忘れられがちな目標5【#SDGsへの向き合い方】
この記事は、Green Pontaさん後援のお題企画「#SDGsへの向き合い方」に投稿しています。
「SDGs」について考えること
「SDGs」と聞いて、ぱっと思い浮かぶものはなんだろう。
「持続可能な開発目標」と聞くと、私はすぐに「自然環境の保全」を連想してしまう。実際、本企画の後援・Green Pontaさんも「無駄のない消費社会」を目指している。
だが「SDGs」の目標は【環境】だけではない。【持続可能な社会・経済・環境への転換】を目指しているのである。
その中に「目標5・ジェンダー平等を実現しよう」がある。
以降の記事の内容は、求められているテーマから逸れてしまうかもしれない。だがせっかくなので、この機会に「ジェンダー平等」について考えてみようと思う。
「ジェンダー平等」はマイノリティ優遇・マジョリティ冷遇ではない
「LGBTQ」や「ポリティカル・コレクトネス」という言葉への偏見や誤解の声をよく耳にする。「ジェンダー平等」と聞くと、身構える人もいるだろう。
なぜ身構えてしまうのか。
私はその理由を、「自分事に思えず、責められているように感じるから」そして「(不平等の存在に気付かず)自分の属性以外への優遇措置かつ自分の属性への冷遇措置だと感じるから」だと考える。
あえて【ジェンダー】ではない例を、私の実体験として挙げたい。
先日車椅子のyoutuberが、「エレベーターに乗れない・抜かされる」ことを問題提起して話題となった。
私はドキリとした。
前提として私はキャリーケースを引いている時しかエレベーターを利用しない。並んでいる人を抜かしたこともない。
先に乗っている時は「開」ボタンを押して、車椅子利用者やベビーカーを押した親子連れの乗り降りをサポートするよう心懸けてもいる。
だが恥ずかしい話、一度乗ったエレベーターを降りて譲ったことはなかった。
記憶にはないけれど、なかなか乗らないのを見て「乗る気がないのかな」と勝手に判断して先に行ってしまったこともあったかもしれない。
自分が乗っているがために、車椅子の人やベビーカーを押している人が乗れないという発想がなかったのである。デパートの【優先エレベーター】はともかく、駅のエレベーターは順番通りに乗るものだと思い込んでいたのだ。
なぜこの例を挙げたかというと上記の問題提起を目にした際に、「譲るという発想がないとは、自分本意で非常識な奴だ」と責められているように感じたからだ。そして、並んでいた順番を降りてまで譲ることが車椅子利用者への優遇、かつ抜かされる自分たち健常者への冷遇と感じたのだ。
けれども冷静に考えてみると、同じ電車に乗ってホームへ降り立った以上、早い者順もなにもないのである。
階段やエスカレーターという他の選択肢がある健常者が車椅子利用者に順番を譲ることは相手への優遇でも、まして自分たちへの冷遇でもない。
知らなかった・気付かなかったことを指摘されるのは恥ずかしいし、責められたように感じることもあるだろう。
けれど知らなかったなら知ればいいし、知ったならこれから意識して行動していけば良い。
結婚・出産に対してフレキシブルな対応を
【子宮】を持って生まれてしまった以上、否が応でも意識しなければならないのが「出産」である。
もし仮に人間が、なんの痛みも障がいもなく受精と出産が行えて、草食動物のように生まれ落ちた瞬間に子どもがひとり立ちできるような生物であったなら。もっと悩みは少なかったにちがいない。
だが残念ながら人間は、性行為も出産も育児も、すべてにおいて多くの問題を抱える生物なのである。そして当然、思考能力のない機械でもない。本当に、残念ながら。
前置きが長くなってしまったので、そろそろ本題に戻ろう。以降、「SDGsの目標5・ジェンダー平等を実現しよう」について実践していることを述べていく。
実は昨年、一緒に舞台活動をしている役者仲間が妊娠した。
安定期に入るまではSNS等での報告は控えていたが、私は前もって今後の活動について相談を受けていた。
役者活動はとにかくハードだ。
日々の訓練が不可欠だし、舞台があるとなればスケジュールもがっつり抑える必要がある。当然、本番はよほどのことがない限り休めない。
だから女性役者にとって、「妊娠・出産=活動休止」なのである。
しかし「活動休止」は、表現者にとってかなりの痛手だ。
表現とは人前で発表する場があってはじめて成立するものだからである。
継続も重要で、表舞台に居続けなければ発表する場はあっという間に失われてしまう。
私はそのことにずっと不平等さを感じていた。
これは決して子宮を持たない人に対しての不満ではない。
あえて言うなら「身体構造の理不尽さ」に対する不満だ。
そこで私は私なりにこの理不尽さへの対抗手段として「フレキシブルな表現活動」を実践することにした。
心掛けているのは、
妊娠・出産・育児で、今後の活動がままならなくなる役者仲間の希望に耳を傾けること
彼女の体調を最優先にすること
彼女が望むときに表現の場を提供すること、及び、そのために私が活動を続けて「表現の場」を存続させること
である。
私は子どもがいない。だが、子どもは好きだ。
だから子どものいる人へ最大限のサポートがしたいと思っている。
至らない点はまだまだあるだろう。
余計なお世話だったり自己満足の独りよがりだったりという側面もあるかもしれない。
けれどまずは自分にできることから、「持続可能な範囲」で取り組んでみようと思う。