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現実創造を障害する〈感情〉を手放す~経験を恐れず積んで行くと生じる仕組みが分かってくる

〈怒り〉が何故生じるのか…とその自分の感情が生じる仕組みを知ることは大事で

〈どんな状況だったりどんな性質を持った人だったり〉に自分は反応してしまうのか…と探っていくと、特定のパターンが見えてきたりします。

そこから自分の過去陥っていた、まだ解消されていない放置していた〈感情〉だったり〈状況〉があってそれらをよく観察して行くと、過去、幼い魂、意識状態だった頃、観えていなかったそれらに対する多角的な見方が今は育っていて、反応していた〈対象〉に対しても成長した自分はそれらへ思慮を深めて行くことが出来ます。

〈感情〉というのは一種の自分に向けた〈サイン・アラーム〉の様なものと捉えることが出来て、仕方なくその時の自分の魂、意識状態に応じた(⇔対応した)〈感情〉に触れる様な〈状況や人の性質〉を持ったものが現れる。

そうやって思慮を深めていくと反応していた〈対象〉に対しても何故それらの〈対象だったりそれらの状況だったり〉が生じたのか……そして何故自分がそれらに〈反応〉してしまうのか……も観えてきます。

何かが生じるのには意味があって 仕組みがあり、それらを多角的に観ることが出来るようになると〈手放しや許し〉が起きて来るように思います。

これらの物事の見方だったり捉え方……はやっぱり経験が必要で…(例えば母親になって子供を育てる経験を経ると母親の立場の気持ちが分かる…など)様々な経験をする中で得られる実感を経てからの、大きく深まり広がりをも得られる観察力や分析力でもあるように思います。

なんだか間違ってる…、とか理不尽だな……と感じられる様なものの中にも、それが生じる仕組みがあり、仕方なく物質世界に生きるから物欲に走るために精神世界は疎かになる場合もある……など分かってくると、その、ドラマから離脱するのか、まだそこに居続けたいのか…というのも選択によって現状を変えることも出来ます。

でも…若い時には得られない物事の見方だったり、思慮があったなぁ~と、思うし、そして、それはそれで仕方なかったな…とも思える。

良い経験も悪い様に見える経験も、多く積めば積むほどそれらの状況や自分自身、対象に対する実感や観察を深めることが出来ました。

長く年月を生きて来たからこそ得られたものが多かった気がします。

経験すること、それが例え失敗とかネガティブに見えるものだったとしても 恐れず経験してゆくことが 物事を観る目を育てて行く様な気がします。


現在の「わたし」を脅かす「時に生じる自分を傷付ける感情」に気付き、埋もらせていたそれらを放置し過ぎず、解消してゆくことはとても大切な作業です。

様々な経験を恐れず積んで行く事が、物事への観察が深まり、多角的思慮と物事の仕組みや解明が得られ、解放され手放され……許し…に繋がって来ます。

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