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BTSと「アナーキック・エンパシー」② LOVE MYSELFがなければ、他者の靴は履けない

#BTS  #ARMY #LOVEMYSELF #アナーキック・エンパシー #ブレイディみかこ

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前回の投稿で私は、BTSは揺るぎない「アナキズム」に裏打ちされた「エンパシー」能力=「アナーキック・エンパシー」を持つ人たちで、彼らは今まさに、世界を作り変えんとしているのではないかと書いた。

それを深掘りする目的で、第2弾を書き進めていこうと思う。
(① を読んでから、こちらに戻ってくるのをおすすめします)

まず、「アナーキック・エンパシー」について少し丁寧に説明を。「エンパシー」「アナキズム」、そして「アナーキック・エンパシー」と順を追って知るとわかりやすいだろう。ブレイディみかこさんの著書『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』から、かいつまんで紹介したい。

エンパシーとシンパシー

「エンパシー(=empathy)」は、日本語では「共感」と訳されることが多く、「シンパシー(=sympathy)」と混同されがち。しかし、イギリスの語学学校では「エンパシー」と「シンパシー」の意味の違いは、必ず習うことなのだとか。

その違いを見てみよう。

「エンパシー(empathy)」……他者の感情や経験などを理解する能力
「シンパシー(sympathy)」……誰かをかわいそうだと思う感情、ある考えや理念などに支持や同意を示す行為、同じような意見や関心を持つ人との間の友情や理解

「エンパシー」は、「能力」なので、自分の意志によって身につけたり伸ばしたりできる。一方で、「シンパシー」は自分の意志とは関係なく、内側から湧いてくる特定の他者に対する感情のことをいう。日本語でいういわゆる「共感」は、「シンパシー」の方である。

「エンパシー」は、「シンパシー(=共感)」とは異なる他者理解の形。日ごろあまり考えない概念だけれど、自分を誰かに投射して理解するのではなく、自分とは違うもの、自分には受け入れられないものであっても他者を他者として認め、その人のことを想像すること。「エンパシー」は、ものすごく知的で、建設的で、冷静で、大人な能力だなと思う。

※ブレイディ氏の息子さん(『ぼくは、イエローでホワイトでちょっとブルー』に登場するあの少年)は、学校での「エンパシー」とは何か?と問うテストに「To put yourself in someone’s shoes(誰かの靴を履いてみること)」と答えたのだとか(なんて聡明な!)。それで、同著では「エンパシー」=「他者の靴を履く」と表現されている。

エンパシーの長所と短所

次に、エンパシーについて少し詳しく解説を。

エンパシー能力が高いと何がいいのかと言うと、自分とは違う考え方の人がいること、自分の世界とは違う世界があるのだということ、世界は広いのだということを理解できる点だ。エンパシー能力によって、一つではなく複数の世界を想像することができ、一つの状況を複数の視点から見て複合的に判断することが可能になる。

エンパシーは、理解力や洞察力を高め、世界の見分を広げてくれるから、靴を履かれる誰かのためになることはもちろん、能力を使う本人にとっても有益な能力なのだ。

ここまで読むと、エンパシーとは非の打ち所がない素晴らしい能力のように感じるかもしれない。しかし、使う場面やさじ加減、方向性を間違うと危険なものなのだという。ブレイディ氏はそれを「エンパシーの闇落ち」と表現している。いったい何が危険なのだろうか。

エンパシーは、他者の靴を履くことによってその人自身の人格が希薄化し、「自己の喪失」に繋がる可能性があるのだという。その極端な例が、DVの被害者やテロリスト。相手の暴力におびえながらも「この人もつらいのだから」と、被害者が加害者の靴を履き続けて取り返しのつかないことになったり、紛争の片側の陣営に気持ちが寄り添い過ぎてテロリストになってしまったり。

DV被害者やテロリストは、程度が強烈な例ではある。とは言え、エンパシーは使い方を間違えたり、自分でコントロールできなかったりすると、他者の靴を履いたときに自分の靴を見失い、その靴を脱げなくなってしまう。そこには「自己」の弱さが関係している。

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アナーキック・エンパシーのすすめ

「エンパシーの闇落ち」に陥らないためには、他者との距離を保ちながら自分の靴を脱いで、他者の靴を履いてみることが大切だ。重要なのは、自分を手放さないこと。

ブレイディ氏は、「エンパシーに『アナキズム』という軸をしっかりとぶち込まなければいけない」、「アナキズムとセットでなければ、エンパシーはそれだけでは闇落ちする可能性がある」と述べている。そして、アナキズムに裏打ちされたエンパシーのことを、「アナーキック・エンパシー」と名付けている

「アナキズム」という言葉を調べてみると、「一切の権威,特に国家の権威を否定して、諸個人の自由を重視し,その自由な諸個人の合意のみを基礎にする社会を目指そうとする政治思想。無政府主義と訳されることが多い」(コトバンク)と書かれている。

政治的な意味合いが強い側面があるが、同著では、「あらゆる支配への拒否」「self-government」「利己性」「自律性」などと表されており、ざっくり言うと「何にも左右されることなく自分という存在をしっかりと持って生きること」と解釈できる。

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BTSの「エンパシー」能力

ここから、ようやくBTSを絡めた話をしていこう。

BTSのメンバーは、揺るぎない「自己」である「アナキズム」と、他者の靴を履く「エンパシー」のバランスがこの上なく絶妙で、なおかつどちらの能力もものすごく高い、最強の「アナーキック・エンパシー」能力の持ち主なのではないかと私は考えている。そしてその能力によって多くの人に影響を与えて続けていて、それがBTSというグループが支持される理由にも繋がっていると思うのだ。

まず、彼らのエンパシー能力の高さについて。

とあるコンサートの直前、楽屋でメンバー全員が集まって声をかけ合う場面でのこと。リーダーのRMはこう言った。「ファンはみんな、大変な仕事の後にわざわざ足を運んでくれている。絶対に満足してもらえるステージにしよう」。

おそらく平日夜のコンサートだったのだろう。コンサートに来る前にファン一人一人がそれぞれ仕事や学校生活を過ごしていること。それが決して楽なことではないこと。それを理解した上で、自分たちはステージを通してファンに何ができるかを考えているのだ。

前回も書いたが、BTSはファン(=ARMY)という存在に対する解像度が驚くほどに高い。「どんな仕事をしてどんな夢を持っているのか聞かせてほしい」と、ファンに呼びかけて、少しでも一人一人を知ろうとする。

アーティスト側からしたら、正直、ファンをざっくりイメージする方がラクなはずだ。一人一人の声に耳を傾けるのは骨が折れるし、個人的な事情はときに重いものもあるから、それを知って負担を感じることも往々にしてあるだろう。他人の悩みや不安に触れて、考えなくてもいいことを考えざるを得ない状況に陥ることだってあるのだ。

ブレイディ氏も著書のなかで、ある事例を挙げて、エンパシーを働かせることの精神的な負担について書いている。

アメリカの某大学が約1200人を対象に調査を実施した。難民の子どもたちや、笑っている人、泣いている人などが描かれたカードを用意し、それを見せて「感じる」もしくは「言い表す」のどちらかを選ばせるというものだ。「感じる」を選んだ場合は、カードに描かれた人の内面的な心情を想像して話し、「言い表す」を選んだ場合は、カードに描かれた人の服装や年齢や性別など外見的な特徴を説明する。この調査によると、「感じる」を選んだのは全体の35%ほどしかいなかったという。

この調査からわかるのは、他人の気持ちや置かれた状況を推し量ることは、ただ外見を説明するよりも労力や認知力を要するので、人間は自然とそれを避けたがる傾向があるということだ。それは、カードに描かれた人が悲しい顔をしている場合だけでなく、笑っている場合も同じだったそう。かわいそうな人に同情するのがつらいということではなく、単純に他者の心情を慮るのは面倒で、なるべくならばやりたくないというのが、多くの人の傾向なのだという。

このように、大半の人がしり込みしてしまう行為を、BTSは日々、積極的にやろうとしているのだ。

あるコンサートのMCで、RMがこんなことを語った。「ファンレターを読むと、それぞれが人生にどう向き合って、痛みを切り抜けているのかを感じられる。だからこそ、みんなが僕らに示してくれる愛情と共にありたいと思う。みんなのことを感じて、一緒にこの道を歩き続けられるように」。一人一人の人生における胸の痛みさえ知りたいと願い、それをファンとの絆に変えようとする強さが、彼らにはある。

また、BTSのメンバーがアイデアを出して誕生した、LINEのキャラクター「BT21」についてのやりとりにも、彼らのエンパシー能力の高さを垣間見ることができた。メンバー自身が考案したキャラクターの性別をどうするかという話が出たときのこと。「性別はなくて、ただの『子』です」とRM、「僕はこの子たちに性別がない方がいいと思う。2種類の性別に括られないのがいいと思うんです」とSUGA。それに対して、メンバー全員がすぐさま同意した。

以前には、雑誌でのインタビューで理想のタイプを聞かれたSUGAが「僕は人柄や雰囲気を重視します。理想のタイプはありません。そしてそれは女性に限りません」と答えたことがあった。別のインタビューで「男らしさ」について聞かれたRMは、「今の時代はそういう男らしさとか男らしいというレッテルが消えていっている時代だと思う」と答えている。

人を一つの枠にはめて大別するのではなく、多様であることを良しとする。これは、自分とは違う世界がある、別の価値観がある、世界は広いということがわかっている人だからこその意見だ。いろんな立場の他者の靴を履いて視野を広げた人だからこそ、自然と言えることなのだと思う。

これを読んでいる人がARMYならばきっと、ここに挙げたRMやSUGAの発言以外にも、彼らが他者の靴を履いている、履こうとしている、履く能力があると感じる場面を数多く目にしているに違いない。

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「LOVE MYSELF」という「アナキズム」

次に、エンパシーを闇落ちさせないために必要な「アナキズム」の観点で、BTSを考えていきたい。先にも解説したが、ここでいう「アナキズム」とは、簡単に言うと「何にも左右されない自分という軸」のこと。

そもそも、BTSはヒップホップグループとしてデビューし、自身が抱える社会に対する不満や悩み、葛藤などを綴った楽曲を引っ提げてパフォーマンスをしてきた。プロデューサーや作詞家が書いた作りものの言葉ではなく、率直な、自分の内からわき出る言葉を歌っている時点で、彼らにはすでに「アナキズム」の下地があると言える。

あるトークイベントのなかで、『BTSを読む なぜ世界を夢中にさせるのか』の著者であるキム・ヨンデ氏は、「BTSがほかの歌手と違うのは、自身の想いや葛藤などを楽曲の中で率直に語る部分」と述べている。世界的な大ヒットを記録している『Dynamite』や『Butter』など、海外のプロデューサーが主となって作られた最近の楽曲はヒップホップではなく、「彼らの想いや主張が反映されていないのでは」と指摘されることもあるが、それについては「単純に音楽をジャンルでしか理解していないことの表れだ」と反論する。

「BTSの音楽に根差している『ヒップホップ』とは、ストレートに想いを語ること、社会に対して異議のあることを発信すること、自身について語ること、そういう精神のことを指す。そう考えると、現在の彼らの曲にもヒップホップの精神、感覚は残っている」とのこと。

すなわち、何もラップをするだけがヒップホップなのではなく、彼らが今届けたいものを作って、歌って、届けるスタイルそのものが「ヒップホップ精神」だということだ。ここで肝心なのは、「自分たちがやりたいことを堂々とやる」という点で、そういう意味で今も昔も、BTSの楽曲には「アナキズム」が宿っていると言えるだろう。

また、彼らの「アナキズム」の真骨頂と言えるのが、「LOVE MYSELF」というグループ独自の哲学である。「LOVE MYSELF」というメッセージは、子どもや若者に対する暴力やネグレクトの撲滅、子どもや若者が自尊心を持って幸福に生きられることを促進しようと、2017年からユニセフとともに掲げてきたもの。自分自身を愛することをテーマに、いくつもの楽曲も発表されており、そのメッセージに勇気づけられ、一歩を踏み出すことができたと語るファンは多い。

彼らのワールドツアーを追ったドキュメンタリーにも、「BTSは自分を誰かの母や妻という役割ではなく、独立した存在として見つめ直す力をくれた」「BTSは、私が誰なのか、何を求めていてどんな人になりたいのかを考える勇気を与えてくれた」と話すファンの姿が映されていた。私自身もそうだ。自信をなくしたとき、迷ったとき、何かに挑戦するとき……、折に触れて「LOVE MYSELF」を思い出しては、自分を奮い立たせている。

「LOVE MYSELF」には、アナキズムが欠かせない。アナキズムのない「LOVE MYSELF」など、存在しないのだ。BTSは、自身がアナキズムの精神を持ちながら、ファンにも確固たる自分を持ち、自分を愛することを説いている。

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利己的であることと、利他的であること

エンパシー同様、アナキズムも過剰になったり方向性を間違えたりすると、自分の主張ばかり振りかざす独裁者や、他者の想いを軽視する自分勝手な人間を生んでしまいかねない。しかし、エンパシーとのバランスの良い両輪を保つことができれば、アナキズムは最強の「お守り」として、自分を支えてくれるはずだ。

他者の靴を履く利他的な行為である「エンパシー」と、揺るぎない自己を確立する利己的な「アナキズム」は、正反対の性質を持つように見える。でも、「個人と社会が対立概念でないように、アナキズムとエンパシーも対立しない。むしろ人間の心臓と肺のように、調和的な融合するものであり、アナーキック・エンパシーこそが純粋で濃厚な生のエッセンスを死なせない場所に変える」と、ブレイディ氏は書いている。

ファンに対して「LOVE MYSELF」の大切さを説きながらも、「僕はARMYに自分の愛し方を教わった」と話すRMや、「僕がいつもふざけて笑っているのは、相手が笑ってくれて、それで幸せを感じることができるから。自分を幸せにするために相手を利用するということ」と話すJIN。彼らのこのコメントは、利己と利他が表裏一体で、切り離せないものだということを示している。

同著にも「他人を助けると、自分は必要とされている価値のある人間で、この世での事案を有効に使っていると感じさせる。他人を助けることは、生きる目的を与えてくれるのである」と書かれている。利己的であることと、利他的であることが相互に作用して、幸福感をもたらしてくれるからこそ、人は他者の靴を履くのである。上手に他者の靴を履ける人は、自分自身を愛する能力にも長けている人だと言えるだろう。

BTSは、その類まれな「アナーキック・エンパシー」能力によって、多くの人を幸せにし、それを自分の幸せ、そして原動力に変えてきた。そう考えると、私が以前に書いた『BTSはなぜこんなにも愛されるのか~メンバー全員GIVER説』「GIVER」にも通ずるところがあるように思う。GIVERは「アナーキック・エンパシー」能力が高い人なのかもしれない。

「GIVER」であるにせよ、「アナーキック・エンパシー」能力が高い人であるにせよ、彼らはその振る舞いや生き方、主張や意見に、常に「自己と他者の視点の両方がバランスよく盛り込まれている」ということだ。それがすごく良い作用を及ぼしているからこその、現在の活躍ぶりなのだろう。

(本当に、掘れば掘るほど興味深いグループ、BTS。『他者の靴を履く』のなかに、彼らが「アナーキック・エンパシー」を育むことができた理由を探れるようなヒントがあったので、もう少し深掘りできそうな気もする……。もしかしたら、『BTSと「アナーキック・エンパシー」③』に続くかも……?)

※BTSとアナーキック・エンパシー③は、こちらから↓


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