ほんとうのやさしさは、無償の愛でできている

 いつもこういう心境になれるわけではないので、忘れないうちに記しておこうと思う。

 無償の愛というのが何なのか、恥ずかしながら30年近く生きてきてもわからなかったのだが、最近ようやくつかめてきたように思う。

 夫のおかげで。

 夫は私を愛していて、私は夫に恋している状態だったので、すれちがう日々が多かった。

 私のことが好きなら、私に全ての時間を費やして、甘える私のわがままを聞いてほしい!

 今日は構ってくれないのね!友達と遊ぶのね!もう知らない!(プッツン)

 極端に言えば、私は結婚してもなお、そんな幼い恋愛をしていたのだ。

 子どもと一緒。相手の都合を考えない単なる自己愛である。

 こういうことに関しては意外と夫のほうが大人で冷静で、ケンカをしても一方的になってしまうことがしばしばあった。

 それでも夫は「さっきはごめんね」なんて優しく言ってくれるのに対して、「何がごめんなのか言ってよ!」と丸くおさめられたくなくて蒸し返す私。

 次の日だって、昨日のことがなかったかのように、夫は笑いながら「おはよう」と言ってひょうひょうとたたずんでいるのだ。

 もちろん私は軽くにらんで「うん」だか、小さく「おはよう」だか言ってのける。サイアクだ。

 夫は子ども(特に2人目)が生まれてから、誰かに見返りを求めることがなくなったという。「子どもに見返りを求めたって、子どもは返せないしね」と。

 よく愛は3~4年で冷めるなんていうが、私の愛(恋?)の炎は燃え続けている。

 子育てをする中で、ホルモンバランスが乱れまくって精神不安定になり、「もういい!明日離婚届もらってくるから!!」なんて言い放ったこともあったが、それも愛情の裏返しである。

 「いや、わかりにくいから!本気かと思ったよ!」と夫には突っ込まれた。

 ところで、私は脳科学者の中野信子さんが好きなのだが、旦那さんののろけ話をしているのをよく見かける。

 中野さんにも不安定になり、怒ってしまうことがあるらしく、中野さんが「もう頭悪いんじゃないの!」と言うと「僕が悪いのは腰で」なんてトンチで返されたり。

 中野さんの怒りを察知した旦那さんが別の部屋に行き、20分後に「お風呂沸いたよ」と言って悠然と出てきたり。

 一度聞いたら忘れられないエピソードになってしまった。そんな返し方をされたら、怒る気力が半分くらいに減りそうである。

 中野さん自身も、時を経ても愛が冷めることなく、旦那さんとは仲良しだという。(脳科学的な説明にそぐわず、ツッコまれるらしい)

 あれ?なんかうちと似てない?

 と、思ったのだ。

 きっと私の夫も、中野さんの旦那さんも、配偶者のことを全て理解することはできないが、その理解できない部分もひっくるめて受容してくれているのだ。

 底抜けに優しく、手放しで愛してくれているのだ。

 最近は夫が保育園のお迎えに行ってから帰ってくる。

 「帰ってきた!遊んで~」とまでは言わないが、そんな気持ちで子どもたちを連れた夫を出迎える(私のこじらせ具合が伝わるだろう)。

 夫のそっけない態度(に感じるだけ)になんで構ってくれないの(疲れているからです)と、焦りと少しの怒りを覚える私。

 でも朝になれば、「朝は元気だよ」「可愛い可愛い」と言いながら、私のことを抱きしめてくれる。

 なんだ、私、愛されているじゃん。

 やさしさにふれた瞬間だ。

 きっとこういうことが、無償の愛なのだ。

 夫はほんとうに子煩悩なので、子どもたちのことも手放しで愛してくれている。

 私の至らなさをカバーしてくれているようだ。

 子どもたちには条件つきの愛ではなくて、無償の愛をたくさん浴びながら大きくなっていってほしい。

 まだまだ「大人」になりきれないママだが、夫と一緒にやさしさにつつまれた家庭を築いていきたいと思う。

 

 

 

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