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セーラー服を卒業出来ない私。


『セーラー服とは、卒業するものだ。』

アニメを見たことがある人なら、分かるだろうこのセリフ。そう、キルラキル最終回で鮮血が流子に言ったセリフだ。私は、涙なしには見れなかったシーンだ。その後に流れる1クールのEDが堪らなく良いのだが…今回私が話したい事はキルラキルの事ではない。

私の話だ。セーラー服を卒業出来ない私の話。

本題に入る前に、少し私の昔話を聞いて欲しい。小学生の頃、マセガキだった私は、5つ年の離れたはとこが読んでいた月刊誌の少女漫画に酷く憧れた。積み重ねられた分厚い紙束にキラキラと光る表紙の女の子。私は、その場で手に取り読みたかった。でも、出来なかった。イケナイことのように思えたからだ。

でも、頭の中はそのキラキラした分厚い月刊誌でいっぱいだった。我慢を知らないマセガキな私は、少ないお小遣いを叩いて、今はなき近所の本屋へ駆け込んだ。そこには、いろんな種類のキラキラした女の子たちが私を見つめていた。目移りする中、私ははとこの家で見た月刊誌を手に取りレジに向かった。

心臓の音を弾ませながら、読んだ月刊誌はよく分からなかった。当たり前だ。読み切りや新連載ではない限り、みな途中からだからだ。でも、途中からでもまた続きが見たくなるほど、新しいものに惹かれた。

そこから私の少女漫画脳は始まり、中学生、高校生に憧れを持つようになった。これは余談なのだが、小学生の私は高校生になると皆一人暮らしをするものだと思っていた。当時、私が読んでいた少女漫画の主人公たちは、訳あって皆一人暮らしをしている設定が多かったからだ。21歳の現在でも、実家にいる私を当時の私が知ったら驚くだろうな。

ここら辺で本題に戻ろうと思う。少女漫画脳に育った私は当然、「制服」 と言うものにも憧れた。中学生になったらセーラー服を着て、赤いスカーフを巻いて登校するのだと思っていた。だがしかし、中学生の制服を作るために学生服屋さんに行ったら、あら不思議。私の中学校だけ、ブレザーでした。青いリボンのちょいダサ制服。その場で肩を落としたのをよく覚えている。

それでも、冬服と夏服がある事を知り、私は期待しました。夏服は、セーラー服かと!期待は、あっさり裏切られました。

その後、ちょいダサブレザーを着て登下校をし、近隣の中学生のセーラー服を見ては、ため息をつくを繰り返し中学3年生になり、受験シーズンになりました。

有難いことに、近くの高校の女子生徒の制服がセーラー服だったんです。正確には、セーラー服もどきだったのです。スカーフはなかったけど、襟はもうセーラー服の襟だったのです。私は、その高校に行きたいと思ったのですが、成績も微妙だったので受けることさえ出来ず、別の高校に行きました。

その高校に行ったのは、いいのですが、何かと合わず不登校になり2年生に上がる前に中退しました。

だから私は、青春というものを謳歌しておらず、尚且つ、憧れたセーラー服を着ることさえ出来ずに、私の10代は暗黒期となり終わりを告げました。


私は、セーラー服を着たかった。着て、海辺を同級生と走り回りたかった。海じゃなくても川でも良い!ただ憧れた青春を送りたかったのです。ですが、現実とは厳しいものですね。勉強頑張れば良かったなと本気で思います。

コスプレでも何でも着たければ着れば良い。本当は、分かっています。でも、学生じゃない私がセーラー服を着て、鏡の前に突っ立ってても憧れた学生生活は、ない。あの日惹き込まれた青春はないのです。きっと、虚しくなるのが分かるので出来ないのです。


入学も出来なければ、卒業も出来ない。

おまけに暗黒期となり、謳歌するどころかどん底だった私の青春。

来世あたりは、セーラー服を着て青空の下を駆けずり回りたいですね。

長くなってしまいましたが、これがセーラー服に憧れを持ってしまい、その憧れを捨てきれず卒業出来ない私の話でした。


キルラキルは、オススメですよ!!!!!



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