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戦友マスク

マスクをしない日が増えたと思ったら
最近はインフルエンザや風邪の予防で
マスクをする人が増えてきた。

一度「感染症予防=マスク」という方程式を
心に刻み付けてしまうと
そこから抜けるのは難しいらしい。

かくいう私もマスクはずっと手放さずに
電車やバスに乗る時には着用している。

私の場合は感染予防というよりも
万一寝てしまってもよだれが出ているのを
隠すためではあるが。

そんなわけで2020年からずっとマスクには
お世話になりっぱなしであるが、
この3年半、私と共に過ごしてきたマスクがある。

今日はその話をしようと思う。

時を戻す事2020年3月。

例の感染症があちこちで広がり始め、
いよいよ4月から緊急事態宣言が出されるかと
報道があおりはじめたころである。

それまで当たり前のように店頭に置かれていた
使い捨てマスクが姿を消した。

自分や家族を守るためのマスクが
手に入らないという事態に陥り、
私達は元々在庫していた使い捨てマスクを
何度も洗って使っていた。

家に帰るとマスクを洗面所で外し、
家族分をまとめて食器洗剤で丁寧に洗い
釣り下げて乾燥させる。

これが当時の私のルーチンであった。

だが、なかなかマスクの供給は進まないので
いくら大事に使っていたとはいえ、
5月ごろにはマスクの在庫が減ってきていた。

そんなとき、仕事帰りの妻が誇らしげに
何かを買って帰ってきた。

それは3枚組の布マスクであった。

当時布マスクを自作するような流れが
一種のブームのようになっていたが、
妻が買ってきたのは黒い布製のマスクで
一昔前なら暴走族の人が着用するような
イメージのマスクであった。

まだこの手のマスクはあまりポピュラーでは
なかった時期だったにもかかわらず
片田舎の我が町にある雑貨品店の店主は
思い切って海外から仕入れをしたらしい。

偶然仕事帰りにその店に立ち寄った妻は
それを購入して意気揚々と帰ってきたのだ。

妻は自分が着用するつもりで買ってきたらしく
早速開封して鏡の前で合わせてみる。

今となってはこのような形のマスクに対して
誰も違和感などもたないが、
先ほど書いたように当時は誰も見慣れていなかった。

そのせいか、妻は何度も鏡の前で見ながら
ガッカリしたような顔で、
「私には似合わへんからパパにあげるわ」と
私に言った。

内心、「そんなものもらってもなぁ」と思いながら
私はそのマスクを妻から受け取り、
試しに着用してみる。

すると、驚いくほどそのマスクは
私の顔にフィットしたのだ。

そして、驚いたことに
何度も洗った不織布マスクで感じるような
チクチクした不快感が全くなかったのである。

今から思えば当然であるが、
当時の私にはこれは革命的なこと。
私はさっそく翌日からこの3枚組の布マスクを
使い始めることにした。

最初このマスクを会社に着用していった際には
「なんか暴走族みたいですね」と同僚に
言われたものだが、
少しずつ街中にも私と同じようなマスクを着用する人が
増えてきたおかげで
その違和感も薄れていった。

相変わらず我が家では不織布マスクを
毎日洗って干すという習慣は続いていたが、
私が着用している布マスクは洗濯機で肌着と同じように
洗濯ができるので
単純に私のマスク1枚分の作業が減った。

そうしてしばらくすると少しずつマスクの供給が増え
徐々に価格も下がり始めたため、
私達はマスクを洗う習慣をやめて
数回使ったら廃棄する生活に戻った。

だが、私はあの3枚組マスクを変わらず使い続け
毎日洗濯をしながら回していった。

もはや私にとってこのマスクは下着と同じである。

そうして3枚組のマスクとの時間を過ごし
気が付くと、2年ほど経過していた。

まだ相変わらずマスクを着用する習慣は
無くなってはいないものの、
心理的なマスクの重要性は確実に下がっていった。

そんな頃に海外出張に行き、
欧州では誰もマスクを着用していないという
光景を目の当たりにした。

最初は抵抗があったものの、
私は現地ではマスクを取って生活した。
郷に入っては郷に従えである。

そうして現地での滞在を経て
日本に帰国したとき、
私は不覚にも3枚のうち1枚のマスクを
紛失してしまった。

恐らく関西空港でバスを待つ間に
トイレに入った際に、顔を洗おうと外して
そのまま置き忘れたのであろう。

それに気が付いた時にはバスは間もなく
発車の時刻だったので
泣く泣く私はその1枚をあきらめることにした。

とは言え、まだ2枚残っている。

基本的に毎日洗って使っているので
1枚でも回るので問題ない。

そんな風に思っていたからかもしれないが、
私はそれからほどなくしてもう1枚を紛失してしまった。

とうとう3枚のマスクは1枚だけになったのだ。

だが、これではさすがに心もとない。
そこで妻と買い物に行ったときに
そのマスクに似た黒い布マスクを購入した。

当時は珍しかったマスクであるが、
今では当たり前のように買えて、しかも安い。

なんだか嬉しいような寂しいような
複雑な気持ちを抱えながら
私は新しく買ったそのマスクを着用した。

だが、どうも長年連れ添ってきたあのマスクとは
フィット感も、呼吸のしやすさも異なっていたのだ。

何がどうダメなのかと言われれば
うまく言葉にできないのだが、
何だか違和感がある。

結局私は残りの1枚のマスクをメインにして
洗濯が間に合わなかったときに
新しく買ったマスクを着用することにした。

そうして、このマスクを購入してから
3年半もの時間が過ぎた。

昨日何気なく仕事中にマスクを外して
ポケットに入れたと思ったのだが、
ふと気が付くとそれが無くなっていることに
私は気が付いた。

傍から見れば、ただ1枚のマスクを紛失しただけの
大したことのない事象である。

だが、私はそのマスクが見当たらなくなったことに
とても戸惑いを覚えた。

なぜならこれは私にとってベストマスクだからである。

もちろん他のマスクを色々試せばもっと合うものが
見つかるのかもしれないが、
3年半もの期間、自分を守り続けてくれたと思うと
その存在はやはり特別なものになる。

あちこち探しまわった結果、
マスクは更衣室の私のロッカー前に落ちていた。

「お前、こんなところにいたのか。心配したぞ」

心の中でマスクにそう声をかけ、
私はそいつをカバンにしまった。

私はものに執着しないタイプだし、
ほとんどというほど物欲がない。

だが、私にとって間違いなくこのマスクは
大切なものであるし、手放したくないものになった。
まさにこのマスクは辛い時を一緒に乗りきった
”戦友”なのであろう。

何だか変な話だが、
そろそろこのマスクも現役を退かせて
どこかに片付けてやろうと思う。

ある時にふと片付けられたマスクを見て
「あの頃は大変やったなぁ」と
思い返す未来が来るのも悪くない気がする。

ちなみに3年半も洗濯し続けているが
縫製がほつれたり生地が傷んだりしていない。

あの頃誇らしげにマスクを購入してきた妻に
今の私から「Good job」と伝えたい。


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