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おとなの地図とココナツの味。

先日のブログでは、同じ日にリリースされました
音楽の最新CD作品を、一度で
よっつ購入したことをしるしました。
そのなかでもね、とくに、
Mr.Childrenの21stアルバム『miss you』と、
くるりの14thアルバム『感覚は道標』は、
発売日以来、すこしずつ、何度も聴いています。

同じ発売日のこのふたつのアルバム、
Mr.Childrenの『miss you』と、
くるりの『感覚は道標』というアルバム作品とは、
おんなじ発売日だからこそ、ぼくがそう
感じてしまうのかもしれないのですが、
どこか似ているやもなあ、と感じているの。

たとえば、Mr.Childrenの
前作アルバム『SOUNDTRACKS』では、
「彼岸性」が表現されていると言われていて、その後
ベストアルバムがリリースされて、このベストには
新曲『永遠』と『生きろ』が収録され、また、その夏に
開催されました30周年記念ライブのタイトルには
「半世紀へのエントランス」と名付けられた。
今回の最新アルバム『miss you』の2曲目では、
『Fifty’s map ~おとなの地図』という
タイトルの曲が収録されているけれども、つまりは
「半世紀」つまり「50年」へと向けた入り口をくぐったのち
『Fifty’s map』という新しい地図を手に入れた、
というふうに解釈できると思うのですが。
この曲の歌詞には、、

時々何もかも投げ出したくなるさ
自由ってやつは
ティーンエイジャーにだけ
かかる魔法じゃないはずだろう?

Fifty’s map ~おとなの地図/Mr.Children

【ティーンエイジャー】という語句が登場するけれど、
それはさ、やっぱり、
若者だけじゃあない、というような
「老い」について歌われていると思う。

このことは、アルバムの発売日の
直前に公開されました
ミュージックビデオの中でもね、このMVの
ネタバレで言うとすれば、2003年リリースのシングル
『くるみ』のMVの続きのような内容になっていて、、

とくにビデオの最後の場面では、どちらも
桜井さんが登場していて、このふたつのMVを比較すると
20年前と今とでは、やはり、桜井さんも
変化していると申しあげますか、いわば、
いつも若くご活動されているように見える桜井さんも、
やはり齢を取り、そして、老いている。
そのことを、まざまざと
こうしてMVの中で表現されているのが、
とってもかっこよくって、そして
ちょっと泣けてきてもしまうのですが。。。

はたまた、
くるりのアルバム『感覚は道標』収録曲の
『California coconuts』の歌詞では、
【もし 僕の身体が動かなくなる日が来たら】
と歌われているのですが、これもつまり
「老い」のことが表現されていると思うの。

もし 僕の視界が遮られたりしたら
もし 僕の身体が動かなくなる日が来たら
どうしようもないの?
もし 誰も話しかけたりしなくなったりしても?

California coconuts/くるり

なんだかうまく言えないんですが、
Mr.Childrenの『Fifty’s map ~おとなの地図』も、
くるりの『California coconuts』も、
たとえば、そのような「老い」を
避けようとするでなくて、また、
受け入れまいとするでもなくって、
受け入れながら、そして
これからも生きてゆく、というようなことが
歌われているのかなあ?
そう考えてみるとね、ぼくだっても
現在41歳という年齢になり、これから
どんどん老いてゆくんだろうけれども、
この歌が、ぼく自身においてもこれからの
生きる希望のような音楽とも感じられる。

こういうような、たとえば
「齢を重ねること」や「老い」についてのことは、
Mr.Childrenのアルバム『miss you』及び
くるりのアルバム『感覚は道標』の全篇で、
流れているようにも感じるのよね。

まだまだ、リリース(フラゲ日)のときから
十日間しか経っていなくって、
アルバムの感想もうまく言えないんだけれど、
これからもまだまだたくさん聴いてゆきたい〜。

令和5年10月13日

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