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【小説】出口はどこですか? 第13話

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 真尋まひろが予約してくれている店は分かりづらい場所にあるらしく、駅前で待ち合わせることになっていた。駅の東口を出て右側、円状のベンチがふたつ並んでいるだけの、小さな広場に午後6時。沙樹さき滉大こうだいはここを「丸いとこ」と呼んでいる。真尋にもつい、「丸いとこね」と言ってしまったが、ちゃんと通じていてなんだか嬉しかった。
 相変わらず、沙樹は真尋より先に待ち合わせ場所に到着した。真尋が遅刻したことは、たぶん一度もない。沙樹の到着が早過ぎたこともない。それでも、必ず沙樹の方が早く到着するのはなぜなのか。そんなことを考えていたら、見覚えのある真尋の姿が視界に入った。
「さっきぶりだね」
 そう言いながら、真尋は行く先を指差して、ふたりは歩き始めた。
「お腹空いてる?」
「まあまあ」
 さっきもファミレスで山盛りポテトなんか食べてしまったから、本当は全然空いていなかったけれど、せっかく真尋が店をとってくれているのに腹が減っていないなんて言いたくなかった。それに、食べようと思えば食べられる。
「そっか、よかった。私は彩音あやねちゃんオススメのパンダケーキがボリュームあり過ぎて……まだちょっと苦しい」
「パンダケーキ?」
「うん、パンケーキだと思ったら、めっちゃでっかいパンダのケーキでびっくりしたよ」
 思い出しながら真尋はくすくすと笑っている。つられて沙樹も少し笑った。

 ジンギスカン専門店、「ラム喝采」は、たしかに分かりにくい場所にあった。沙樹はひとりで辿り着ける自信がない。どこでこういう店を見つけてくるのだろう。にしても、パンダケーキとやらを食べた後にジンギスカンはキツいと思うが。
 立地の割に賑わう店内。まあ、隠れ家的で、いかにも通が好きそうな店である。ジュージューと羊肉や野菜が焼ける音と、ちょっとクセのある匂いに刺激され、沙樹の食欲はだいぶ復活した。奥の個室に案内され、真尋はジントニック、沙樹はビールを注文した。
「あれ? 沙樹君、ビールなの?」
「ジンギスカンには生が合うかなと思って」
「たしかに……私もビールにすればよかったかな」
 そう言いながら、優しくグラスを合わせた。

 この店自慢の新鮮な羊の肉は、独特な臭みもマイルドで、脂もしつこくない。とても柔らかくジューシーで、実に美味しかった。それでも沙樹の気持ちがどこか曇っているのは、先程の彩音のせいだろうか。いや、そもそも。今日真尋と会うことになったのは先週、沙樹が初めて真尋に気持ちをぶつけたからである。

「真尋の好きと俺の好き、絶対違うだろ」

 思えば、あの時既に気づいていたではないか。彩音が言う通り、恐らく真尋の「好き」は恋愛感情ではない。そして、沙樹が気持ちをぶつけた後も、真尋の気持ちは未だに聞けていないままである。
 まあ……言えないか。言えないよな、真尋は優しいし。俺がどうにかしないといけないのかもな。

「そういえば、えっと……あの後輩、仲良いんだな」
 沙樹はジンギスカン鍋に野菜を追加で投入しながら、話題を探していた。
「ああ、うん。話が合うんだよね、彼女とは」
 人当たりがいい真尋は、結構誰とでも楽しそうに話しているが、その中でも彩音とは特に会話が弾むらしい。女性研究者の仲間というのも、きっと貴重なのだろう。
「なんちゃら神話の話してたね。趣味で研究ってすげぇな」
「フェリー神話ね。奥が深いんだよ。これは研究しないと知ることもできない謎の多い神話だから」
「ふーん。聞いたことないもんな、フェリー神話なんて」
「うん、こういうの潜在神話って言ってね、隠されてきた神々の話なんだ。言い伝えの神話と違って、追究したものだけが知る、秘密の神話って言われてるんだよ」
「ちょっと難しいな……フェリー神話ってのが、潜在神話のうちのひとつってこと?」
「大正解、センスいいね沙樹君」
 ほとんど真尋の話を繰り返しただけなのだが、褒められるのは気分がいい。
「隠されてきた神話ねぇ……たしかに奥が深そうだ」
「ね! 面白いんだよ。もし興味があるなら、資料貸すよ。そうだな……まずはホン・フェリアの系譜がいいかな……」
 全然意味がわからないが、こんなに興奮している真尋は初めて見た。これだけ夢中になっているものがあったなら、もっと話してくれればよかったのに。「もしかして知らないんですか?」と煽ってきた彩音の顔を思い出した。腹は立つが、これも彩音のおかげで知ることができた真尋の一面である。
「ふふ、沙樹君はこういう話好きじゃないのかと思っていたよ」
「え? なんで?」
「だって、いつも興味なさそうだったから。出口の話とかも……」
 思わぬところで出口という言葉が飛び出し、沙樹は身を硬くした。そうだ。そもそも出口と言い出したのは真尋だった。まさか沙樹がその出口に翻弄されているとは、夢にも思うまい。
「まあ……興味があったわけではないけど……こういう話、嫌いじゃないよ」
「そっか、話せばよかったね」
 うん、と言いながら、沙樹はビールを飲み干した。

「滉大君、イメージ通りだったよ。誠実そうで、男らしくて。沙樹君の大事な友達、いつか会ってみたいと思ってたんだ」
「うん、俺も。紹介できてよかったよ」
 彩音には別に会わなくてもよかったが、そんなことは絶対言えない。あれでも真尋の大事な後輩なのだ。
「沙樹君は寂しがりだって」
「それは忘れていい」
 もう、余計なこと言うから……と、沙樹は顔を逸らして、「はあ」と息を吐いた。
「いや、でもさ。私、沙樹君のこと、寂しい思いさせてたかな」
 はぁ? と言おうとして、真尋の顔を見たら、真剣な目でこちらを見つめていたから、何と返せばいいかわからなくなった。
「寂しいなんて、思ったことないよ」
「そう?」
「思ったこと、ないけどさ――」
「こちら、食後のデザートです」
「あ、はい」

 デザートのバニラアイスだってさ。特に好きなわけでもないのに、そして注文したわけでもないのに、一日に2回もバニラアイスを食べることになるとは。でもジンギスカンとビールの後のこれは悪くない。口の中にひんやりと広がるまろやかな甘みが、ねっとりと舌に絡む。真尋が、何か言いたそうな顔でこちらを見ている。そろそろディナーも終えようとしているのに、大事なことは話していない。話さないままでも、いいかもしれない。見えないふりをしても、いいかもしれない。気づかないふりをしても、いいかもしれない。今日のディナー、楽しかったし。

「真尋、別れようか」

 舌にバニラの甘みを残したまま、沙樹は苦い言葉を吐き出した。こうするしか、ないだろ、もう。恋人である意味を、見出すことができなくなっていた。ごっこ遊びでは虚しさが募るだけ。恋人の約束は果たされたのだ。
「私……やっぱりなんか、間違ってたかな」
 真尋はアイスのスプーンをかちゃりと置いて、沙樹を見つめた。
「先週の沙樹君の言葉を、何度も思い返していたんだ。だけど、どうしてもわからなくて。何が違うんだろう。私は、沙樹君が大好きだよ」
「うん」
 どうしよう、こんなところで、涙が込み上げてくる。どちらかが、泣いてしまうかもなんて、考えもしなかったから、羊が香る煙の中、別れ話を切り出してしまった。欲しかった言葉、大好きだって、本心だって、わかっている。何が違うんだろう。何が違うんだろうな。足りないわけじゃ、ないんだ。手に入れても、手が届かなかったもの。贅沢かな。バチが当たるかもな。その好きじゃ、駄目なんて。何様だよなぁ?
「間違ってないよ。真尋は、悪くない」
「それでも、たぶん私は沙樹君を傷つけたよね。ごめんね」
「傷ついてない。俺がもっと余裕のある大人で、自然にリードできたらよかったのかもしれない。俺の方こそ、ずっとガキで、ごめん」
 真尋の顔を見ることができない。どんな顔してるんだろうな。悲しい顔、してるだろうか。やっぱり見ることはできないなぁ。
「私はちょっとよくわからないんだけど……別れたら、何が変わるんだろうか」
 そう言われて、少し考えてから、思わず笑った。
「ほとんど、変わんないな」
 恋人らしいことを何もしていなかったことが、救いになる日が来るなんて。
「そっか。でもきっと、大きな違いがあるんだろうね。私にはそれがわからないかもしれない。ほんと、ごめん」
「大丈夫、俺にもよくわかんないよ」

 最後くらい格好つけたくて、この店の支払いは沙樹が持つことにした。こういうとこも、もしかしたらガキっぽいかもしれない。もうよくわかんないや。でも、真尋は沙樹がガキっぽくて嫌だなんて言ったことはないし、きっとガキっぽいと思ったこともないだろう。そう、全部沙樹が気にしているだけ。最初から最後まで、全部沙樹が右往左往していただけなのだ。

 沙樹が店を出ると、先に出ていた真尋が空を眺めていた。つられて沙樹も空を眺めたが、綺麗な星があるわけでも、明るい月があるわけでもなく、スモーキーな暗い夜空があるだけだった。駅の裏の裏の裏にあるような、住宅街の細い路地。こんな店、もう来ることはないだろう。最後に一歩。もう一歩。ゆっくり近づき、まだ空を見ている真尋の肩を、逃げられないようにぐっと掴んで、精一杯優しく、押し当てるように唇を重ねた。逃げられることも、拒まれることもなかった。
「こういうことは、もうしない」
「うん、そうだね」
 真尋が泣き出しそうな顔で笑った。
 ごめん、もう一度だけ。
 とても、温かい。




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