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話題になっていた「日本語の原郷」論文は「弥生vs縄文は大陸まで広がっていた」という話だった


「日本語の原郷は中国東北部の農耕民」という記事がTLで流れていた。言語学は(専門ではないが)ときたま興味をもって見る分野だったので、元の論文にも当たってみた。


トランスユーラシア語族仮説

上記記事のもとの論文はnatureのこれで、この論文で行われているのは、拡大版アルタイ語族説である「トランスユーラシア語族」説(トゥルク語族、モンゴル語族、ツングース語族、朝鮮語族、日本語族の合併)を大前提とした上で、言語学だけでなく考古学・遺伝学と合わせて年代推定しようという試みである。

語族の構成は古典的には単語の類似性の系統化に端を発しているが、アルタイ語族説/トランスユーラシア語族説は共通する単語が少なく文法・音韻の類似性に頼っており、言語学者でも否定的な見解は多い。

例えば西欧の言語は、ワン・トゥ・スリー/アン・ドゥ・トロワ/アインス・ツヴァイ・ドライ/西ウノ・ドス・トレスは発音的に類似し、多言語の多くの単語をグリムの法則やヴェルナーの法則など規則的な変化で系統化できることが語族・語派分類の基礎になっている。数詞が規則変化で説明可能なことはペルシア語やヒンディー語まで及び、印欧語族説の基礎となっている。

一方で、アルタイ語族とされる言語では、ヒ・フ・ミ/ハナ・トゥル・セッ/ニグ・ホヨル・ゴロヴ/ビル・イキ・ユチと、数詞など基本語彙での共通性がなく、規則的な変化を推測することが困難で、アルタイ語族批判派はこの点を言うことが多い。

言語学:遊牧民説の否定、農耕民説の支持

この論文では、トランスユーラシア語族の語彙セットの最近版を作って分岐を推定し、その結果を分析すると、畑作、機織り、調理の語彙は系統だった比較が可能ではないかとしている。Supplementary Information 5では以下のような現代日本語の語が他のアルタイ系言語と系統だって比較可能であるとして列挙されている。
畑作:畑、黍(きび)、咲く、栗(くり)、早稲(わせ)
機織:機(はた)、針、綯う、染みる、濡らす、むし(カラムシ)、切る
調理:飯(いい)、鍋、甘い、酢、醤(ひしお)、醸す
(なお、本文では3193語を比較したと書いてあるが、Supplementary Information 1を見る限り日本語でまともに多言語と比較可能な語は大してないように見えるが……)

論文の主張は、日本語の原郷は「中国東北部の農耕民」と新たに分かったというより、日本語をアルタイ語族に位置づけモンゴルやトゥルクと同系とするならば、その共通祖先は遊牧騎馬民族ではなく、黍を食べ麻から服を作る農耕民であったとするものである。遊牧民が東進して馬を降りたのではなく、農耕民が西進して馬に乗ったという説となる。

個人的にも騎馬民族渡来説には否定的で、日本語の語彙では牡馬・牝馬・騙馬・仔馬を指す一次語がなく、馬を使うなら必須の去勢関係の語彙は中国からの借用語のみで、馬具もあぶみ(足+踏み)、たづな(手+綱)、くつわ(口+輪)と二次語ばかりなので、遊牧民が日本語の基層を作ったとは考えにくい。

考古学:日本語群と朝鮮語群の分離

考古学フェーズでは、各地の遺跡の石器や農作物、建物等の特徴を分類して文化圏のクラスタリングを行い、その結果を炭素年代推定と合わせるとこで文化の伝播ルートを推定している。

その結果を見ると、新石器時代の6000年前に中国東北部から朝鮮半島への移住があり、5000年前に沿海州へ移住、さらに青銅器時代まで中国東北部~山東半島に居住していたグループが稲作を覚えると、(新石器時代の移住グループとは別の文化をもって)約3000年前に朝鮮半島を南進して一気に日本まで至る、というルートが想定される、としている。韓国から新羅風でないヤマト風の遺跡が見つかることは以前から知られており、それを反映したものだろう。

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論文Fig. 2:左が時代別プロット、右が統計的な文化分類の結果

この論文では、Supplementary Information 4で夫余→高句麗を日本語族に位置づけ、現代の朝鮮語族と対置させている。高句麗の内部資料・中国資料では固有名詞について漢字で意訳したものと音写したものが併記されている場合があり、そこから高句麗語で3→ミ、7→ナ、口→クチ、海→ワタ、白→シロ、兎→ウサギ、谷→タニなど日本語と共通する語彙が多く見つかる(もちろん日本語と共通しなそうに見える単語も少なくない)。高句麗語で意味と発音がわかっている単語全てを他の言語と比較すると、現代朝鮮語より現代日本語のほうが近い。

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論文SI4の弥生時代ごろの推定、青が日本語族、黄色が朝鮮語族

Supplementaryの資料と合わせると、5000~6000年前に新羅や現代の韓国人の祖となるグループが沿海州~朝鮮半島に旅立った後、弥生人の祖先はずっと遼東半島~山東半島あたりにいたが、長江文明と接して稲作を覚えると、稲作適地を求めて一気に南下し日本まで到達した、というストーリーがこの論文から推測される。

なお、日本語族が同族意識を持ち続けたかと言えばそんなことはなく、後にヤマト王権(日本)と高句麗は朝鮮半島の覇権をめぐって戦争を続け、やがて中国が統一されると唐と新羅の連合軍の前に、高句麗は滅び(渤海国として続くが)ヤマトは白村江の戦いで敗れ撤退することになる。

遺伝学:朝鮮半島の縄文人

この論文では、遺跡に埋葬されたサンプルから古代人のゲノムの比較を試みているが(できるんだ、というのが私の実直な感想)、そこから、朝鮮半島南部や宮古島の長墓遺跡に縄文人がいたという結果を示している。宮古島の縄文人ほうは、日本の稲作の起源が台湾方面のオーストロネシア語族沖縄を経由したルートの否定だとしている。

この結果を遺跡の結果と合わせると、少し違う画面が見えてくる——この論文で主張される史前日本は、「弥生vs縄文は九州~本州という本来の装丁範囲を超えて、八重山、朝鮮半島、中国東北部まで広がっていた広域の文化事象である」となるかもしれない、ということである。

ただ私が読んだ感想としては、基本語彙となる数詞の著しい変化が6000年で起こるか?という疑問は消えないし、弥生と縄文の融合があくまでアルタイ語族/トランスユーラシア語族が存在するという前提での話のようにも思える。

なお、この論文では縄文人をアイヌと仮定しているが、アテルイなど蝦夷(えみし)はアイヌと同系統かもしれないが、縄文人がアイヌと同系統かは言語学的に利用できる資料も残っていないし確定的ではないとも思っているので、この結果が縄文人の系統について語るものではないように思う。


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