【いろんなこと】4月を振り返る
今日はカラッと晴れたので、重い腰を上げて布団を洗って干した。
YouTubeで藤井風の「tiny desk concert」や宇多田ヒカルの「40代はいろいろ」のRemixを流して、鼻歌まじりにやっつけた。
おかげで今日は心地よい疲れとともにぐっすり眠れそうだ。
4月が過ぎていった。
以前より緩やかな部署に異動したとはいえ、新たな環境での1か月。
不安もあったけれど、同僚がいろいろと配慮してくれているおかげで、自分の仕事とじっくり向き合う時間が増えて、精神的には以前より安定している。
4月のいちばんのハイライトは「TOKYO RAINBOW PRIDE 2024」に友だちと行ったことだ。
初めて参加した「TOKYO RAINBOW PRIDE 2024」は、自由であたたかい雰囲気が心地よかった。
さまざまな生き方、生き様が交差し、尊重される。
この雰囲気があの場だけに留まらず、常に日本に溢れるようにしたいと心から思った。
どんな性的指向も障害も「マイノリティ」という言葉で簡単に片づけられてはならない。
性的指向や障害に名前が付くことは、人を楽にもするし、生きるのを辛くもする。
ただ、性的指向や障害がその人の「全て」を言い表すことにはならないのだ。
一緒に行った友だち2人と、別れたあとにグループLINEで感想をやり取りした中で印象的だったのが、
「自認も思考もグラデーションがあるっていうのが大前提で、カテゴライズやその定義はあくまで理解を進めるためのものだよね」
という言葉だ。
そうだ、私たちはみんなさまざまな要素でできているのだ。
「グラデーション」ってなんて素敵な言葉なんだろう。
アセクシュアルも、一人ひとりに固有の「グラデーション」があるはずだ。
私は、一人ひとりが「自分が好き」と思える世界を作りたい。
自己肯定感、という薄っぺらい言葉(個人的な印象です)とは違う。
「好き」という感情は作り出すものではない。
人の内側から溢れ出るものだと、私は思う。
藤井風の「満ちてゆく」の歌詞に
「愛される為に 愛すのは悲劇」という一節がある。
周囲の人や環境によってかたち取られた自分は、儚く脆い。
「愛される為の自分」を作り出し、それを生きることは、いつか疲れや苦しみや憎しみを生み出す気がしてならない。
自分は、自分の内側にある。
まずは自分を知ること、愛すること、いたわること、ありのままを受け入れること。
私の祖母もよく言っていた。
「人に愛されたいなら、まずは自分を愛しなさい」
私は自分の障害に名前が付いたこと、そして自分の性的指向に名前を付けたことで、自分を受け入れることができた。
自信を持って、私のままで生きていていいんだと思えた。
そういう瞬間が、一人でも多くの人に訪れるといいなと思う。
「自分が好き」という感情を持って生きることは、周囲の人を明るく照らす。
「私なんか」という口癖を捨てる。
コラムニストのジェーン・スーさんが良くラジオで言っていて、本当にそうだなと、聞くたびに背筋が伸びる。
つらつら書きたいことを書いた。
そろそろお風呂に入ろう。
そして太陽の香りに包まれて眠ろう。
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