螢と1984年

1948年の36年後、1984年の36年後。

年が明けてから、ひさしぶりの数年ぶりで、
村上春樹さんの小説『1Q84』を読み始めまして。
先日「BOOK2」までを読み終えてからは、
『1Q84』はいちど小休止しながら、
このほか、読もうと思った本をいくつか読んでおります。

たとえば、これらの読みました本の中にはさ、
このごろのブログでもすこし書きました
川上未映子さん・村上春樹さん共著
『みみずくは黄昏に飛びたつ』
などなど、なのですが。

そしてまた、
村上春樹さんの短編小説『螢』と
G・オーウェルの小説『1984年』が作品のモチーフとなっている
森泉岳土さんのマンガ
『村上春樹の「螢」・オーウェルの「一九八四年」』
も読みました。

ぼくはでも、『螢』と『1984年』を、
それぞれいちどずつくらいしか読んでいない。
『螢』は、村上さんの全集にて。
『1984年』は、初めて村上さんの『1Q84』を読んだ後、
図書館で借りて読んだ。というだったと思う。

とくにはさ、G・オーウェルの『1984年』は、
いろいろな書籍で引用や説明がされているから。
作品は一度しか読んでないけれども、
どういうことか? みたいなことは、考えるときもある。
たとえば、昨日読み終えました、
森達也さんの著書
『たったひとつの「真実」なんてない』の中でも、
【オーウェルの「1984年」は過去の話ではない】(135頁)
という節で書かれておりましたが。
『1984年』の世界観は、決してフィクションのものではない、
という危機感が、現代、あるのだろう。

ってゆうふうに想いながら、
森泉岳土さんのマンガを読み終えながら。
その最後の「あとがき」ではさ、
へぇー、そうだったんだあ! と感じた箇所がありまして。

この箇所を引用いたしますと、、、

 この二作が一冊になったのは偶然だ。しかしどこか必然を感じるのはもちろん村上さんの作品に『1Q84』があるからだが、それだけではない。「螢」を含む『螢・納屋を焼く・その他の短編』が刊行されたのがその一九八四年で、そして『一九八四年』が三十六年後の未来を見据えて書かれたのだとすると(執筆されたのは一九四八年)、一九八四年からさらに三十六年後の未来は二○二○年となる。僕たちはいま、未来のさらに未来にいるわけだ。
(森泉岳土さんのマンガ『村上春樹の「螢」・オーウェルの「一九八四年」』あとがき、105頁より引用です。)

つまりはさ、1948年、
「36年後」の未来を舞台にして
G・オーウェルが『1984年』を執筆されて。
また、『螢』を含む短編集刊行、および『1Q84』の舞台となる
その1984年よりさらに「36年後」の未来が、
ことし2020年なのだった。とゆうことなのでして。

森泉岳土さんの「あとがき」でのことばを読みながら、
ぼくがさ、ことしになった瞬間から
(年が明けたすぐから読もうとなぜか決めていた。)
『1Q84』を読み始めたのも、ある意味では、
偶然ではないやもしれん。とも感じたの。

今はねぇ、『1Q84』の「BOOK3」を、
いつから読もうか? と、模索中。
おそらく、「BOOK3」が単行本として刊行された
2010年4月16日からのちょうど10年後となる、
ことしの4月かなあ、って想っている。

このあいだには、村上春樹さんの『螢』を。
はたまた、ことし中には
G・オーウェルの『1984年』を、読み返したい。
でも、『1984年』を読むのはちょっと怖いけれども。。。

そんなことしの4月、
ある晴れた朝に100パーセントの女の子と
出合えたらよいなあ、と思う。

令和2年2月10日


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