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【アセクシャルのこと】いわゆる推し活との別れ

「推し」とか「推し活」という言葉が生まれるずっと前、中学生の私はあるアーティストAさんのファンになった。

きっかけはラジオだった。
授業の一環でNHKのラジオ英会話を聴き始め、ほかの局にチューニングを合わせるようになって、Aさんの番組に出会った。
屈託のない笑い声とかっこいい歌声のギャップ、そして何よりリスナーを楽しませようとするサービス精神。
Aさんの存在は、精神的に不安定で暗く沈み込んだ思春期に差し込んだ、一筋の光だった。

毎週、そのラジオを聴くために生きていたと言っても過言ではなかった。
初ライブのチケットも、ラジオ番組中の特別受付電話で取った。

初めてのライブは、パフォーマンスもMCも演出も衣装も、全てが衝撃だった。
すぐファンクラブに入り、貯めていたお年玉をはたいて出ていたアルバムを全て買い、聴き込んだ。ファンとの一体感を大切にするライブは、行くほどにまた行きたくなるものだった。

とっても綺麗に言えば、私はAさんの生き方、精神性に惹かれて、「Aさんみたいになりたい」と真剣に思っていた。

Aさんのファンであった間に、熱愛報道も結婚報告もあった。

結婚したこと自体のショック、というよりは、Aさんのパーソナルな部分が見えた瞬間に、引いて冷めてしまう自分がいた。素直に喜べなかった。
まだアセクシャルという言葉を知る前のことだった。

少しして、今度はアイドルBさんのファンになる。
Bさんの言葉や行動は、とにかくファンへの愛と優しさに溢れていた。それらに触れるたびに、誠に勝手ながら、本当に本当に本当に勝手ながら、私はBさんのことを、自分と同じような人間なのではないか、と思ってしまった。アセクシャルを自認したあとである。

Bさんの結婚で感情がぐちゃぐちゃになった。
いや、自分でぐちゃぐちゃにしたのだ。

ファンは勝手だ。
勝手にファンを始めて、勝手にファンをやめていく。

私は同じような人間に出会えたと、勝手に思っていただけ。勝手に期待していただけ。

私は同じような人間に出会いたいのかもしれない。

アセクシャルという、私のひとつの性質を受け入れてくれた人が周囲にいて、私は安心して過ごすことができる。

ただ、まだ同じような人間には出会えていない。
本当は近くにいるのかもしれない。同じような生きづらさを抱えて生きてきた人間が。

わからない。
出会えたところで、どうしたらいいか。
アセクシャルあるある、みたいなもので盛り上がって笑い合ったり、真面目に将来のことを話し合ってみたりするのだろうか。

わからないけれど、同じような人間がこの世界に生きているという事実を、本や映画が明らかにし始めているこの世界に生きることができてよかったと思う。

明日からも、私は私を生きていく。
私にしか生きられない明日を生きる。

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