国_金文1_

新しい字体。

「リッシンベン調査団」による、
漢字の世界への探索はまだまだつづいている。

たとえば、ぼくのこの
「リッシンベン調査団」という名称にもなっている
「りっしんべん」の漢字で最近見つけてきたのは、
まずはさ、たしか以前の新聞の投書欄で
投稿者さんのお名前にあった【惺】という字。
そしてまた、橋本治さんの著書
『百人一首がよくわかる』を読みながら、
百人一首第六十九番歌

あらし吹く 三室の山の もみぢ葉は
竜田の川の 錦なりけり

‥‥という歌を読まれた「能因法師」は、
出家する前は「橘永愷」という下っ端の役人だった。
という説明が書かれているですが。
(橋本治さん著『百人一首がよくわかる』159頁より。)
この「橘永愷」というお名前の【愷】という字。
さらには、どこで見つけたかは憶えてないけど、
「回復」という熟語のべつの書き方としての
「恢復」での【恢】の字。

「りっしんべん」の漢字については、
前回は昨年12月13日のnoteに書いていたですが。
その日以降では、この3つの字を発見した。
でもねー、もうねー、その後はねー、
ほんとになかなか見つかんない。。。

そのほかの部首の漢字もね。
これまで記してきた字以外にいろいろ見つけては、
iPhoneのメモアプリに書き留めているですが。
それはまた、おいおい、
ブログで書くやもしれないとして。

せんじつは、うえでも申しあげました
橋本治さんのまたべつの著書
『国家を考えてみよう』を読み終えまして。
「国家」についてのこと、
「歴史」についてのこと、
「憲法」についてのこと、
どういうことなのだろう? と考えながら、
読んでいたですが。この本のなかにて、
「リッシンベン調査団」のじぶんとしては、
漢字のことで、おぉー!って想ったことがあったの。

この箇所を引用したしますと、、

 大昔の中国で、「国」は「囗」と書きました。「口(くち)」ではなくて、「囗(くに)」です。当時の国というのは、四方を城壁で囲まれる都市国家だったので、四方の城壁を表す線を書けば、それで「囗(くに)」です。だから、「国」や「園」や「囲」のように、文字全体を囲む「囗」をクニガマエと言って、「叱」「叫」「吐」に使う小さい「口」の「クチヘン」と区別します。
 「囗(くに)」の中にはなにもありません。なにもなくても、「国の境」を示す四方の境界線があれば、それでもう「国」です。古代の中国での「国」は「state=領土」の方でした。
「国」という漢字は、第二次世界大戦の後に日本政府が決めた新しい字体で、「囗」の中に「玉」が入っていますが、この字の古くて正しい形は「囗」の中に「或」が入っている「國」です。
(橋本治さん著『国家を考えてみよう』18-19頁より引用です。)

「くにがまえ」の漢字については、
昨年の11月13日のnoteで書いているですが。
白川静先生の『常用字解(第二版)』でも、
「或に改め囗を加えて國とし、武装した国の都をいう。」
「いまの常用漢字の国の字形は、
 國の草書体から生まれた略字である。」
と書かれてあったけれども。

この【國】という字の中に入っている【或】という形は、
「囗(城壁の形)の周辺を戈(ほこ)で守る形」
とのことなのですが。たとえば、
「地域」という熟語での【域】という漢字にも
【或】の形が入っているなー。

そして、略字としての
【国】という漢字がうまれたのは、
橋本治さんおっしゃるには、なんと、
第二次世界大戦後の1949年に
日本政府が決定してつくられた日本独自の漢字らしくて。

言うなれば、わりと、さいきんだ。

日本政府が字体を変えようとした理由は、
「字画の多すぎる漢字はむずかしそうに見えるから。」
らしいけれども。こういうような、
このとき日本政府が決定した漢字というのは、
【國 → 国】以外でもまだあるとのことで。
たとえば、
【學 → 学】【藝 → 芸】【戀 → 恋】
という漢字は、そうらしい。(『国家を考えてみよう』28頁より。)

漢字にも、やっぱり、
いろいろ歴史があるのだなあ。と思ったです。

また、
橋本治さんのこの『国家を考えてみよう』では、
「阝(おおざと)」「邑(ゆう)」のことも
書かれてあって。これらの字も以前ブログで書いたもんで、
読みながらうれしかったなあ。。。

なんだか、
【戀】って書くとねえ、
艶やか、といいますか、
どことなくなまめかしさを感じます〜。

令和2年3月13日


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