日本の稀代の自由人たる柄谷行人 その1

今回は, 柄谷行人を思想家として認識させるに至らしめたと言える, 『トランスクリティーク カントとマルクス』(岩波現代文庫, 2010年)という著作についてその内容を, 序文の徹底解説という形で, この記事で行おうと思う.

1 目次の紹介

『トランスクリティーク』の目次は次のようになっている.

序文

イントロダクション トランスクリティークとは何か

第一部 カント

 第1章 カント的転回

  1 コペルニクス的転回

  2 文芸批評と超越論的批判

  3 視座と物自体

 第2章 綜合的判断の問題

  1 数学の基礎

  2 言語論的転回

  3 超越論的統覚

 第3章 Transcritique

  1 主体と場所

  2 超越論的と横断的

  3 単独性と社会性

  4 自然と自由

第二部 マルクス

 第1章 移動と批判

  1 移動

  2 代表機構

  3 恐慌としての視座

  4 微細な差異

  5 マルクスとアナーキストたち

 第2章 綜合の危機

  1 事前と事後

  2 価値形態

  3 資本の欲動

  4 貨幣の神学・形而上学

  5 信用と危機

 第3章 価値形態と剰余価値

  1 価値と剰余価値

  2 言語学的アプローチ

  3 商人資本と産業資本

  4 剰余価値と利潤

  5 資本主義の世界性

 第4章 トランスクリティカルな対抗運動

  1 国家と資本とネーション

  2 可能なるコミュニズム

以上である.

2 トランスクリティークとは何か?

この言葉に関する説明を柄谷にしてもらおう.

「私がトランスクリティークと呼ぶものは, 倫理性と政治経済学の領域の間, カント的批判とマルクス的批判の間の transcoding, つまり, カントからマルクスを読み, マルクスからカントを読む企てである. 私がなそうとしたのは, カントとマルクスに共通する「批判(批評)」の意味を取り戻すことである. いうまでもなく, 「批判」とは相手を非難することではなく, 吟味であり, むしろ自己吟味である」(2ページ)

批判の意味が非難でないというのは, 西洋哲学に触れたことのある人間ならば常識なのであるが, 日本の経済学部を卒業しているやつでこれを知らないドアホがいるのは, 酷いじょうきょうなのだ. 誰のことかって?京都大学経済学研究科?修士課程にいる, 経営者さん(https://twitter.com/KimuraYu45z)がその一例である★

さて, 問題は一文目である. transという言葉は, 相手側という意味を持つ接頭辞であるから, カントだけでカントを読むことも, マルクスだけでマルクスを読むことも, transな批判には全くならない. どの二人を選ぶかは自由であるものの, 少なくとも, 一人の著述家と一人の解釈者という構図では, 決してトランスクリティークにはならないということが, 読み取れることが大切である.

3 序文の解説

「私がカントとマルクスを結びつけるようになったのは, このような新カント派とは何の関係もない. 私はむしろカント派マルクス主義者の中に, 資本主義に関する認識の甘さを見いださずにはいられなかった. 同じことがアナーキスト(アソシエーショニスト)についていえる. 彼らの自由の感覚や倫理性は賞賛に価する. が, そこに, 人間を強いる社会的な関係の力に対する理論的な把握が欠けていたことは否定できない. そのため, 彼らの試みはつねに無力であり悲劇的に終った. 私は政治的にむしろアナーキストであり, マルクス主義的な政党や国家に共感をもったことは一度もなかった. にもかかわらず, 私はマルクスに深い敬意を抱いていた. 」(3ページ)

新カント派と呼ばれるものが何かについては, https://kotobank.jp/word/%E6%96%B0%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%88%E6%B4%BE-81447 の説明を引用することで説明とかえさせていただく.

「19世紀中期,O.リープマンの「カントにかえれ」 (『カントとそのエピゴーネン』〈1865〉) をはじめ,E.ツェラー,F.ランゲ,K.フィッシャーらによる同様の主張をきっかけとして,1870年代から 1920年にかけて,主としてドイツを中心に起ったカントの批判哲学再興の運動で,その批判精神の再興の仕方によって,いくつかの傾向に区分される。前期の学派としては,生理学的,心理学的傾向 (H.ヘルムホルツ,ランゲ) と批判的実在論の傾向 (A.リール) があげられる。後期は,マールブルク学派とバーデン学派 (西南ドイツ学派) に代表される。前者は H.コーエン,P.ナトルプ,E.カッシーラーらが中心人物であり,後者の代表者は W.ウィンデルバント,H.リッケルト,E.ラスクらである。そのほか,J.フリースの『新純粋理性批判』 (1807) のあとをうけ,ゲッティンゲン大学の L.ネルソンらによる新フリース学派のカントの心理学的解釈,G.ジンメルによる相対主義的,社会学的解釈などがあげられるほか,フランスでは C.ルヌービエ,O.アムランらにその影響がみられる。」

柄谷の問題意識としては, カントとマルクスを結びつけている先人はいたにはいたが, それの結びつけ方に, トランスクリティークの仕方に不満があるということなのである. だから, 自分がトランスクリティークをしてしまおうということを柄谷はおそらく, 意識していたのだろう.

「私は, 形而上学の批判などというよりも, 人間的理性の限界を容赦なく照明することによって, 実践的な可能性を示唆しようとしたもう一人の思想家を意識するようになった. 『資本論』はヘーゲルとの関係で読まれるのが常であるが, 私は, 『資本論』に比べられる書物は, 一つしかない, それはカントの『純粋理性批判』だ, と考えるようになった. それが, 私がマルクスとカントを結びつけるようになった理由の一つである」(4ページ)

マルクスの『資本論』は, ヘーゲルの『小論理学』という著作の弁証法を巧みに利用して, 文学や哲学, 神学や経済学を総動員して書かれたものなのである. だから, ヘーゲルとマルクスをトランスクリティークする人は数多くいるのである. が, 柄谷の慧眼は, 『資本論』とトランスクリティークされるべき作品は, カントの『純粋理性批判』において他はない, と言ったところにある. その理由は, 柄谷の問題意識にそうと, 両者こそ, 人間存在の理性に対して, あるいは現実に対して批判をし尽くしているといえる書物であるという理由である.

「私がカントを読み始めたのは, いわば, 「ヒュームへの批判」という文脈においてである. それは, あからさまにいえば, コミュニズムという形而上学をいかにして再建できるかという問題である. カントは言っている. 《だから私は, 信仰を容れる場所を得るための知識を除かねばならなかった. 形而上学の独断論ー換言すれば, 純粋理性に批判を施さないで, しかもこの学において一段の進歩を遂げようとする成見は, 道徳性に反する一切の不信の源泉であり, また実際にもかかる不信はつねに甚だしく独断論的なのである》(『純粋理性批判』上, 同前 [篠田英雄訳, 岩波文庫]). もとより, カントは宗教を回復しようとしたのではない. 彼が承認するのは道徳的であるかぎりでの, また道徳的たらんとすることへの勇気を与えるものであるかぎりの宗教である」(7ページ. [  ]内は引用者による)

要するにカントは, 人間が道徳的になろうとするための愛と勇気を与えるものとしての宗教を取り戻そうとしたのであり, それは柄谷に言わせると, コミュニズムという形而上学の回復を目指したということになるのである. また, 自分の理性に限界はないなどとする形而上学は, 極めて独断論的であるとして, カントはそのような形而上学を批判する. これこそ人間理性への, 限界を見定めるという意味での批判である.

「マルクスはコミュニズムを「構成的理念」(理性の構成的使用)として考えることを一貫して拒否した. したがって, 未来について語らなかった. 彼は, 『ドイツ・イデオロギー』において, エンゲルスの書いた文章に, 次のように書き加えている. 《共産主義とは, われわれにとって成就されるべきなんらかの状態, 現実がそれに向けて形成されるべきなんらかの理想ではない. われわれは, 現状を揚棄する現実の運動を, 共産主義と名づけている. この運動の諸条件は, いま現にある前提から生ずる》(花崎皋平訳, 合同出版). しかし, そのことは, 彼がコミュニズムを「統整的理念」(理性の統整的使用)として保持していたことと何ら矛盾しない. それを「科学的社会主義」などと理論化して語ってしまうことが形而上学であり, マルクスはそれを斥けたのだ」(8ページ)

この引用では, マルクスとエンゲルスが違う思想体系を持っていることが暗示されている. 簡単にいえば, マルクスは現実を形而上学にすることを一切拒否したのに対し, エンゲルスとそれ以降のマルクス主義者は, 積極的に現実を形而上学(それもカントに批判されるような形而上学)に理論化してしまったということが暗示されている. マルクスは限界のある人間理性によってのみ, コミュニズムが構成できるという思想を一切拒否しており, コミュニズムは徹底して実践的=道徳的=現実的な運動であるという認識を保持し続けた, ということを柄谷は述べているのである.

「新たな実践はそれまでの理論を総体として検証することなくしてありえないのである. そして, その理論は必ずしも政治的なものに限らない. 私の考えでは, カントやマルクスの「批判」の圏外に存在するものなどありえない. だから, 本書において, 私は, いかに迂遠なものに見えようと, 数学基礎論から言語学, 芸術, 実存主義にいたるまで, あらゆる領域に踏み込みことを辞さなかった. そのため, 各所で, ほとんど各領域の専門家しか関知しない諸問題を論じている. また, 第一部のカント論と第二部のマルクス論は, それぞれ独立したものとして書かれているため, それらのつながりがわかりにくいかもしれない. そこで, 説明的な「イントロダクション」を付すことにした. もちろん, これは本書全体を要約するものではない」(10ページ)

この引用には, 柄谷のマルクスやカントに関する絶大なる愛を感じさせるものがある. それはカントとマルクスの両者にかかれば, 全ての事象や理論が彼らの批判の対象になるという自信である. また, カントとマルクスについて独立した論考を書いていることで繋がりを見失わせてしまうことを危惧し, 柄谷がイントロダクションなるものを書いているのも, 不思議と愛らしい感じがするのである.

「本書において, 私は資本=ネーション=ステートの三位一体的な構造について述べた. しかし, 国家についてのみならず, ネーションについての考察が不十分であることも認める. また, 農業や発展途上国の経済と革命の問題に関する考察が不十分であることも. さらに, 本書では, 私はその中に育ち且つ考えてきた日本の歴史的文脈にほとんど言及しなかった. 実は, 私はその考察の多くを, 日本のマルクス主義の「伝統」とそれに対する批判的検討から得ている. 私がいう「トランスクリティーク」はそれなしには成立しない. すなわち, 日本と西洋諸国, あるいはアジア諸国の間の「差異」と, 「横断的」移動の体験なしには. だが, そうした論考を省いたのは, 別の本として書いているからである. 私は, 本書では, それらにほとんど触れることなく, カントとマルクスのテクストに即してのみ語ろうとしたのである」(11ページ)

思想家としての柄谷行人を決定づけるアイデアとして, 資本=ネーション=ステートの三位一体構造なるものが, おぼろげながら表現されている. これの具体的な内容については, 『トランスクリティーク カントとマルクス』だけではなくてむしろ『世界史の構造』(岩波現代文庫, 2015年)『帝国の構造 中心・周辺・亜周辺』(青土社, 2014年)に書かれており, いずれはこの本の解説もすることになるかもしれない.

また, 柄谷は別の本で書いているという趣旨のコメントを残しているが, その一つの本として『定本 日本近代文学の起源』(岩波現代文庫, 2008年)を挙げておきたい. この本はこの本で, 話題作ではあるのだが, 今回の記事では解説しないことにする.

「差異」や「横断性」, 移動...これらが柄谷を読む上で決定的に重要な概念であることをほのめかして, この序文の解説は終了しよう.

4 自由とは可能性である

結論的に述べることにすれば, 柄谷の一貫するメッセージの一つはこうである, 自由とは徹底的に自己原因的なものであり, それは人間理性によって制御できるような代物ではない. なぜなら人間理性には限界があるからだ. だからこそ人間は実践的=道徳的=現実的な行動をするということで, 自らの可能性を自由に求めることができるのである.

この論考の次には何が書かれるか, 私もわからないのだが, それこそ自由に考えておきたいと思いつつ, この論考を終えるとしよう.


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