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「昔悪かった」のナゾ

昔悪かった自慢。

何となくイタい人の代名詞のような
言葉であるが、
この言葉にイタいと感じてしまうのは
「昔悪かった」ということが
カッコイイことではないと認識しているからである。

もちろん、「悪いこと」のレベルにもよるだろうが、
他校の人と喧嘩をしたり、
制服を改造して髪を染めたり
こんなことを大抵の人はイメージするはずである。

私が通っていた中学校にはいわゆるヤンキーが
とても多かった。

中学校に入学してほどなくして
授業中に暴走族風のバイクが校内に入ってきて
驚いたことがあるが、
2年生に上がるころにはそれが自分に実害がないとわかり
全く動揺もしなくなった。

そんな学校で育ったおかげで
私は「昔悪かった」人の知り合いが多い。

地元に帰って久々に何人かで集まれば
大抵そのなかに「昔悪かった」人がいる。

なので、私にとって「昔悪かった人」への
嫌な意識というのはそれほどなかった。
それは自分が直接的に彼らから
被害を受けなかったからかもしれない。

そんな私がある日、ネットを見ていると
とある人の紹介記事に遭遇した。

その人は昔暴走族に入ってかなり上位にまで
上り詰めたぐらいのガチガチのヤンキーだったが、
ある時に更生して、
今は企業経営をしているという経歴が紹介されていた。

いわゆる「昔悪かった人」であるが、
その人にはSNSで多くのフォロワーおり
記事の中でも好意的な書かれ方をしていた。

言われてみれば芸能人でも何人か
「昔悪かった人」が紹介されることがある。

宇梶剛士さんも元暴走族の俳優さんであるし
タレントのヒロミさんも元暴走族として有名である。

そして、彼らは総じて好意的に見られることが多いし
私も彼らのその経歴を聞いた時に、
何となく彼らの魅力が増したように感じていた。

宇梶さんもヒロミさんもお二人とも
別に「昔悪かった」という経歴がなくても
実力を持っている方であると思う。

だからこそテレビやドラマに起用されるし
入れ替わりの激しい芸能界でいまだに
ちゃんと生き残っている。

だが、ここで不思議なのが
「昔悪かった」ということが
いい方向のスパイスになっていることである。

冒頭に書いたように、
「昔悪かった自慢」に対して私たちは
イタいという印象を持ち、嫌悪を感じることが多い。

それはもちろん、自分で昔悪かったことを
カッコいいかのように捉えていることが
イタいのではあるが、
私たちは少なくとも「悪かったこと」に対して
ネガティブな捉え方をしていたはずである。

にもかかわらず、経営者や芸能人のように
一般的に成功者と言われるような人の場合
「昔悪かった」ことが自分の魅力を増す
プラスに働くのである。

これは一体なぜだろうか。

元暴走族の経営者の方の記事を読んで
私はこの疑問が頭から抜けなくなった。

そして、一つの仮説に行きついた

私たちは心のどこかに悪いことをする人への
憧れがあったのではないだろうか

冒頭に書いたように一言で悪いことと言っても
程度がある。

当然ながら犯罪行為は許されるべきではないが、
世にいう悪いことの大半は
私たち普通の人にとって、
やりたくてもできないことだったのではないだろうか。

授業をサボったり、堂々と遅刻をしてきたり
髪の毛を染めてみたり、制服を着崩したり。

私たちは自分がやりたくてもできないことを
当たり前のように堂々とやる彼らに対して
憧れの様な気持ちを持ちながらも、
その気持ちを嫌悪感という感情で蓋をしたのである。

時々犯罪を犯した人が芸能界に復帰するが
犯罪行為に対してはこの作用が働きにくいのは
多くの人にとって犯罪行為は憧れよりも
嫌悪感のほうが圧倒的に強いからである。

連載は終了したが、
東京リベンジャーズという漫画は
タイムリープというSFテーマを持ちながら
ガチガチのヤンキー漫画である。

そんなテーマがとても流行しているのは、
私たちの中に「悪いこと」への
憧れがあるからなのであろう。

残念ながらマジメに生きることが
素晴らしいと信じて生きていた
学生時代の私には面白い「悪」エピソードは
一つもない。

悪かったエピソードのようなスパイスがなくても
十分に自分には味があるので気にしていないが、
あなたにもし昔悪かったエピソードがあるなら
それをうまくスパイスにしてみてもいいかもしれない。

もちろん、「昔悪かった自慢」は論外であるが。

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