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HBPワールドツアー2022 NY&Portland報告(田中-1/NY・タイムズスクエア編)

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ニューヨークと聞いて真っ先に思い浮かぶのがタイムズスクエア。タイムズスクエアは最初から大勢の人で賑わう広場だったわけではなく、昔は車が通る道路だったそう。写真でしか見たことのない煌びやかなあの場所は、実際どんなところなんだろう?と、ぜひ一度体感したく、私はこれを見るためにニューヨークに行ったと言っても過言ではなかったです。
実際にタイムズスクエアを訪れ、また、タイムズスクエア実現のキーマンであるタイムズスクエアアライアンス(以下、TSA)の元代表、Tim Tompkinsさんにお話を伺ってきました。現地の様子と、広場化検討〜実現までの経緯、現在の状況を本記事では記したいと思います。

世界の交差点「タイムズスクエア」

ニューヨークに到着した初日、既に夜でしたが宿に向かう前にまず最初に訪れました。ブロードウェイを北上しながら徐々に伝わってくる熱気、見渡す限りの電光掲示板とネオンサイン、大迫力の赤階段。たくさんの観光客、パフォーマーを囲む声援、車のクラクション。これが世界の交差点、本当にニューヨークに来たんだなあと、長いフライトの疲れも思わず忘れるひとときでした。

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タイムズスクエアはマンハッタンのミッドタウンに位置しています。ニューヨークの街は東西南北碁盤目状に道が整備されているのですが、ブロードウェイは古い道のため区画を斜めに道が通っています。縦の7番街とブロードウェイが交差する42丁目から47丁目までの「蝶ネクタイ」のようなエリアがタイムズスクエアと呼ばれている場所です。

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出典:ニューヨーク市交通局 Green Light for Midtown Evaluation Report

このプロジェクトは単に道路を歩行者空間化したということだけでなく、ミッドタウンの交通と安全性の問題を改善し、ブロードウェイの評判に匹敵する世界クラスの目的地をつくったものです。
プロジェクトのキーマンとして挙げられるのは、行政側はニューヨーク市交通局長のジャネット・サディックカーン(書籍「ストリートファイト」もご覧ください)。そして地元民間側のキーマンは、2002~2020までTSAの代表を務め、このプロジェクトの経緯を全て知っているティム・トンプキンス。(TSAはタイムズスクエアの周辺のエリアの活性化、治安維持、清掃等を実施するBID)

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関谷さんに紹介していただきティムさんにお会いすることができました。ご自宅にお招きいただき3時間ほどじっくりお話を伺いました。

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なんばひろばプロジェクトとの共通点

事前にタイムズスクエアについて調べていると、HBPの関わるなんばひろばのプロジェクトと経緯が似ていることを知りました。
なんばひろばと何が似ていたかというと、特に、①地元発意、地元から将来像を提案し、途中から行政が加わり進んでいったプロジェクトであること、②2度の社会実験を経て恒久化に至っている、ということです。そしてタイムズスクエアは広場化までに約20年、なんばひろばは約15年(まもなく工事着工)かかっており、どちらも長期にわたるプロジェクトです。
私もなんばのプロジェクトに携わらせていただいて2年強になりますが、類似の進め方の国内事例に会っていない中で、タイムズスクエアの広場化の経緯には大変興味を持ちました。「ストリートファイト」などで行政サイドの動きは少し把握していましたが、地元サイドのティムさんがどのように動かれ、たくさんあったであろう困難をどう乗り越えられてきたのか、そして広場化が実現した今、どのように運営され、何が課題になっているのか、是非聞いてみたいと思いました。

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(上図、以下にまとめる経緯は、関谷さん・中島さんの論文「ニューヨーク市タイムズ・スクエアの広場化プロセスーBID設立以降の取組に着目してー(2016,建築学会)」を参考に、ヒアリング内容も併せてまとめています。)

【経緯その1】
民間から動かした、初期の検討

ここから少しタイムズスクエアの経緯をご紹介します。20世紀の初頭からタイムズスクエアは劇場街として栄えますが、1970-80年は薬物売春といった犯罪の温床となり、マンハッタンで危険な場所と認識されるようになりました。その後のジュリアーニ市長時代の取り組みによって改善されると、以下のような交通面の課題が出てきます。

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そのような中、2002年にティムさんがTSAの代表に就任します。当時のティムさんは「問題は犯罪なのではなく、歩行者空間の在り方だ」と考えたそうです。「古い問題が解決されたからこそ新しい問題が発生してきており、その解決策はよりよい公共空間である。」当時はほかのBIDもニューヨーク市交通局も気にも止めなかったそうですが、治安がメインのテーマであったのを歩行者の問題に転換したのはティムさんでした。

2003年には、公共空間のデザイン支援を専門とするデザイントラストフォーパブリックスペースと一緒にタイムズスクエアの現状とこれからを考えるワークショップを開催。タイムズスクエアという名前になって100年というタイミングで交通コンサルの意見も踏まえながら「課題と可能性」という名の報告書を公表します。(デザイントラストフォーパブリックスペースとの関わりについては泉の記事もご覧ください)

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この中にはワークショップの意見を踏まえ、タイムズスクエアの今後の基本方針10項目と、それに基づく具体的な改善策の提案が掲げられました。「この場所はデザインやクリエイティビティのショーケースになるべき」「タイムズスクエア自体が劇場となり、中身が常に変わっていくような場所に」「戦略的にカオスな場所を作る」などを考えたとティムさんは言います。改善策にはダッフィー広場(赤階段のある部分)の拡張と再建、歩道の53%拡張などが書かれています。
TSAはその後、プロジェクトフォーパブリックスペースに依頼してアクティビティ調査を、交通コンサルに依頼して交通量調査を、全て自腹で実施します。このように最初の数年間は、地元側でさまざまな専門家を呼んで検討を進めていました。

【経緯その2】
1回目の社会実験「タイムズスクエアシャッフル」

市と共同で1回目の社会実験「タイムズスクエアシャッフル」を実施したのは2006年のことです。期間は3ヶ月間で、車線を減らし、ブロードウェイと7番街の自動車動線を交錯しないようにすることで、中央分離帯と交通島を中心に歩行者空間を42%拡大。

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期間限定の仮設的なものでしたが、これまでの提案内容が実現したことで、次のステップへ進んでいくことになります。タイムズスクエアシャッフルのあとジャネット・サディックカーンが交通局長になり、ティムさんがジャネットにもう少し歩行者空間を拡幅できないかと相談しにいくと、「それならブロードウェイを全て歩行者空間化しよう」という話になりました。この時からプロジェクトの主導がTSAから市に移っていったそうです。(最初の交通局長は交通エンジニアの話ばかりを聞いていたため、歩道を拡幅することは合意したがプラザに手を加えることは反対していたそうでした)

【経緯その3】
2回目の社会実験「グリーンライトフォーミッドタウン」から完成まで

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2009年には2回目の社会実験「グリーンライトフォーミッドタウン」が実施されます。タイムズスクエアのブロードウェイから完全に自動車を排除し半年間実施。広場化ですが、目的はブロードウェイが生み出す複雑な交差点による混雑と高い事故率を解消することでもあります。コロンバスサークル~マディソンスクエアまでの区間の、道路空間配置変更、信号タイミング調整、横断歩道短縮化、駐車規制の変更などの様々な施策を一体的に実施し、以下のような結果が出たそうです。
・⾃動車の全体的な移動速度を上げ、増加する移動量に対応することにより移動性が改善
・歩行者と運転者の両⽅の負傷が減少し、プロジェクトエリアの安全性が向上
・居住者、労働者、訪問者のタイムズスクエアとヘラルドスクエアエリアの満⾜度が劇的に向上

そして滞留空間の様子。

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まずは路面の設えも簡易なもので、可動式の椅子テーブルをおいて実施しています。ティムさん曰く、以前に車を止めた時には犯罪ばかりおきたため、劇場組織のリーダーは売春やホームレスが溜まる状態をどう避けるかを気にし、車を止めることに対してネガディブなイメージを持っていたとのこと。しかし、椅子テーブルを並べ、その使われる様子を見たことで劇場関係者の心理的なイメージも逆転。公共空間は恐れるものではなく、使うものだと思ってもらえたそうです。

この後、ブルームバーグ市長はタイムズ・スクエア広場の恒久化を宣言します。この頃、ブロードウェイの周辺の広場も整備が進んだり、道路空間の再配置などもされていきます。もともと歩行者空間のあり方には関心がなかった周りのエリアも、タイムズスクエアの動き以降変わりだしました。

そうしてタイムズスクエアはブロードウェイ広場の中心的位置付けとして、工事は進み、2017年に無事完成をむかえます。

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ジャネットが入りプロジェクトが大きく進んで行った一方で、交通はどうなるのかと心配の声もやはり出ていたそうです。電光掲示板を整備する人たちがメンテナンスできなくなることを恐れ、ビルオーナー中心に周辺の広告事業者を集めて反対の団体が作られたりしたこともあったとのこと。説明を重ねたり、朝の時間帯はメンテナンスで入れるよう、誰もやる人がいなかったボラードの移動も自分達で行ったり、、、現場の大変なあれこれは、おそらくまだまだ聞けばたくさん出てくるのだろうなと感じました。

生まれる新たな課題

現在では新たに生まれている課題もあります。写真のような着ぐるみの問題です。

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観光客をターゲットに、強引に一緒に写真を撮りチップをせびるなどの行為が悪質になっており、実際に私たちも目にしました。タイムズスクエアは法律的には道路のため、広場化したことによって新たに規制が必要となっています。TSAとしてもこのような問題に対処すべく警察にもっと取締を強化してもらいたく、警察も合意しているそうですが、実態としてはなかなかそのようになっていないようです。2022年の法改正で、今後実行力がどう変わるかを確認していくそうです。

タイムズスクエアが目指すもの

また、2018年にはビジョンが更新されています。
(TSAのサイトでは、上記のビジョンや年次報告書を過去に遡ってみることができます。https://www.timessquarenyc.org/about-the-alliance/annual-financial-reports)

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ビジョンを話すティムさんの言葉には熱がこもっていました。
「多くのニューヨーカーはタイムズスクエアが好きではありません。だからこそ、私は一生懸命、ニューヨーカーをタイムズスクエアに呼び込もう、と言っているのです。観光客は好きではありません、すみません。地元の人たちに楽しんでもらいたいんです。」
「歴史家や広告代理店と、私たちの歴史的、文化的な強みの核心は何かということを話し合いました。演劇やエンターテインメント、SEXとLOVE。私はタイムズ・スクエアを信じています。私たちが最も誇りに思うものを展示する場所なんです。そして人々はとても興奮し、そこにいたいと思うのです。」
「すべての広場は、その地域の文化のキュレーターのようなものなのです。すべての公共スペースには、文化的な誇りの源となるチャンスがあると思います。」

そんなティムさんに教わったデジタルアート・プログラム「ミッドナイトモーメント」。タイムズスクエアが文化の場であることと、デジタル広告の組み合わせということで、月替わりのアート作品が、毎晩23:57から3分間、タイムズスクエアの電光掲示板がジャックされ映し出されています。私たちも見に行きましたが、10秒前のカウントダウンから始まり、魔法にかけられたような3分間、あの鳥肌がたった感覚は忘れられないだろうなと思います。
(関谷さんから伺った情報によると、アートに力を入れているBIDは外部の専門家を巻き込んだアートの委員会を設置しているそうです(ハイラインもそう)。ミッドナイトモーメントについても採用などは委員会で検討しているそうです。)

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他にも、確かにタイムズスクエアにはアート作品やオリジナルデザインのストリートファニチャーがありました。また、どうしても観光客の方が目立っていましたが、日常的に休憩をしているであろうニューヨーカーの姿もありました。そんな情景とティムさんが言われていた思いを後から振り返ると、広場はできてからが本番だと、試行錯誤は続いていくんだなと改めて感じるものがありました。

また、ティムさんとの意見交換の中ではなんばひろばに対するアドバイスもいただきました。もう一つ、もう一つ、と次から次へとティムさんからアドバイスが出てくるので本当に驚き、実現に向け課題をどうクリアしていくか、戦略的なアイデアをたくさん考え、多くの関係者の方々との調整をずっとされてきたんだろうということが伝わってきます。

将来なんばひろばが完成したときを想像してみると、現在関わる方々はじめ、これから使う地元の方々にも何か心に残るように続けていきたい。なんばならではの文化を、地元の皆さんと私も一緒に考えていけたらな、と思います。
貴重なタイムズスクエア訪問&ティムさんのお話でした。

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(田中咲)












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