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想像力は毒にも薬にもなる

(2014年6月3日 0時35分 ShortNoteからの転載記事)

最近思うことは、想像力の大切さ。

どんな人間でも最初から物事を知ることはできない。何かしらのきっかけを持たない限り知ることはないわけだから、どんなに優れた情報サービスが目の前にあるとしてもその情報を必要とする目的がなければその情報を手に入れようとしない。

つまり、ほとんどの人々のが世界の大抵のことを知らないまま人生を終えていくのである。

故に、目の前の問題を解決するために多くの情報があれば正確な判断ができるようになるのだけど大抵目の前の情報を解決する全ての情報は手に入らない。それこそ、そんなことができたら神である。もっと言うと、そんな膨大な情報があっても人間の脳はその情報の洪水から正確な答えを割り出すことはできない。

なぜなら、人間の脳は忘れることで過剰な情報を廃棄しながら新しい情報を更新し、その情報の中から生存するために必要最低限の行動基準を定義する高度なハードディスクを搭載した処理システムだからである。

莫大な情報を処理をするスーパーコンピューター等も一見同じように見えるが人間の脳は決して存在する全てのパターンを予測して最善の答えを出すようには作られていないのだ。スーパーコンピューターは現存する情報処理システムとしては最速かも知れない。しかし、そんなスーパーコンピューターですら正確な答えを導き出すための情報が膨大であればあるほど計算するには莫大な時間がかかる。しかし、目の前で自分が間違えた判断をしたら死ぬかも知れない状況下で人間の脳はおちおち莫大な時間をかけて計算している暇はないのだから存在する重要なパーツを集めて推測と呼ばれる方法によって答えを導き出すのである。

それが想像力なのだ。

この想像力は時として人間の潜在的な能力を伸ばすのに非常に有効であり、可能性を導き出すために絶対的に必要となる能力なのだけど、間違えるとその力は「自惚れ」「過信」を発生させる。「謙虚」という言葉は実はこれを自制する為の言葉といっても良い。ネガティブと捉えられる「能力がない」「不可能」だという考え方も想像力から生み出される。しかし、この言葉も実は裏があるわけで「不向き」「非効率」という想像力の上に発生している可能性が有り、それは「リスク回避」の能力でもあるわけだ。

世の中に蔓延している「ブラック企業」「原発問題」なんでも構わないのだが人間の想像力が無駄にひとり歩きして現実を見落としていることは多数ある。想像力によって人はリスクを回避し、健全な道を模索しようとするわけだが忘れてはいけないのは想像力はあくまで完璧な正解を導き出すための手段でしかなく、答えにはならないということである。

放射能等の言葉が生み出す想像力は過剰なリスク回避の妄想を生み出すこともある。当然その逆もしかりで、安易な安心はけっして最終的な安全な将来をもたらすことはない。

また、結婚という言葉が産み出す幸せそうなイメージも想像力によるものであり、それが現実とかけ離れていればいるほど不幸になる。想像力は人を幸せにもするが安易な想像力は大きな不幸をもたらす。

大事なのは想像力の精度を補填するのはやはり情報と情報の集合体である経験を積む方法しかなく、しかしその情報や経験ですら膨大な量の情報の一部でしかないということ。

だからこそ、常に想像する力を磨かなければならないし、多くの偉人たちが残してきた言葉を知り、理解し、学ばなければならないし、過去の情報や経験にとらわれない想像力による判断力を育てなければならない。

人生に正解はないのと同じように想像した物事に正解はない。

ただ、想像力がなければ私たちは生きていくことができないし、未来に向かって成長することもできないのである。

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