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ぼくと先生と一人称と。

ぼくは現在、パート契約にて
学習塾講師として働いているのですが。
塾の教室内では、このぼくだっても
生徒さんたちから
「先生」と呼ばれる。そして、
「先生」と呼ばれれば、ぼくもそれに
「はい。」と応える。

ってゆう状況のときにぼくが思うのはね、
ぼくとは、べつに
「先生」と呼ばれるような人間では無いけれど、
でも、この「塾」という場所においては、
いわば便宜的に
「先生」と呼ばれるのだから、つまり
「塾」という入れ物の中に居るからこそ、
ぼくは「先生」であるのだ、
ってゆうのは感じているのよね。

なんだか、このことを考えれば、
B'zのアルバム『LOOSE』収録のね、
家庭教師の大学生のことが歌われている
『ザ・ルーズ』の歌を思い出すんだなあ〜。

こんな僕でも ここじゃ センセイ〜♪

そして、こんなぼくでも
塾の教室では生徒さんたちから
「先生」と呼ばれるかたわら、
塾の中で、ぼくは、ぼく自身のことを
「先生」とは言わない。つまり、
一人称での「先生」ということばは使わない。

それはさ、やっぱり、たとえば、
うえでも記しましたような、塾においては
便宜的な「先生」なのだから、
じぶん自身のことを「先生は、」とのように言えば、
これはもう「便宜的」では無くなってしまうし。
そんな理屈で考えなくても、そもそも、
どうにも気恥ずかしさがある、と申しますか。
たしかこれまで一度だけ、生徒に対して
ぼく自身のことを「先生は、」って
不意に言ってしまったことがあって。
それはけっこう、口にした後でね、
あっ、言ってしまった、と感じたんだった。
それからのその後はもう言っていないと思う。

ともすれば、ならばぼくは、
塾の教室の中で、ぼく自身のことを
どういう一人称で言うか?
ってゆうのはさ、ぼくは、
「ぼく」と言っている。もしくは、
慕ってくれるような男子の生徒さんに対しては
「俺」と言う場面もあるとしても、
基本的には「ぼく」としているの。

でも、なんだか、
便宜的ではあれども「先生」であり、且つ、
40歳を越えた中年男性のぼくが、じぶんのことを
「ぼく」と言うのはどうなのでしょう?
って思うふしもある。

何年か前、中学生のある女子生徒さんから、
ぼくがぼくのことを
「ぼく」と言うことをね、
「ちょっと、それ、やめてぇ〜。」
って指摘されたこともある。
理由を訊いてみると、
「ちょっと、きもちわるいから。」
とのことだそうだけれども、じゃあ、ぼくは
ぼくのことを何と呼べばよいの? と訊ねても、
そこにその答えは無かったんだけれども、たしか、
「そんなこと、じぶんで考えりん。」
と言われたんだったかなあー。
この語尾の「りん」とは、三河弁の
「じゃん・だら・りん」の「りん」ね。

そんなような、
「じぶんで考えりん」って言われても、
なかなか、むつかしいんだわ。

‥‥と、ここで考えてみるのはね、
日本語における「男性」の一人称って、
「僕」や「俺」だけでなく、
たくさんあるとも言われるけれども。
それらのうちから選ぼうとしてみても、
どれを選べばよいのか? ってゆうのは、
けっこうむつかしいような気もしている。
いや、それはでも、たとえば女性では
「私」という一人称が一般的とされる、
という状況と比較したいわけではなく、
なんて言うのでしょうか、つまりはさ、
「一人称」とは、むつかしいなあ、
と申しあげますか。。。

まあ、たぶん、これからも、
塾の教室において、ぼくは、
ぼくのことを「ぼく」と言うのでしょう。

あとはさ、このブログでも、
ぼくは、ぼくのことを
「ぼく」と記しているんだけれども。
それはそれで、ほんとうによいんか?!
ってえのは知らない。
これはもう、どちらかと言えば、
「ほぼ日刊イトイ新聞」での糸井重里さんの
下手なパクリ、と言っても
かごんではないのですから。。。

いとしいいとしい ぼくなりのタイム
ゆっくり見極めさせてぇ〜

まだちょっとルーズに  I'm on my way

令和5年2月7日


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