き起こす主要な環境リスク要因であることを認識した。政府は3月上旬から「3密を避けよう」というスローガンを導入し、ピークを遅らせることに大きく貢献したと考えられる。

強い同調圧力
日本を訪れた外国人旅行者や駐在員は、日本人がいかに明文化されていない社会規範に忠実であるかを語る。日本には特別措置法に基づく社会的隔離があるが、政府は人々に家にいるように促すことしかできず、施設の閉鎖を要求することはできるが、違反者は処罰されない。しかし、大多数の人々は自宅にいるように努力し、緊急事態宣言の間、主要都市のショッピングセンターは閉鎖されたままだった。日本が第二の波の可能性があるときに、同じ方法論に頼ることができるかどうかは、まだわからない。

お辞儀とマスク
社会習慣も重要な役割を果たしていた。ハグやキスはおろか、握手でさえも、人を迎えるための西洋風の振る舞いとみなされている。また、多くの日本人は春の花粉症や冬のインフルエンザ対策としてマスクを着用することは普通のことであり、マスクを着用することに抵抗がない。このような社会的習慣が、地域社会での感染効率を下げていたのかもしれない。そして、人々が「新しい現実」を受け入れやすくしていたのかもしれない。


ソフトタッチ・アプローチを考案したスウェーデンの主任疫学者アンダース・テグネル氏は、「もし私たちが現在と同じ知識を持って同じ病気に遭遇した場合、私たちの対応は、スウェーデンがしたことと世界の他の国がしたことの間のどこかにあると思う」と述べたと報告されている。中間的な対応といえば、テグネル氏はこのような日本の対応や習慣を念頭に置いていたのではないかと思わずにはいられない。しかし、私たちは油断できないし、油断してはいけない。東京は今、少しずつ再開している。いわゆる第二波が来ると予想される中で、日本が同じようにレジリエンスを持ち続けることができるのか、また、人々が同調圧力を行使して「新しい日常」に慣れることができるかどうかは、これから見ものである。