新しい音楽はいらない


高校生の頃、コピーバンドをしていた。
私はギターとボーカルをやっていて、演奏も歌声も大したことはない、言うところのイマイチ。だったけれど、同級生が「すごいね」「かっこいい」と声をかけてくれたので、お陰様で、私は何者でもない何かになることができた。相棒のエピフォンと制服が私のトレードマークで、街を歩くときなんかそりゃあもう魅力に溢れてた。誰も自分を止められないと信じて疑わなかったし、世界もそれを容認していた。

 それで、どういうわけか、高校を卒業して5年くらいが経って、音信不通になっていたはずのバンドメンバーと会うことになった。

店選びは、フロントマンだった私に任された。5年も会わないうちに、ダサくなってる、と思われたくなくて、西洋風おでん専門店、という謎の小洒落た店を選んでしまった。

「とりあえず、ビール?私は、ハイボール。」

私は別段音楽をやるとき以外は仲良くなかったから、みんながどんなお酒を飲むのか知らなかったし、ぎこちない会話の始まりにやけにドキドキした。知っている人のはずなのに、まるで知らない人たち。あんなに一緒に音楽をやった日々はまるで無かった出来事みたいだった。

酒が進み、「妙に小洒落た店を選ぶ、お前の偏屈なところ、変わってないな」と指摘されてから、昔の話になった。

「あの時、俺らカナブーンよりカナブーンだったよな」
と、笑い混じりにベースの加藤くんが言った。

「ほんとだよな」「まちがいねーな」と各々口を揃えて笑った。確かに初めて演奏した曲は「ないものねだり」で、最後にみんなで合わせたのもこの曲だった。おはこのセットリストも「フルドライブ」「ないものねだり」「なんでもねだり」「シルエット」とカナブーンの代表曲をかき集めたものだったし、カラオケに行くと必ずカナブーンの曲をかけて、エアギターを片手にパフォーマンスしていた。間違いなく、カナブーンより、カナブーンだった。

「つーか、カナブーン、もう聞かなくなったな。みんなは今、何を聞いてんの」

そう聞かれ、はっとした。そういえば、意識したことはないが、もう新しい音楽は聞かなくなっていた。誰も知らない新しいアーティストを探して、これは私が見つけた最高のバンドだぞ!と誇示することも無くなった。というか、音楽自体と距離を置いた気がする。

それで、ふと、大学生になってから高校の文化祭に顔を出したときのことを思い出した。ミセスグリーンアップルなんて、自分が高校背の時にはなかったお洒落なバンドばかりを後輩たちはコピーしていて、とても新鮮だった。

「新しいバンドってよく分かんないけど、いい感じだね、先生。」
顧問の先生を見つけて、そう話しかけた。
「先生は今何のバンド聞いてるの?」
「変わんないよ、昔のバンド。」
「最近の新しいバンド、教えてあげるよ。シティポップ、流行ってるよ。サチモス、ネバヤン、ヨギー、、、」
私が言うと先生は笑った。
「新しい音楽は、必要ないんだ」

あのときの私は、先生の言葉の真意が何か分からなかったけれど、今なら分かる気がする。

昔の音楽は、あの頃の自分に戻れる唯一の手段だ。
当時好きだった人、もう会わなくなった友達、あのときの憧れ、後悔、走り抜けた日々。そういう全部を丸っと全部置いては生きていけないときもある。
宝物のように、大切に箱にしまって、いつか出てきたときに懐かしむことも素敵なことだけど、ずっと手放さず、そばに置いておいて生きていくことも素晴らしいことである気がするし、そんな生き方の尊さに、私は最近気が付いたんだ。
加速する現実に、自分だけ置いていかれそうになったとき、足掻こうだとか、追いつこうだとか、そんな気力は残っていなくてね。ぼんやりと空を眺めることが精一杯だった。そんな時こそ、ずっとそばに置いておいた思い出が燦然と輝いて、私を助けてくれる気がした。だから、今の私には、新しい音楽は必要じゃない。変わらないものをそばに感じて、自分だけの世界で生きていたい、それが一番の安心になるから。
ね?そうでしょう、先生。きっと先生もおんなじようなことを思ったはずでしょう。違う?違ったらごめんね、でもさ、私にも何となく分かったんだよ。赤点ばっかりだったけどさ。

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