見出し画像

とあるママ脳外科医の日記 ママになった

※日本でママ脳外科医、現在(2021/1~)ロサンゼルスで2人の子育て中です。
自己紹介記事に私については書いていますので気になる方は最初にそちらをどうぞ。

1人目の妊娠がわかった1週間後に勤務先の異動。なんとか産休まで働ききり、産休に突入。1人目の出産まで。
そんなママ脳外科医のただの日記のまとめです。

----------------------------------------------------------

産休に入るにあたり、事務的な手続きをしなければならない。私の場合、妊娠発覚1週間後に勤務先の異動が決まっていて、異動先では1年以上勤務継続していなければ育休が取れない制度になっていた。育休を取っていないと時短勤務ができないという制度もあった。そのため、産休→有休→欠勤→育休というなんともイレギュラーな形で勤務している形にすることになった。

これも事務方に相談しに行ったり、女性応援する課というところに相談に行ったりして実現可能で一番良いと思われる方法を選んだ。

医局側も退職扱いにはしないように取り計らってくれてありがたかった。

さて、産休に入るとすることが実はヤマモリ。
出産の4か月後に脳外科専門医の受験を控えているのだ。脳外科専門医試験は色んな専門医試験の中では難しいと言われている。合格率80%になる用途勧告が出されている中、50-60%くらいの合格率。結構1年間、必死で勉強しないと合格できない。

それを赤ちゃんがいる状況で受験するのだから、これは生まれる前にできるだけ効率よく勉強するしかない。そのため、妊娠で免除されていた仕事の間は全部勉強の時間に当てさせていただいていた。

効率よく勉強するため、教科書を読んだり論文を調べて読むことはあきらめた。(本当の意味での勉強の場合はしてください)過去問を解いて、その解説を読んだり調べたりする。その繰り返しだけに注力した。同期がとても優しく、全国で行われている勉強会に行けない私にここは抑えておいた方が良いというポイントを教えてくれたり、この論文は読んどいた方が良いよ、と教えてくれた。試験に合格するための勉強を毎日やった。

すでにお腹が張ったり、前駆陣痛が来ていたので実家が近いことをいいことに朝まるで出勤するかのように実家に行き、昼食・夕食を作ってもらって(夫の分まで!)家に寝に帰っていた。夫も毎日帰りが遅いため、その方が安心だしいいじゃん、と。つまり、だいぶん甘やかされていた。

正期産に入ったら、いつ産まれても良いように実家暮らしになった。その間に夫が家を子供しように変えてくれた。絨毯をプレイマットに変えて、バウンサーやベビーベッドを置く準備をして。子供好きの夫は楽しかったらしい。

そして、ある夜。

ゾワっとした感覚があった。生理の時に経血が出る感じ。ん?と思ったが気にせずにもう一度寝ようと思ったがまたゾワ。んー、これは…と思い、一緒に寝ていたパグをよいしょっと横にどかしてトイレにいくと、破水。

ここから先は

2,342字
このマガジンは、1人目妊娠からワーママになるまでの日記やまとめを入れています。徐々に増えていきます。全何編になるかは今は未定。

とあるママ脳外科医のただの日記です。1人目の妊娠がわかってから、ワーママになるまでの日記です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?