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吐きそうだよ。

はじめまして、音声感情解析AIを開発しているEmpathというスタートアップで共同代表(Co-founder & Co-CEO)をしております、山崎はずむと申します。写真の左が私、右が私を酒場からスタートアップという地獄の一丁目に誘ってくれた同じく共同代表の下地貴明です。

スタートアップの共同代表、しかもAI開発となるとなんだかイケイケで西麻布・六本木界隈に漂う淫靡な香りを想起させてしまうわけですが、僕自身はコンピューター・サイエンスを学んだわけでも経営を学んだわけでもなく、まして人生において起業しようなどどは露ほども思わす、路地裏で酒を飲んでいたら気づけばスタートアップの共同代表を務めさせて頂くことになったという、なんともおとぎ話のような世界の中で日々泳いでいます。

これはとても幸福な、そして想定外な事態であると同時に、資本主義の嵐が吹き荒れる地獄の一丁目についに両足をつっこんだのだなあという感慨も同時に抱くわけで、そんな数奇な人生を楽しんだり、振り返ったりするために、今更ながらnoteをはじめてみた次第です。

さて、西麻布に漂う大人の芳香とは無縁ながらも、迫りくる加齢臭の恐怖におびえながら、もしくはすでに壮大に空気中に拡散させながら、スタートアップでの毎日を楽しく過ごしているわけですが、僕はそもそも「スタートアップ」という言葉すら数年前には知らず、ましてや自分がその当事者になるとは夢にも思わなかったわけです。ですから、起業して成功し、タワーマンションの最上階でバスローブをはおり、撫でるようないやらしい手つきでシャンパンのはいったグラスを傾けながら、思い人の肩に手をかけて優越感に浸りながら「きれいだよ」などとつぶやく人生を想像したこともない。

そうではなく、「資本主義」という言葉に激しい憎悪を抱きながら、紫煙が立ち込める路地裏の数坪しかない飲み屋で、いつも同じユニクロのシャツをはおり、小刻みに震える心もとない手つきでキンミヤ焼酎の緑茶割りをすすりながら、馴染みの仲間の肩に手をかけて、ろれつの回らない声で「吐きそうだよ」などとつぶやくのが僕の人生だったわけです。

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(吐きそうだよ、とつぶやける仲間がたくさん増えました!)

音楽(バンド活動)に挫折し、研究に挫折し、ただ酒をあおる日々の中で、飲み仲間からもらった就職の機会になんとなくのらせてもらい、あれよあれよという間にスタートアップの世界に飛び込んでいった僕の体験など、果たして皆様のお役に立つのかなど全く定かではありませんが、以下の点においてある種の特異性はあるかもしれません。

・人文科学の博士課程をドロップアウトしてスタートアップの世界に飛び込んだこと(29歳からの、極めて遅いキャリア・スタートであった)。

・人文科学での研究経験が経営をしていくうえでも大事なコアになっていること(特にミッションや世界観の策定、チーム・ビルディングにおいて)。

・起業したい、という強い動機づけからではなく、スタートアップの世界でもがくなかでスタートアップに対する愛着がうまれ、経営に携わるようになったこと。

・日本から世界へ、という形でシード期から海外展開を積極的に進めた経験に基づく希望と困難に関して(特に帰国子女でもなく、海外生活経験もほとんどない自分がいかに「海外」と対峙していったのか)。

思えば現在スタートアップの経営に携わらせてもらっているなかで、活きている経験があるとすれば、それは図書館にこもりつづけた日々であり、大学の学生室での読書会であり、夜更けの新宿の酒場で交わした談義とそれに伴うたくさんの愛情と不義理であり、ステージからガラガラの客席を見渡したライブハウスでの緊張感と倦怠感であり、塾や予備校の教壇で学生たちの未来と向き合った際に生まれた責任と恐怖であり、唯一のアジア人としてアメリカの学生に囲まれながらおびえて発言をし続けたアメリカの大学院の教室であり、むっ鉄砲で寄る辺のなかった家族であったりするわけで、そうしたあれやこれやをすべて鍋のなかに突っ込んでかき混ぜながら、現在進行形で今も波打ちながら進んでいる僕のスタートアップでの生活をつらつらと書いてみようと思い立ったのです。

要はここに書かれる拙い文章は闇鍋であり、それが皆様にとってどんな味がするかなどこちらは知ったこっちゃないわけですが、「吐きそうだよ」と言われない程度には頑張ってみたいと思います。

次回は僕が働くEmpathという会社について、少し紹介をしてみたいと思います。

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