ACMの国際会議にアイドルの握手会についての論文を出すまで

こんにちは。今回は HCI Advent Calendar 17日目の記事として、矢倉 (筑波大学) が ACM CHI 2021 に投稿した論文「No More Handshaking: How have COVID-19 pushed the expansion of computer-mediated communication in Japanese idol culture? (arXiv)」の内容と、採択に至るまでの経緯を紹介したいと思います。

研究のきっかけ

COVID-19 は我々の生活や社会のあり方を大きく変えました。中でも、エンタテインメント業界は早くから影響を受けることになりました。日本では、2020年2月26日に政府が大規模イベントの中止を要請して以降、なかなか制限緩和の兆しが見えず、厳しい日々が続いてきました。

特に、握手会やチェキ会といった接触イベントを売りとしていたアイドルグループは、活動の継続に大きな制約が課されることになりました。そんな状況の中で生まれた以下の動画を、たまたま僕が Twitter で見かけたことが、研究の直接のきっかけとなりました。

わざわざ会場に集まりながらも、アクリルシート越しに 3m 近い距離を取って、iPad 越しに話す。感染リスクの低減という観点では頷けるアプローチですが、COVID-19 以前の世界で「こんな握手会イベントがあるんだよね〜」と言っても、全く理解されなかったと思います。

こんな形で Computer-Mediated Communication (CMC) 技術が使われるというのは COVID-19、そしてアイドルの接触イベントという文脈がなければ起きえなかったことでしょう。この様子は、文献として残す価値のあるもの、かつ、我々の CMC 技術に対する考えの枠を広げるものだと思い、研究として議論することに思い至りました。

実は、この「アイドル文化における CMC 技術の受容」という位置づけは、ヒューマンコンピュータインタラクション (HCI) の観点からも意義深いものだと言えます。下図のように、CMC 技術の受容を議論した HCI の文献の多くはこれまで、ビジネス現場 [1,2] や恋人・パートナー間 [3,4] に焦点を当てていました。それぞれ、CMC 技術を通して「いかに効率性を高めるか?」あるいは「親密感を作り出すか?」という要求にどう応えるかを追究してきた訳です。

図1. CMC 技術の受容に関する既存研究に対してのアイドル文化の位置づけ

一方で、アイドル文化はそのちょうど中間に位置する特異な存在と言えます。接触イベントではファンとアイドルメンバーとの親密感が重要である一方で、あくまでビジネスの1つの手段として実施されている [5] ため、効率性を無視することもできません。そうした観点からも面白い問題提起になると考え、研究を始めました。

COVID-19 下で握手会はどうなったのか

まずは、それぞれのアイドルグループがどのような形で COVID-19 への対応を進めていったのかを調べました。下図は、政府の要請があった2020年2月26日から8月25日までに出されたアイドルグループのアナウンスを収集し、分析・分類したものです。

図2. 各アイドルグループのイベント移行の様子

CMC 技術の受容という観点では「オンライントーク会」と「ネットサイン会」の2つに大別されました。どちらも CD やグッズ等のネット購入と引き換えに参加できるものであるという点は同じですが、オンライントーク会では、これまでの握手会を再現するように Zoom や専用アプリ越しにアイドルメンバーと数十秒間話せるという形式が取られていました。一方のネットサイン会は、アイドルメンバーが購入者の名前をサインしていく様子を、Youtube Live 等の配信サイトで広く配信していくという形式が取られていました。

この裏には、1対1の親密感に重きを置くオンライントーク会と、1対多の効率性を視野に入れたネットサイン会、というトレードオフが存在していると考えられます。また、技術的なアクセスの容易さやコストという面も影響を与えていたようです。特に、配信サイトさえ使えれば開始できるネットサイン会は3月時点で大きく広まりましたが、WithLIVE 等の専用アプリを用いたオンライントーク会は5月以降に伸びを見せました。

また、5月末に1度目の緊急事態宣言が解除されてから、オフライン開催のイベントが増えている様子も見て取れます。こうした様子から、CMC 技術は一時的な代替策として広く受容されたものの、オフライン開催を置き換えるには至らなかったと考えられます。

この研究では、そうした CMC への移行をファン側がどう捉えているかの調査も行いました。詳細は論文に譲るとしますが、移行のネガティブな要素として「オフラインの会場に集まることで生まれていたファン同士の購入が失われた」という点が出てきたのは興味深かったです。オンラインとオフラインのコミュニケーションの比較に関しては多く議論があります [6,7] が、それ以上に、現実にあるものをそっくりそのまま再現することの難しさを感じさせました。

HCI はアイドル文化に何ができるのか

では、こうした状況に HCI はなにを提供できるのでしょうか。1つ思いつくのは、遠隔でも握手を伝達できるようなデバイスを通して、オフラインで実現できていたものの再現性を上げていくという方向性です。実際、Nakanishi ら [8] は CMC 環境でのインタラクティブなコミュニケーションのための握手デバイスを提案しており、これを用いることはできそうです。

図3. Nakanishi ら [8] による遠隔握手デバイス

一方、こうしたデバイスをすべてのファンが持っている状態を作るというのは、コスト面のハードルがありそうです。そして、今回の結果を基に「interactivity」と「intervenability」を分けるという考え方を導入すれば、必ずしもこうした双方向のデバイスは必要ないかもしれないという結論に至りました。

より具体的に説明すると、これまで CMC の文脈では「いかに多くの情報を遅延なくやり取りできるか」という interactivity が重要視されてきました [7,8]。しかし、今回取り上げた CMC への移行に対するファンの考えを踏まえると、「会いに行ける」あるいは「手の届く」という事実が重要 [5] であり、それは必ずしも「ファンからアイドルメンバーへの上り回線の情報量が豊かであること」と同値とは限りません。例えば、アイドルメンバー側に用意された握手デバイスをファン側がスマートフォンで操作するというアプローチも十分ありうるという点で、intervenability(いうなれば「干渉可能性」)に焦点を絞ったインタラクション技術を考えることもできるのではないかと言えます。

ただし、この研究が「HCI はアイドル文化に何ができるのか」という問いに明確な答えを提示できていないのは確かです。しかしながら、現在の HCI の境界にあるものを、現実に根ざした形で提示するというのも研究としての1つの貢献の形なのではないかなと信じています。

採択に至るまで

実はこの研究テーマを思いついたのは、かなり締め切りギリギリでした。また、単著で書くというのも初めてだったので「とりあえずフィードバックをもらおう」という気持ちで締め切り1週間前になんとか v1 を仕上げ、投稿にこぎ着けました。

実際、査読者からの initial review の点数も5点満点で 1.0, 2.0, 3.5, 3.5 とかなり割れたものに。採否の決定に責任を持つ 1AC が 2.0 ということもあり、かなり厳しいラインでしたが、リバッタル(rebuttal; 日本語だと反駁)によって懸念を解消することで覆せる余地もあるかと時間をかけてレビューを読み込み、文章を仕上げました。リバッタルの最後には以下のようなメッセージも併記し、研究の面白さをなんとか伝えようと努力しました。

As you noted that all reviewers affirmed the timeliness of the work, we believe that it is very important to depict this living situation. Given the current state of the pandemic, our observation originated from grassroots adaptation would be beneficial to other situations even though (or, due to) the unique characteristics of the idol culture.

In addition, we are afraid that, without our study, this intriguing situation would not be documented in the literature. Thus, we are full of eagerness to revise our paper so as to be ready for publication.

その結果、1AC がスコアを 2.0 -> 3.5 と大きく上げてくれたのに加え、点数が split されていたために新しく追加された査読者が 4.5 と高く評価してくれ、なんとか採択されました。ただ、リバッタルで we are working on restructuring the paper と論文の構成を1から見直す旨を約束してしまったため、camera ready に向けて大きな手術を加えることとなり、なかなか大変でした(笑)。

図4. 投稿時と採択後の論文構成の変化

最後に

こうした質的アプローチに基づく HCI 論文は、日本ではデバイス系などの裏に隠れがちですが、「こういうやり方もあるのか」と1つの参考になれば幸いです。特に、CHI 2021 では VTuber 文化について分析した論文 [9; 和訳あり]が出ていたりもしましたが、身の回りに実は隠れている Human と Computer の境界のフロンティアを HCI の枠組みで議論することで生まれるものも、きっとあるのではないかと思います。

Hiromu Yakura (@hiromu1996)

参考文献

[1] D. Abdulgalimov, et al. 2020. Designing for Employee Voice. In Proc. CHI. ACM, 157:1–157:13.
[2] M. McGregor, et al. 2019. Talking about Chat at Work in the Global South: An Ethnographic Study of Chat Use in India and Kenya. In Proc. CHI. ACM, 233:1–233:14.
[3] T. Kim, et al. 2019. Love in Lyrics: An Exploration of Supporting Textual Manifestation of Affection in Social Messaging. Proc. ACM Hum.-Comput. Interact., 3, CSCW, 79:1–79:27.
[4] P.-Y. Tu, et al. 2018. Do You Think What I Think: Perceptions of Delayed Instant Messages in Computer-Mediated Communication of Romantic Relations. In Proc. CHI. ACM, 101:1–101:11.
[5] Y. Kiuchi. 2017. Idols You Can Meet: AKB48 and a New Trend in Japan’s Music Industry. J. Pop. Cult., 50, 1, 30–49.
[6] E. Eriksson, et al. 2020. On the Necessity of Flying and of not Flying: Exploring how Computer Scientists Reason about Academic Travel. Proc. ICT4S. ACM, 18–26.
[7] M. Thiyaharajan, et al. 2020. Students’ Perception and Preference for Online Education in India during COVID19 Pandemic. Soc. Sci. Hum. Open., 3, 1, 100101.
[8] H. Nakanishi, et al. 2014. Remote Handshaking: Touch Enhances Video-Mediated Social Telepresence. Proc. CHI. ACM, 2143–2152.
[9] Z. Lu, et al. 2020. More Kawaii than a Real-Person Live Streamer: Understanding How the Otaku Community Engages with and Perceives Virtual YouTubers. Proc. CHI. ACM, 137:1–137:14.


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