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演奏が終わること。(『ヘイ・ジュード』とセッションと。)

音は、鳴らせばすぐさま、もしくは
減衰しながら消えてゆき、
音楽もまた、そのような音のごとく
いつかは鳴り止むと分かっていても、
それでも、今日を踊り続けたい!
そして、音及び音楽が、なぜ
消えてゆき、なおかつ、鳴り止むかと言えば、
時間があるから、なのだというのをね、
前回noteでしるしましたが。

そういうような、
音楽と時間について思うともすれば、
音楽を聴くとき、それらの曲々には
時間がある。つまり、一曲が
3分とか、4分とか、5分とか、7分何十秒とか、
もっと短かったり、もっと長かったり、と、
その曲が流れ始めてから、ずっとずっと
永遠に終わらない曲というのは存在しない。

現在40代のぼくは、音楽を聴くのには
「CD」が全盛の時代に10代を過ごしたので、
CDに、とくに、そのなかでも
アルバム作品に思い入れがあるのだけれども。
たくさんの曲が収録されているアルバムとは、
その収録時間が、40分とか、60分とか、72分とか、
いろいろあるとは思うですが、その長さは
CDの最大収録時間の74分、もしくは80分(?)を超えない。
つまりはさ、CDとしてリリースされる音楽は、
一曲が81分以上の曲は無い。

でも現在では、音楽を
ストリーミングサービス等で聴けるのだともすれば、
もっと長い音楽作品もあるやもしらない。
たとえば、Mr.Childrenの2015年リリースのアルバム
『REFLECTION{Naked}』では、特製USBに
全23曲のMP3及びハイレゾ音源が収録されていて、
その収録時間は110分だったでしょうか。
つまり、この作品とはCDでは実現できなかったし、
そして、ぼくはミスチルの作品の中でね、
『REFLECTION{Naked}』が一番好きやもしらない。
いや、でも、やっぱり
最新アルバムの『miss you』大好きよ!!!

ぼくは、しがないリスナーですので、
音楽を制作する、というのが
どういうことなのかも存じないですが。
たとえば、ある曲が
どのぐらいの長さになるか、ってゆうのは
どういうふうに定まってゆくのでしょうか。

このことを考えながら思っていたのはね、
ビートルズの『ヘイ・ジュード』って、
曲の時間が7分11秒ありますが、曲の後半では
【ナー ナーナー ナナナナー ナナナナー ヘイジュード】
というメロディーが4分以上繰り返される。
逆を言えば、このメロディーって、あまりにも心地がよすぎて
繰り返そうと思えば永遠にも繰り返すこともできそうだけれど、
でも、だんだんとフェードアウトしながら曲は終わってゆく。
どうして、その前でもなく、その後でもなく
この時間のときにフェードアウトが始まり、そして、
この時間のときに曲が終わるんだろう?
とは言えども、ぼくは何の気なしに
『ヘイ・ジュード』を聴いているけれども、
この曲が終わるのが、もうすこし早ければ
ちょっと物足りなさを感じて、逆に
もうすこし遅ければお腹いっぱいになってしまって、
この長さが一番ちょうど良かったやもしらないな。

このことと似たようなことで申しあげますと、
たとえば、あるバンドさんのライブを観にゆくとして
そのライブのとある場面では、
バンドによるセッションが始まる、というときにね、
このセッションがしばらく続きながら、
そして、あるときセッションは終わり
次の曲がスタートする。
そういうようなライブのセッションとは、
楽譜で記されて演奏が定められているのか、
もしくは、楽譜も何もなく
その場だけのオリジナルな演奏なのか、というのは、
どちらのときもあるとは思うのですが。
でも、あるときには、
セッションの最中、バンドのみなさんで
目配せや手の合図によって、
この次の節で演奏終える、というのを
確認し合うような光景を見るとぞくっともするけれど。
楽譜の無い演奏のセッションでは、
その演奏は、いつ、どのように終わるのか?
というのもぼくにはわからないんですが、
たぶん、おそらく、演奏において
ちょうど良い頃合いみたいな時があるのかもしれない。

そんなふうにして、
音楽は、終わってゆく。

音楽を聴いていると、その音楽とは
永遠に流れ続けるものではなくって、
いつか、やがて、鳴り止む。
それでも、ぼくの心の中には
音楽はまだ流れている。。。

ゼン ユールビギントゥメイクイット
ベタベタベタベタベタベタ ワァァァ〜〜〜♪

令和6年4月16日


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