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耳の調子が悪いからこそ気づけたこと

先日から何度も書いているが
先週から右の耳の調子が悪い。

耳の中に水が入ったような感覚になって
音が聞き取りにくくなっている。

しかも、私の場合左の耳が子供の頃から
聞こえが悪いので、
右耳の聞こえが悪くなると総じて音が
聞き取りにくくなってしまう。

正直生活の質が落ちてしまうのだ。

これは一大事である。

一刻も早く治したいと昨日も仕事帰りに
耳鼻科に行ってみると
前回よりも確実に回復してきているとのこと。

だが、いかんせん耳の中なので
治りが少し遅いのはしかたないらしい。

少しずつ聞こえが良くなっていくプロセスを
楽しむことにするしかないだろう。

そんなことを思いながら
昨日も過ごしていたのだが、
こうして耳が悪くなったことで色んなことに
気が付くことができた。

せっかく与えられたこの機会を
気づきに使わないのはもったいない。

なので、今日の記事は耳が悪くなって
気が付いたことをシェアしようと思う。

誰得やねんという声も聞こえてきそうだが、
なかなか耳の聞こえが悪くなる経験など
誰しもができるものではない。

しっかり耳の穴をかっぽじって読んで欲しい。
(読むのに耳は関係ないが)

①電車や駅はうるさい
よく海外から来た人が驚くことに日本の電車や駅での
アナウンスがうるさいことがあげられるそうだが、
私自身、毎日乗っていても違和感を持ったことは
一度もなかった。

だが、耳が悪くなってみて電車に乗ったり
駅にいたりすると、
その音の大きさに驚くことが増えた。

少々耳が悪くても、その音はハッキリと
聞き取ることができるし、
何だったら他の音よりも余計に聞き取りやすくなるように
何か音に加工がされているのかもしれない。

とにかく電車や駅のアナウンスは
とてもよく聞こえるのである。

耳が良くなったら余計に気になるのかと思うと
今から耳栓を用意しておいてもよさそうである。

②何気ない音にもノイズが混ざっている
ある意味これが私にとって一番驚いたことであるが、
私達が何気なく聞いている雑音の中には
案外ノイズが沢山混じっているということに
耳が悪くなって気が付いた。

恐らく読んでいる方からすればピンとこないかも
しれないが、
例えば、先ほど挙げた電車の中で聞こえる
モーターの音、ガタンゴトンというレールの
継ぎ目を通過すうときの音を想像してみてほしい。

普通に聞いていればただ音が出ているだけと
思うかもしれないが、
耳が悪くなるとその中に混ざっているノイズに
気が付くようになるのだ。

このノイズを言語化しようとすると
なんとも難しいのであるが、
バリバリというような、電気が流れる音のような
何とも言えないノイズが実は色んな雑音の中に
紛れ込んでいるのである。

そして、それらの音は総じて不快なのだ。

これまで電車の中でも全く気にすることなく
パソコンで作業をしていたが、
耳が回復しても嫌でも耳がノイズを探して
しまいそうである。

やはり電車内では耳栓をした方がいいのかもしれない。

③聞き取りやすい声と聞き取りにくい声がある
これは当たり前と言えば当たり前なのだが
耳が悪くなって特に意識をするようになった。

声の大きさはもちろんのこと、高さやトーン、
そして話し方など色んな要素が混ざり合って
声の聞き取りやすさが大きく変わるのである。

どうしても耳が悪くなると人と会話をするのが
少しおっくうになってしまうのだが、
その中でも気にせず話をすることができる人を
今回の経験で何人か見つけることができた。

私は周りから声が大きいと言われることが多いが、
自分の声は耳が悪い方にとって聞こえやすいのか
耳が治るまでに何かに録音して検証してみようと思う。

④部屋に音は反響している
先日とある会社で打ち合わせをしたときのこと、
事前に私の耳の調子が悪いことを先方に伝え
会議がスタートした。

先方はとても大きな声で話してくれるので
音自体は聞き取りやすいはずなのだが
どういうわけかとても聞き取りにくいのだ。

最初は一体何が原因なのか考えながら
話をなんとか聞き取っていたのだが、
その原因は部屋に音が反響することだと
しばらくしてわかった。

その部屋は比較的狭い会議室で
床面が堅いリノリウムのような床材であった。

そのため音が反響してしまうようなのだ。

私の会社にある会議室は床面が
タイルカーペットなのであまり感じたことは
なかったのだが、
どうやら床面が堅いことで音が吸収される
場所がなくなり、
反響してしまうようである。

この会議室で会議をしたことは
過去にもあったのだが、その時には全く気にならなかった。

恐らく耳が悪いことで逆に
音に敏感になっているのであろう。


いかだだっただろうか。

何だか意外と思われるものも中には
あったのではないだろうか。

私達は何気なく日常を生活し、
その中で当たり前の様に音を聞いているが、
しっかりと音が聞こえるのも実はとても
有難いことなのである。

何事も無くしてみて初めて気づくというが、
こうして不自由になってみて
私は色んな事に気づくことができた。

恐らく感知するまであと数日かかるであろうが、
この数日を思いっきり気づきの機会に変えたいと思う。

また面白い気づきがあればnoteでも配信するので
ぜひ非日常を味わっていただければ幸いである。

ちなみに耳鼻科の先生に一言いいたい。
耳の中をバキュームで吸っている時に
話しかけられても何と言っているのか
全くわからないのでやめてほしい。

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