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今世紀コーヒーが美味しくなった話(下)

続き

おいしい豆が栽培されるようになった

20世紀後半、コーヒーの品質は上がらない状況が続きました。なぜなら、冷戦期間中、主要なコーヒー産地は内戦等で政情不安定が常態であり、コーヒー作りどころではない状況が長かったからです。コーヒーの代表的産地である中南米のブラジル、コロンビア、グアテマラ、エルサルバドルなどでは軍事独裁政権とゲリラの戦いが続き、時には激しい内戦になり経済は不安定でした。第2位の産地ベトナムは言わずもがなベトナム戦争がありました。モカコーヒーで有名なエチオピアやイエメンも長く分離独立運動を抱えており内戦の果てに国が分裂しました。冷戦が終わるとルワンダやウガンダなど東アフリカで凄惨な内戦が起き、その影響はタンザニアなどにも及びました。世界のコーヒー産地の政情が安定してきたのは今世紀に入ってからのことです。

冷戦中はこのような世情でしたから、品質を云々する以前にそもそも豆が供給されるかどうかすら怪しい状況が続きました。戦争で供給が減れば消費者は手に入らず、一方世情が安定すると価格が暴落して生産者が苦境に陥りました。アメリカは冷戦下において親米国をつなぎとめるため、コーヒーを必ず一定価格で買い取る国際コーヒー協定という一種のカルテルを作ります。このカルテルはコーヒーの供給を安定させましたが、一方で「必ず一定価格で買い取る」という方針は品質軽視につながります。この時代、コーヒーは国単位で集荷・出荷され、質より量、コスト削減が重視されていました。このため、20世紀後半は良い品質のコーヒーを手に入れようとしても、流通はおろか生産もされていないという状況になり、せいぜい国単位での評価に留まるようになります。

日本でもかつて食糧管理制度があった時代は「農協パールライス」などの形で品質を区別しないコメ流通が行われていました。これはコーヒーの管理統制時代に似ています。1995年に食糧法が改正されると、産地別の食味評価で魚沼コシヒカリ等が注目され、1993年の不作の影響もあり新銘柄の開発が進み、品評会で「特A」を安定して出せる産地のブランド化が進行していきました。コーヒーでも冷戦が終結すると、産地別に風味を評価し産地をブランド化する動きが活発化します。

アメリカでは冷戦期間中からコーヒー品質向上を求める声はあり特に優れた品を「スペシャルティ」として区別する動きがありましたが、冷戦終了後のコーヒー価格下落により産地も付加価値向上を目指し始めます。そして1990年代後半から世界各国で品評会を開かれるようになり、一定以上の得点を得たものをスペシャルティコーヒーとして認定し、高得点が取れる狭い産地(農協または農家)で集荷したものを「シングルオリジン」と呼ぶようになります。

20世紀はジャマイカのブルーマウンテンが有名でしたが、私はこれをシングルオリジンの嚆矢と見ます。ブルーマウンテンはジャマイカの高地産コーヒーで、当時一般的だった国別・標高別分類の範疇に収まるものでしたが、ジャマイカという国自体が日本の都道府県1つ程度の広さしかなく、結果的に今でいうシングルオリジンに近い状況が実現されていました。今のシングルオリジンのブームは「世界各地の隠されていたブルーマウンテン級コーヒーを探せ」と言い換えても言い過ぎではないと思います。

また、21世紀に入ってからは世情の安定やアジアでの需要増大に伴い産地も拡大します。ルワンダ、カメルーン、パプアニューギニアなどが新興産地として発展しスペシャルティコーヒーを生産するようになってきています。従来の産地でも高付加価値化を目指し、風味がよい品種への植え替え、栽培法や脱穀方法の工夫が進み、品質の底上げにつながっています。

21世紀のスペシャルティコーヒーはブラインドテストによる官能試験を経ており、ハイプではなく実際に味の違いが分かるものとなっています。また価格も不当に高いというほどではなく、コモディティ品質のコーヒーに比べ高々2倍、1杯あたり5~10円程度の違いで収まっています(ゲシャやCOE受賞ロットなど“ベストオブベスト”の銘柄はコモディティの5~10倍程度の値段がしますが……)。むしろ、20世紀のあいだ戦争のせいでコーヒーの品質を低いまま置かざるを得なかったものが、いまやっと回復している過程である、というほうが正しいのでしょう。

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