20200115空

数年ぶりに読み返して思ったこと。

 年明けから、ひさしぶりに読み返しておりました
村上春樹さんの小説『1Q84』をね、
きのうの夜「BOOK2」の最後までを読み終わる。

ふと、そういえばと思って調べてみれば、
単行本で「BOOK1 & BOOK2」が発売されたのが、
2009年5月なので、もう10年が経っていたのねぇ。
つづいての「BOOK3」は、
2010年4月発売、とのことなので、
あと3か月で10年。ぼくはこれまで、
図書館で借りて読んでいたからさ、あらためて、
じぶん自身で文庫を購入して読めるのがうれしい。

「BOOK2」までを読み終え、つぎの
「BOOK3」はもうすこしあとで読もうと思うけれども。

ほかに読みたい本を、ちょっと先に読んでからさ。。。

でも、こう、何度目かはわからないけど、
数年ぶりに読み返せば、やっぱり、いろいろ、
そういえば前に読んだなあ、という場面もあれば、
これまで思わなかった感想もある。

たとえば、小説で登場する
「宗教団体・さきがけ」のリーダーが青豆に言った、

ものごとの脆弱な部分がいつも最初に狙われることになる。狼たちが、羊の群れの中のいちばん弱い一頭を選んで追い立てるように
(新潮文庫「BOOK2 前編」315頁より。)

‥‥のことばは、ことばとしては読んだ記憶は無かったけど、
たしか数年前ぐらいから、じぶんもすこし考えていたことで。
たとえば、ある組織やグループのなかで、
なにか不穏な雰囲気みたいなのがあった場合には、
いちばん下のひと、や、いちばん繊細なひと、や、
『1Q84』的に言えば【脆弱な部分】のところに、
その不穏さが伝わってゆく。みたいな。
そういうことって、あるよなあ。と。

そしてまた、天吾の父親が、
病棟で天吾に言った、

説明しなくてはそれがわからんというのは、どれだけ説明してもわからんということだ
(新潮文庫「BOOK2 前編」235-236頁より。)

‥‥のことばは以前、
なるほどぉ、って思って、
こんかいも同じく、なるほどぉ、って思った。

説明しなくてはわからないならば、
どれだけ説明しても、わからない。。。

また、その入院している父親に、
天吾が2年ぶりに会いにゆき、上の引用のような、
天吾にとって示唆的な対話(と言えるのかな?)をしたあと、
帰宅して。翌朝、目を覚ませば天吾が、、

翌朝、八時過ぎに目を覚ましたとき、自分が新しい人間になっていることに天吾は気づいた。
(新潮文庫「BOOK2 前編」265頁より。)

‥‥のことは、ぼくも現在じぶんの父親が入院しているので、
なるべく病院へ面会に行くことが、
ぼくにとっても大事なのだろう、と感じた。

この小説にはらんでいる「暴力性」みたいなことは、
これまで読んでいたときよりも、もっと、もっと、
つよく痛みを感じてしまうような、つまりは、
まさしく、顔をしかめたくなったし。

その「暴力性」のことで言えば、
さきほども記した「宗教団体・さきがけのリーダー」を、
青豆が「あちらの世界に送る」ときに、
周辺がひどい嵐になった、というのは、
オウム真理教の麻原および関係者の死刑執行日、
日本中が大雨になったこととリンクしているようだ。
と、その死刑執行の日に感じながら、
そのことを、今また思い出した。あの日、
リトル・ピープル的なる「なにか」が騒いでいたやもしれない。

という、そんなようなことをね、
村上春樹さんの小説『1Q84』の
「BOOK2」までを読み返しながら思っていた。

きょうは、バッハの
『平均律クラヴィーア曲集』を聴いてたい。

令和2年1月15日


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