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【小説】出口はどこですか? 第15話

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 まだ何か言いたそうな折原おりはらを置いて、沙樹さきは家路に就いた。あんな奴の言うことを真に受けていたら身が持たない。真尋まひろが出口の話を、なぜ沙樹に聞かせたのかなんて、別に、沙樹だけに話したわけではないのに。最初に聞いたのは、たしかに二人っきりの時ではあったが、店でも出口の話はしているし、その時はユウヤもいた。なんなら、折原だってリアルタイムでその話を聞いていたわけで、そのせいで沙樹は大事件に巻き込まれているのだ。それでも何かが引っかかるのは、なぜ真尋が出口というものを知っていたのかという謎である。沙樹は出口なんて聞いたことはないが、どこかで噂になっていたのか? だとしても、真尋がただの噂を信じるようにも思えない。
 この一週間、可能な限り、出口の存在を頭から追いやっていたのだが、沙樹が星形の月に通う以上、避けては通れない障害である。折原からは逃れられそうもない。しかし、沙樹にいったいどうしろというのだ。
 悶々と考えているうちに、自宅マンションに到着した。ドアの前で、ボディバッグを漁る。ぽれった君のキーホルダーは妙な存在感があり、すぐに発見することができた。未だに、こいつを見るたび、「なにこれ」と苦笑してしまう。まだ慣れない。
 靴を脱ぎ捨て、どかどかと音を立てて廊下を進み、ボディバッグを床に投げると、沙樹はベッドに倒れ込んだ。うつ伏せのまま、心臓と肺の動きを感じていた。頭の中が、忘れたいことで溢れかえっている。今日一日を振り返りたくない。それでもまだ眠れそうもないし、代わりに、少し出口のおさらいでもしておくか。どうせ逃れられないのなら、翻弄されることなく、冷静に対処したい。沙樹は、深い溜息とともに重い上体を起こし、ベッドの上に胡坐あぐらをかいた。ぼりぼりと胸の辺りを掻いてから、こうべを垂れ、仕方なく思い出す。あの禍々しい――扉の向こう。

 出口の先は、「無」だと言っていた。先に進めば、この世から存在ごと、消えてしまう。沙樹には出口がどこに繋がっているのかわからないと言っていたのに、折原はユウヤに「次のステージに繋がっている」と言い出した。信憑性は低い気がする。沙樹の反応を愉しむ折原が、噂話を捏造しているような気がした。実際、桧山ひやまの前では動揺しているように見えたし、素直で騙しやすいユウヤくらいにしか通用しない嘘だった説が濃厚である。しかし、真相は不明。出口の先には、何があるのか。
 そして非常に重大な問題は、折原が、誰かを出口の先に行かせようとしていること。本来、出口の先に行きたいのは折原自身だったはずだ。しかし、行けない事情があるらしい。なんだっけ、出口の管理を神に任されたから? そこら辺、うんざりしてうろ覚えなんだよな。神とか言い出したのは、覚えているのだが。折原はなぜ出口の先に行きたかったんだっけ。たしか、折原の大事な人が出口の先にいるんだ……なんだっけ、名前……その、大事な人を連れ戻したいんだよな、あの人。そうだ、「あれは僕の出口でもあったんだ」とか言っていた。実際は誰の出口だったんだっけ。大事な人……名前忘れたけど。「ハ」がついてたような気がする。ハ……ハ……ダメだ、思い出せない。まあ、名前は重要じゃないか。とにかく、折原は自分の代わりに誰かを行かせたがってるってわけだ。え? ダメじゃん、このままじゃ。逃げてる場合じゃない。
 とはいえ、ここまでだ。今日はさすがに、対策まで練る余裕はない。明日、どうせ星形の月に行くのだ。どうせまた、情報が増えるのだ。考えるのは、明日以降。今日はもう、限界。お浚いは十分だろう。

 翌日、アラームをセットするのを忘れていたが、さすがに10時前には目が覚めた。母、律子りつことの待ち合わせにはまだだいぶ余裕がある。シャワーを浴び、のろのろと支度をしたが、半端な時間を持て余す。なんとなく落ち着かなかったので、とりあえず家を出ることにした。早く行って、駅の周りで買い物をしたっていい。ダーツショップも覗きたい。

「あれ? 沙樹君!」
 駅に向かう道の途中、まさかのユウヤとの遭遇。大きめのTシャツとジーンズのラフなスタイルに、ニューヨーク・ヤンキースの黒いキャップがよく似合う。9TWENTYのシールが貼られたニューエラのキャップは、実にユウヤらしかった。
「どっか行くの?」
「うん、母親に会う」
「あー、そういえば言ってたね。久しぶり?」
「かなりね」
 ふーん、と言いながらユウヤは沙樹の全身をざっと眺める。
「手ぶらで行くつもり?」
「そうだけど」
「えええ。なんか買ってこうよ。時間ないの?」
「あるけど、いらねーだろ」
「いるいる! お菓子とかさぁ、雑貨でもいいし……」
 そう言いながら、ユウヤは辺りを見回した。
「あ! 花屋あるじゃん、沙樹君! お花買ってこう!」
「はあ? 絶対やだ!」
「いいから!」
「マジで無理。母親に花なんて恥ず過ぎる。お前――」
 沙樹は言いかけて、ユウヤには母親がいないことを思い出した。そんな沙樹をよそに、ユウヤはずんずんと花屋へ向かっていく。ついて行きたくはないが、放っておくわけにもいかない。「待てってば」と言いながら追いかけた。
「沙樹君が恥ずかしいなら、俺が買うから大丈夫」
「持ってくのは俺だろ。ほんと勘弁して」
「ねえ、沙樹君。俺は母親いないからわかんないけど、母親って生き物は花が好物だって図鑑で読んだことあるよ」
「嘘つくな」
「喜ぶ顔、見たいじゃん。それとも沙樹君のおかあさんは花が嫌い?」
「いや、しらねーけど」
「友達のユウヤってバカからだって、言っていいからさ。沙樹君は俺からのプレゼントをお届けするだけでいいから。ね?」
 なんでそこまで……と沙樹は理解ができない。しかし、強引なユウヤを説得する自信もなかった。
「もう、好きにして」
 諦めた沙樹は、花屋の入口で腕を組み、ユウヤが花を選ぶ姿を眺めていた。なぜこんなに目を輝かせ、嬉しそうに花を選ぶのだろう。店員に相談し、「母へのプレゼントです」と話す声が聞こえた。そうかぁ……。ユウヤのプレゼントを届けるだけなら、仕方ない。不本意だが、真心込めてお届けしてやる。

「ほら、これ。綺麗でしょ?」
「そうだな」
 沙樹は小さな黄色い花束を受け取った。花の名前など、ひとつもわからないが、少女が喜びそうな可愛らしい花束である。ありがとう、と言うのは抵抗があった。あまりありがたくはない。それにこれは、配達のお仕事。沙樹は母、律子からの「ありがとう」を、ユウヤに届ければいい。
「じゃあ、沙樹君。また夜ね」
「おー」
 手を振って、別れようとしてから、立ち止まる。仕事の前に、折原と予定があると言っていた。なんの予定? 気になるが、そんなことを聞いていいものだろうか。
「お前さ、折原さんと予定あるって」
「うん。あー、沙樹君にも聞いてもらおうと思ってたんだけど。夜にじっくり相談させて」
「うん……そっか、わかった」
 なんだか嫌な予感がする。仕事の後、話を聞いて、釘を刺しておこう。あいつの話をあまり聞くなって。

 ダーツショップを覗きたかったが、花束を片手に店に入る勇気はなかった。時間が半端に余っている。駅前の広場で、花束を持って人を待つなんて絶対に無理。ぶらぶらと散歩でもして時間を潰すか……と、広場を通り過ぎようとしたが、時計の下に律子の姿を見つけた。まだ待ち合わせまで20分以上あるというのに。
「早過ぎ」
 律子は沙樹の姿に驚いて、口と目を大きく開いた。
「あなたこそ。絶対遅刻すると思ったのに」
 遅刻すると思って、なんでこんな早く来てんだよ、と思いながら、律子の視線が花束に向いていることに気づき、乱暴に花束を押し付けた。
「友達から。配達」
「え? どういうこと?」
 戸惑いながらも、喜びが隠せないようで、両手で花束を受け取り、さっきより更に目を大きくしている。
「ユウヤって友達から、母さんにプレゼント」
 頬をつやつやと赤らめ、今度は目を細めて、「え~、ありがとう」という律子を見て、母親という生き物は花が好物だというユウヤの話は本当らしいと、沙樹は感心した。知らなかった。こんなことで、こんなに喜ぶものなのか。母のこんな顔、忘れていた。この「ありがとう」をユウヤに届けて、任務完了だ。

 律子とのランチは、ビルの最上階、「創作フレンチ 埴輪」という店だった。店内にずらりと並ぶ埴輪と、フランス帰りの一流シェフが編み出す創作メニューが話題の、まあまあ高級レストランである。シェフによる手作り埴輪が人気らしい。律子らしくないチョイスだった。
「こういうお店、来てみたかったの」
「ふーん」
 こういう店って、ふざけた店のことなのか、人気店のことなのか、高級レストランのことなのか、どれを指すのかよくわからないけれど、やりたかったことができているのは、いいことだ。
「これからは、もっと自由に生きてみようかなって」
「いいと思うよ」
 長年連れ添った夫に裏切られ、たったひとりの息子はこんなだし、律子がのびのび暮らしてくれたら、沙樹にとってもありがたい。つらい時に声を掛けることもできず、こちらから連絡をすることもほとんどない自分には、ユウヤみたいに律子を喜ばせる自信はなかった。
「お花をくれたお友達、どんな人なの? ユウヤ君だっけ」
 お洒落な草を食べながら、律子が尋ねる。
「いい奴だよ。俺とタメで、バーの店員してる」
「へぇぇ、かっこいいわね。今度私も行ってみたいな」
「バーに?」
「うん、会ってお礼も言いたいし」
 律子がバーに行くなんて、想像したこともなかったが、たしかにあの店なら一度くらい、一緒に行ってもいいかもしれない。
「すごく優しい子なんでしょうね。会ったこともない友達の母親に花束くれるなんて」
「そうだな」
 優し過ぎるんだ。お節介なくらい優しい。だからなんだか心配なんだ。相談ってなんだろうな。急に不安の波が押し寄せた。

 ゆっくり食事をし、その後、律子が行きたかったという「隠れ家カフェ」という名のチェーンの人気店に行き、美味しいコーヒーを飲んだ。満足そうな律子と別れたのは、午後3時半。花束を大事そうに抱え、何度も「ユウヤ君によろしくね」と言っていた。


 夜まで暇になった。しかし、妙な胸騒ぎがして、遊ぶ気にもなれない。かと言って、早く店に行ったところで、あいつは仕事だし。とりあえず、一度家に帰ろう。こんな時は、寝るに限る。

 何時だ? 外は暗いな。
 沙樹はサイドテーブルにある耳の生えたデジタル時計を確認した。午後7時。なんかすっげー寝た……ような気がするが、今日、なにをしていたんだっけ。のっそりと起き上がると、明かりを点けた。白いTシャツに合わせた黒シャツコーデ。自分の服装を見て、寝ぼけた頭で思い出す。ああ、母さんに会ったんだっけ。変な店だったな。
 ベッドを出て、冷蔵庫から牛乳を取り出した。コップは食器かごの中にある。なにかを忘れている気がする。大事なこと。喉を鳴らしながら牛乳を飲んで、思い出した。そうだ、星形の月に行くんだった。まあ、そんなに急ぐ必要はないだろう。

 星形の月に行くのは、あまり気が進まない。折原から、今度はどんな話を聞かされるのか。よく考えたら、なぜあの店に行くのだろう。行かなければいいだけの話。出口に関わらないこともできるのに、なぜ自分はわざわざあの店に行くのか。折原が変な気を起こさないように見張るため? それもあるけれど。ここまで知ってしまったら、今更退けない思いもある。出口を追っても、ゴールは見えない。この先、いったい何が待っているのだろう。
 玄関を出て、沙樹はボディバッグから妙なキーホルダーを取り出した。ピンクと水色の不気味な生き物が、両手に扇子を持っている。なんでこんなものを使っているのか、我ながら謎である。まったく自分の趣味ではないのに。滉大こうだいからもらったキーホルダーに、実家の鍵と一緒に纏めればいいのだ。なぜ、今まで気づかなかったのか。帰ったら付け替えよう。それにしても、夜は涼しい。少し寒いくらいだ。
 真尋と別れたことを、店の人はまだ知らない。わざわざ言うつもりはないけれど、話題を振られたら気まずい。その時に、「実は別れたんです」ってさらっと言えばいいのか。理由とか聞かれるだろうけど、適当に――。今はまだ、適当にかわせる自信はないけれど。すぐに余裕を取り戻せるはず。

 星形の月に到着し、扉を引こうとしたら、足元に黒いキャップが落ちていることに気が付いた。落とし物か? 拾い上げると、NYのロゴに、9TWENTYのシールが目印のニューエラのキャップ。街中でよく見かける奴だ。交番に届けるのは面倒だし、折原に渡せばいいか。
「いらっしゃい、沙樹君」
 折原が笑顔で迎えた。どうも、と小さな声で言いながら、拾ったばかりのキャップをカウンター越しに手渡した。
「外に落ちてました」
「ん?」
 折原は、受け取ったものを眺める。
「そうか……忘れ物だね。預かっておくよ」
 カウンターには、先客がふたり。沙樹のお気に入りの席は空いていた。壁際のその席なら、折原と適度な距離を置くことができ、静かに酒を飲むことができる。絡まれにくいのも、気に入っている点である。
「ジントニックでいいかい?」
「いや、そうだな――」
 あれ? 昨日そう言って、別の酒を飲んだ気がするが、なにを飲んだっけ。別にジントニックでもいいけれど……。
「昨日、俺なに飲みましたっけ?」
 沙樹が尋ねると、少し間があった。折原も、思い出そうとしているのだろうか。いや、なんだか妙な表情だ。笑っている? 困っている? 悲しんで……は、いないか。
「昨日は、バーボンを飲んでいたよ。ロックで。忘れてしまうほど、酔っていた?」
「ああ」
 思い出した。そうだ、外でカヨに会い、最悪な気分でメーカーズマークを飲んだ。たしか、美味い酒だった。気分にぴったり合っていたのだ。
「じゃあ、今日もそれで」
「少々お待ちを」

 昨日飲んだはずなのに、こんな味だっただろうか。今も変わらず、最悪な気分だというのに、今日は少しも美味しく感じられない。口に含み、舌の上であの香りを探る。そういえば、この店になにをしに来たのだろう。なにか大事な用があった気がしたのに思い出せない。最近、色んなことがあり過ぎて、脳がキャパオーバーしているのだ。なんだっけ。当然、出口のことだとは思うのだが。ということは、折原に用があったはず。
「あ、沙樹君」
 折原が何かを手に、カウンターの前に寄ってきた。伸ばした手の上に乗っているのは、缶バッジ。見覚えのあるキャラクターである。
「これ、約束のぽれった君の缶バッジ」
「はあ? いらねーよ」
 つい、反射的に口調が荒くなり、自分でも驚いた。こんな過剰に反応することもないのに。
「あ、いらないです……こんなの」
「そう言わないでさ。約束、だから」
 そんな約束したっけ? と思いつつも、受け取った。なぜか、受け取らなくてはいけない気がしたのだ。
 仕方なく、手の中のぽれった君を眺める。あの奇妙なキーホルダーと同じキャラクター。そうだ、ぽれった君だ。なんだよ、ぽれった君って。いらねーよ、こんなの。
 腕に、温かい涙が落ちて、唖然とした。どういうこと? 情緒不安定過ぎだろ!




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