要望とズレ
私はコーヒーが好きである。
とは言え、別にこだわりがあるわけではない。
どこの豆がどんな味だということは調べたことはあるが
そんな知識は完全に忘却の彼方にある。
そんな私は仕事の合間にコーヒーを
飲んでいる。
家でドリップしたものを水筒に入れて
持って行くこともあるし、
ドリップタイプのものを持って行って
会社で淹れて飲むこともある。(下記のようなもの)
先日仕事をしているときに
私はふとコーヒーが飲みたくなり、
カバンを確認すると、
水筒を家に忘れてきたことに気が付いた。
道中でなんとなくカバンが軽いような
気がしていたのは
間違いではなかったらしい。
ちょうど会社に置いていたインスタントのものも
在庫を切らしていたので、
私は仕方なく自販機でコーヒーを買うことにした。
そこで、選んだのがこれ。
出張に出た際などにカバンに入れておけば
ふとコーヒーが飲みたいと思った時に
すぐに飲めるので時々選んでいるものである。
早速私はこれを購入して飲み、
残りをカバンに入れた。
そうしてその日の仕事が終わり、
帰宅した私はカバンの中から
このペットボトルを取り出して、
中身を飲み干した。
するとその様子を見ていた妻がふと
こんなことを聞いてきた。
「前から時々飲んでるけど、
そのコーヒーって美味しいの?」
先ほども書いたように私は出張先などで
しばしばこのコーヒーを買って飲んでいる。
なので、妻の質問に対する答えは
Yesでないとオカシイのだが、
実際、素直な答えは
「まずくはない」というものであった。
この商品が沢山入ってはいるが、
コーヒーの味がしっかりするかと言えば
全くそんなことはなく、
これを温めてマグカップに入れて飲めば
「え?これ本当にコーヒー?」と
疑うほどの濃さである。
何なら濃いめに出した麦茶と
このコーヒーを目隠しして飲み比べれば
わからない人も中にはいるのではないか。
そんな風に思うほどあまりコーヒーを
飲んでいるという実感がないのが
この商品なのである。
私の答えを聞いた妻は
「じゃあ何で買うの?」と
当たり前の質問を投げかけてきたが、
私自身なぜこの商品を選んだのかと言われると
即答できない自分がいた。
私は間違いなくコーヒーが飲みたくて
自動販売機に行ったはずなので、
もっとコーヒーの味がする商品が他にも
選択肢があったはずである。
余り缶コーヒーは飲まない私でも、
選ぶ際にはなんとなく味はわかった上で
購入しているはずなのに、
なぜか私は最初から味があまりしない
このコーヒーを選んでしまった。
これは一体なぜだろうか。
一つは同じ値段で長い時間味わうことが
できる点があるだろう。
今回私が買った商品と同じような値段で
こちらの商品も並んでいた。
間違いなくこちらの方が味が濃いのは
明確ではあるが、
かつてこのようなコーヒーを飲んだ際に
「何だか飲み足りない」と思ったことがある。
それに比べて今回選んだものは間違いなく
量が多いのでこのような気持ちを味わう可能性は
大きく減らすことができる。
だが、冷静に考えてみれば
これはとても不思議なことである。
なぜなら今回私は水筒を忘れた代わりに
コーヒーを買いに行ったわけだが、
私がいつも使う水筒はキャパが350mlしか
入らないものだからである。
しかも、喫茶店やカフェでコーヒーを頼むと
さらに少ない量が出てくることが当たり前なのに、
(スタバのショートが240ml、ドトールのSは150ml)
なぜ私はこんなにもたくさんのコーヒーを
望んでいたのだろうか。
そう考えた時にふとかつてアメリカで飲んだ
コーヒーが頭に浮かんできた。
数年前にアメリカに出張で行った際、
同行していた人が通りがかりのドーナツ屋で
ドーナツを買うと言い出したので、
私はコーヒーだけ頼むことにした。
特にサイズを聞かれることなくコーヒーを頼み、
それを受け取ると、
そこにはマクドナルドのLサイズジュースを
まだ一回り大きくしたようなコーヒーであった。
こんなもの飲み切れるわけがない。
そんな風に思いながら飲み始めてみると、
そのコーヒーはまさにアメリカンな感じで
非常に薄いものであった。
コーヒーというよりもむしろお茶に近い感じで
目的地に向かう1時間ほどで私はそれを
飲み干していた。
(無論、その後何度もトイレに行くハメになったが)
あの時感じたように、
私はお茶のような感覚でコーヒーを飲みたいと
思っていたのかもしれない。
それならば初めから味が薄いとわかっていながら
量の多いコーヒーを選ぶことも
つじつまが合うではないか。
実は私達が何かをしたいと思ったとき、
その要望を少し掘り下げてみると、
実は少しズレがあるものなのではないだろうか。
私の記憶が確かならば10年前には
このような大容量のペットボトルタイプの
コーヒーは売られていなかった。
そのような頃に私が同じシチュエーションに
出会っていたならば、
私は当たり前の様に普通容量のコーヒーを買い
それを飲んでいたであろう。
だが、仕事中の私が本当に望んでいたのは
お茶の様な感覚でゴクゴクとコーヒーを飲みたいと
いうことだったのである。
この要望にハマる商品が出てきて
初めて私は自分が本当に望んでいることに気が付いた。
恐らくこれはコーヒーに限った話ではない。
本当の要望を満たしてはいないものの、
部分的に満たされることで
そういうものだと納得しているものが
案外日常には沢山あるような気がする。
このような要望をしっかりと満たすことで
人生はもっと輝くのではないだろうか。
偶然飲んだコーヒーでふとそんなことを思った
金曜日の夜であった。