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いちばん低い者であれたら。

昨日のブログでは、以前読みました書籍の中で、
北が上の世界地図を時計回りに90度回転させて
ユーラシア大陸を「パチンコ台」に見立てると、
一番下の「受け皿」の位置に日本が来る、つまり、
その頂上であるヨーロッパより落ちてくる玉は、
いろいろなところでぶつかり複雑な運動をしながら、
いろいろな地域を経由しながら、
下へ下へと落下してゆき、最終的には
そのすべてを受け皿である日本が受け止める。
日本とは、地図上においては
そのようなポジションにある。
というのを申したのですが。

あらためてこのことを考えながら、
ブログでしるしていてふと思い出したのは、
糸井重里さんの著書『小さいことばを歌う場所』より
「吉本家のお花見」のことでした。

この『小さいことばを歌う場所』という書籍は、
糸井さんのことばがたくさん掲載されている
「小さいことば」シリーズの第一作目でして。
ぼくはとくにこの『小さいことばを歌う場所』が好きで、
思い入れもふかいのですが、書籍よりこの
「吉本家のお花見」を引用申しあげます。。。

お花見の季節になると、毎年思い出すことがあります。
吉本隆明さんの家のお花見です。
一駅ぶんくらい離れた墓地の桜をめでるのですが、
その場所とりは、吉本さんがやるのです。
鍋の世話なども(へたなんですけどね)、
「おとうちゃん」の吉本さんがやってました。

よしもとばななさんが、どこかの取材で、
「父がなにかを教えるということは、あまりなかったが、
 『おおぜいが集まる時には、いちばん低い者でいなさい』
ということだけは、言われていた」と答えていました。

毎年、お花見の季節になると、
そういうことなんかを、思い出すんです。

糸井重里さん著『小さいことばを歌う場所』90頁より。

吉本ばななさんが、お父様である隆明さんより
「おおぜいが集まる時には、いちばん低い者でいなさい」
とのように言われていた、のこと、
ぼくはこの「いちばん低い者」というのが、
どういうことなのかもうまく言えないんですが、
なんだか、素敵だなあとぞんじます。

そしてそういえば、このことってば、
ぼくは以前このブログで書いていたやもぉ?
と思って調べてみるとね、今から6年前、
平成29年2月10日のブログでしるしておりました。
ちょっと読んでみると、そこでも
「ほんとうはどういう意味なのかよくわからない」
とも述べているですが、このときには、たとえば
「知識の重み」、つまり
「ことばの重み」みたいなことがあったとき、その
「知識」及び「ことば」というものには質量があって、
重力によって落ちてゆく、というのを申していて。

今、あらためてそういうふうに考えてみれば、
「知識」や「ことば」だけでなくって、また、
昨日のブログの中でしるしました
「文化」や「言語」だけでもなく、いわゆる
人の「気持ち」や「心」や「考え」というようなものも
ほんとうは重みがあり、下へ下へと降りてゆく。
それらのものごとを、その中の
「いちばん低い者」が受け止める。

つまりはさ、
「いちばん低い者」が、
その場を、いちばん感じている。

だからこそ、吉本隆明さんの言われていたとされる
「おおぜいが集まる時には、いちばん低い者でいなさい」
なのかなあ? ってゆうふうにね、
今は考えてみたのでした。

糸井重里さんのことばでは、
「お花見の季節になると、毎年思い出すことがあります。」
とおっしゃっているのですが、
ぼくが以前のブログを書いたのは2月で
お花見の時期まではあと2か月のころ、
そして今はお花見にはほど遠い、でも、
紅葉の季節にこのことを思い出しておりました。

でも、いつの季節のときでも
そのような「いちばん低い者」であれたら。

令和5年11月23日

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