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ヴェネツィアビエンナーレ国際建築展2023@ヴェネツィア(イタリア)

水の街、ヴェネツィアとビエンナーレ

誰もが知るロマンチックな水の街、ヴェネツィア。この街の素晴らしさはその美しい景観だけではない。街全体で世界的な芸術の祭典、ヴェネツィアビエンナーレが毎年開催されているのだ。
1年ごとに国際美術展と国際建築展が開催され、これに加えて映画、音楽、舞踊、演劇等の祭典も開催される。2023年に開催された国際建築展に足を運んだので、感動の冷めぬうちに感想を書き留めておく。

街の至る所に掲げられている、ヴェネツィアビエンナーレの案内看板。

私が訪問した際にはすでに国際映画祭、国際舞踊祭、国際演劇祭は終了しており、国際建築展のみの見学が可能であったが、それでも街中で案内を見ることができた。
メイン会場は、水辺のGiardini(公園)と普段は入れない倉庫のようなArsenale(軍港)。これ以外にもナショナルパビリオンやストリートアートが点在している。今回はArsenalenとナショナルパビリオンの見学に時間を使いすぎて、Giardiniの展示は早足で見ることになってしまった。1日では到底見切れない充実ぶりだ。

ガーナ人建築家David Adjayeの作品"Kwaee(Twi語で森)"。瞑想と過去との対話の場所としてArsenalの近くに設置されていた。

未来の実験室"脱植民地化と脱炭素化"

ヴェネツィアビエンナーレは1893年の誕生以来(建築展は1980年)国際政治、外交と切り離せない関係にありながら発展を続けてきていたが、ガーナ人建築家、
Lesley Lokkoのキュレーションする今年の建築展のテーマ "Laboratory of the Future" そしてサブテーマdecolonisation, decarbonisationも現代の国際社会の二大テーマと言っても差し支えないだろう。

今年参加した89のアーティストのうち、半分以上がアフリカにルーツを持つアーティストであり、ジェンダーバランスは50:50だという。社会的、政治的、民族的なメッセージ性を持つ作品がほとんどで、欧米中心の価値体系で形成されてきた建築界、芸術界であるが、異なる切り口で表現し今後のあり方を提示するという強い意志を感じた。

Arsenalの展示入り口
ファッション業界、被服業界の構造的な搾取に焦点を当てた作品
都市環境と建築に関し、特にマイノリティや社会的に抑圧されたグループの視点に焦点を当て、空間と権力の関係、都市の社会的な正義、建築の政治性等について扱うFunanbulistの創始者インタビューの展示。
中国に存在するとされるウイグル民族の強制収容所を、限られた動画や被害者の証言を元にモデル化する試み。
劇場における、演者、観客、技術者の異なる動きを模型において可視化する作品。人間の目的に応じた社会行動と建物の関係がわかる。

国別パヴィリオン

日本館 - 愛される建築を目指して

期待に胸を膨らませて到着した日本館。コンセプトは日本らしさがあり、展示の一貫性や完成度は高かったけれど、より社会的メッセージや国のアイデンティティを強く打ち出した他の国のパヴィリオンに比べると、どうしても小さくまとまりすぎ、インパクトに欠けるという印象を受けた。

ドイツ館 - Open for Maintenance – Wegen Umbau geöffnet

ドイツ館はサステナビリティに焦点を当てていた。わかりやすいインパクトのある展示だったと思う。

前回のヴェネツィアビエンナーレ国際建築展で各国が展示準備を行う過程で出た廃材や、使い終わった後の材料を集められている。催し自体の環境的負荷や、催しまでの過程が可視化される。

フランス館 - Ball Theater

フランス館は、哲学的なコンセプトで一点勝負!地球儀のようにもミラーボールのようにも見える銀色の半球をパビリオンの中心に設置し、代替的な未来へ思いを馳せ、ユートピアへの人間の願望を表現しているとのこと。やや抽象度が高すぎるものの、フランスのアイデンティティがよく表現されているように感じた。

韓国館 - 2086: Together How?

韓国館の目玉は、環境と社会に関する自分の考えを回答していくことで、中心となる価値観や、他の回答者の回答との相対的な位置を教えてくれる参加型ゲーム。やはりサステナビリティ、双方向性という今日的なトピックがしっかり抑えられており、先進的なイメージが強く打ち出されていたが、韓国のアイデンティティの表現は薄かったか。

ボタンで回答していき、最後に軸となる価値観にランプがつく仕組み。

中国館 - Renewal: a symbiotic narrative

こちらは、中国の40年の間の都市と地方の再生プロジェクトの展示。VR、クリーンエネルギーといった今日的なコンセプトをしっかり抑え、中国の技術力の向上と発展を強調し、さすがの一貫性がある展示であった。中国における実際の街づくりプロジェクトのみにフォーカスしており、社会の理想的なあり方のようなものには触れていなかったのが印象的だった。

その他

昨今のウクライナロシア情勢をふまえ、ロシアはビエンナーレに参加していない。光の灯らないパヴィリオン。
イギリス館は、さまざまな社会的集団のアイデンティティを表現する作品が集められており、多民族国家としてのイギリスが表現されていた。

おわりに

ヴェネツィアビエンナーレは芸術の領域において、圧倒的な歴史と権威を持ち、国際的および地域の政治とも切り離せない関係にありつつも、常に挑戦的なテーマを掲げ、自己変革を続けてきた。そのあり方がいかに難しいかは想像に難くないし、確かに常に批判に晒されてきている。しかし、今年の国際建築展に足を運び、その国際的、社会的メッセージ性に私は強く胸を打たれた。

美術展、建築展、音楽展、映画展等、毎年何か開催されていることを考えると、この祭典は街のアイデンティティを形成する不可欠な要素だろう。芸術の力で国際社会のあり方を提示するこのような場所があり、今後もそうあり続けるだろうと確信できたことで大きく勇気づけられた。これからの人生、あと何度この場所に戻ってくることができるだろうか。

フランスパヴィリオンの裏手から見た夕方の水辺

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