『中庸』を呼んでいて何となく煩わしいという感覚の理由が分かった。「書き下し文」が目障りだったのだ。中国語を読めるので、わざわざ書き下さらなくてもという思いである。また更に通解も痛快な解釈にあらず。けだし通解は古文そのものである。

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